第2話 進みだす、それは確実に

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 「えー!」

 新居となったそのマンションの自室に入った時、思わず私は叫んでしまった。

 それはそれは立派なマンション。いわゆるタワーマンションではないのは、何かがあったときに自力で動けるように、ということだろう。

 入り口にはコンシェルジュ、華やかで広いロビー、どこの高級ホテルかと思うような造り。自力では一生住むことはなかっただろう。

 コンシェルジュに笑顔で見送られ、ロックを外す。そしてたどり着いた言われた階の言われた部屋には、何も無かった。


 かろうじてある家具は、セミダブルのベッドと小さなテーブル。そのテーブルの上には最新のノートパソコン。


 が、それ以外は何も無かった。3部屋ある部屋のどこを確認しても、ウォークインクローゼットのなかも、シンプルなパジャマと下着が少しおかれているだけだ。


 「うっそでしょ、備え付けもないの?」

 天井のシャンデリアがやたら豪華な分、まるで豪邸にひっそり住むホームレスのようだ。

 電化製品、服、着替え、アメニティからトイレマットまで何も無い。

 クローゼットはかなりの収納量で棚も付いているため、収納はどうとでもなるが、そのほかが一切無い。

 「これ、全部自分で買いにいくのぉ?」

 まさに途方にくれていた時、ドアフォンが鳴った。リビングにあるモニターには、全力で手を振るツーがいた。


 「何も無いんですけど……」

 そういって迎え入れた私を見て、ツーはさらに笑った。まるで研究所のような部屋で、明日の着替えすらない私がよほど面白かったのだろう。


 「ごめんごめん、笑うつもりじゃなかったんだけど、貴女にこの部屋の事何も話してなかったなって。」

 ツーが言うには、ツーもワンもマンションに入った時はこの状態だったらしい。一通り部屋を見回ると、ツーはとびっきりの笑顔で言った。

 「まずは買い物に行きましょう、明日着る服も無いなんて困るしょ?」

 それはその通り、ベッドさえあれば眠ることは出来るが、そのほかの事は何も出来ない。

 そしてそのままツーのクラシックな車に乗り(恐らくこれも彼女のこだわりだろう)街へと向った。


 さて、時間が過ぎること半日、ツーの車のトランクはファブリックで一杯になっていた。それに、ツーが選んだ少し派手な下着もたっぷりと。

 「仕事柄、洗濯もする暇が無い時もあるのよ、このくらい買っておいて間違いは無いわ」

 その次は、電化製品。ツーも私もぱっと決めるタイプなので、テレビから洗濯機まで全て順調に終わった。

 が、一つだけ疑問になるものが、あった。冷蔵庫が、小さいのだ。あのマンションには不似合いなほど小さい。元々自炊するほうではあるので、大きいのを指すと、ツーがそれまでの笑顔をふっと消し、一言呟いた。

 「あれはね、私たちには不必要なものなの。」

 なぜか、それに疑問を呈することは出来なかった。


 さて、電化製品が決まり、そうなれば目指すところは一つ。ツーにつれられるまま来たそこは、私が若い頃通いつめたファッションビルだった。懐かしい、あの頃ときめいた服がそこにはわんさかとある。

 「こういうの、好きでしょ。」

 所謂パンクファッション、などと呼ばれるものだ。けれど私の年では……

 「ねぇねぇ、まだ自分の顔、自覚してない?」

 え。振り向いたガラスに映る私は、まさにあの頃の私だった。これなら。


 察したツーが、私の腕を引っ張ってビルに入っていく。そしてその服を見るうちに、私の情熱も蘇り始めた。


 赤のタータンチェックのミニスカート、レザージャケット、コルセット、つぎからつぎへとほしいがままにレジに運ぶ。そうして二時間後には、両手一杯の服を持っていた。活性剤の力のせいか、全く重みは感じなかったが。

 そして、最後に入ったのは、靴屋だった、私はそこで一足の靴に出会った。

 それは、真っ赤な厚底のピンヒールのパンプス。ヒールが15センチはあろうかと言うもの。一目ぼれはしたものの、とてもこのヒールで歩いたり走ったりする機にはならない。そうすると、また目ざとく私の表情を見たツーが、試着を勧めてきた。

 そして履いた靴は、ヒールの高さなどまるでないように、楽にするりと立って歩める。いや、全力疾走もジャンプも全て可能だろう。


 「ね、良いでしょ?私たちならどんな靴でも走り、跳べるわ」

 そしてその店で五足ほど買って、やっとで家路にと着いた。


  「ねぇ、私、研究所に来たときは適当な服だったよね?どうして好みが分かったの?」

 今日買ったものの一つの、ゴブラン織りのカーペットに二人でぺたりと座り、ミネラルウォーターを飲みながら、さっきから疑問だったことを聞く。

 そうすると、私とは対照的な、艶のある笑顔でツーが、意味ありげに黙って私の顔を見つめる。

 

 「細胞活性剤、これが私たち三人が治験対象となった、ということはわかるわよね?」


 治験に回すモルモットちゃんは、死にかけがいちばん良いの。自力ではすでに立ち上がれない、心臓や脳が止まる寸前の子がいいのよ。


 だからね、研究所は常に網を張ってるわけ。治験対象になりそうな、死にかけの、そしてそれを同意するような家族がいる子をね。まあ、ワンは別だけど。

 だからね、貴女が事故に遭って、瀕死の状態だという情報はその瞬間に救急車から伝わってきた、そして貴女にはとても暖かい家族がいるということもね。

 その時点で貴女は下着の種類から好きなミュージシャンまで全部調べ上げられ、私たちに伝わってきたってこと。


 「いわば、私達はこうなるべくして、こうなったのよ。」


 モルモット、それは自分もそう思っていた。けれども彼らは私の思考以上だった。その対象のバックまで瞬時に調べ上げ、気の毒な患者と家族たちに猿芝居をして、巧妙に、自分達はさもいい人間のようにみせかけ。

 ペットボトルを握りつぶした私に、ツーが、あのペンのような注射器を差し出してきた。

 「そろそろこれを打ちましょう。『エリクサー』を、ね。」

 慣れた手つきで腕に針を突き刺したツーを身ながら、私も真似て打つ。痛みは本の一瞬、そして針の痕さえ瞬時で消える。

 エリクサー、賢者の石。どこが、だ。毎日注射しなければ細胞が腐るような薬のどこが賢者の石か。

 そして、私は気付いた。今日は朝から何も食べていないのに、空腹を覚えないということに。

 ツーが帰り、私は買い物袋だらけの部屋の中で、そっと泣いた。


 きっともう、私は死んだことになっている、いつの間にか届けられた、私が一番大切にした本やCDを、母はどんな気持ちで送ったのだろうか。


 私が治験体になってから一週間が過ぎた。与えられた車は、ほんの数千キロ運転しただけで、癖も全て把握した。正直言ってスポーツカーは運転したことが無かったので心配していたが、私の脳と身体は恐ろしいほどにその癖を呑み込み、やろうと思えばレースにも出られるほどになった。勿論、出ることは無いけれど。

 難解な都内の道路もすらすらと道を覚え、方向音痴だったのが嘘のようだ。


 そして、一ヶ月の訓練とやらもすぐに覚えた。走ること、格闘技は勿論、パルクールまでできるほどに。足元は、あの赤いピンヒールのまま。

 座学は、たとえば大量の人間に囲まれた時にそこから抜ける方法などからはじめ、軍事的とも言える科目に、難しい法律もやった。テキストを読むだけでおそろしいほどにそれは脳に吸い込まれていった。勿論その状況に対する戦い方、守り方も。

 なぜ、と質問したいことは山のようにあったが、あの初めてマンションに入った日、私のCDや本が入った箱を開けた時、涙と共に流した。


 そしてその間にも、ワンとツーから細かな知識なども教わる。幸いにしてお互い三人とも人の生活などには深入りしすぎない性格だったので、上手く回った。

 その間に少し知ったことと言えば、ワンの車は大型のジープで、それに似合うデニムとTシャツ、そこにベルト。ツーは、クラシックカーに似せた車、そしてファッションもヴィンテージの60年代や70年代の服。彼女だけはどうしてもと拘ったらしく、明るいイエローのベルト。最も彼女の服装の好みはしょっちゅう変わるので、その度にカラーリングを変えさせられる技術者は苦労していたが。

 私は訓練中だったので任務に就く事はまだ無かったが、二人は結構に頻繁な数で任務に就いていた。

 勿論任務の内容については他言無用だったが、時にはお互い同じクライアントに交互に付くこともあったので、私達三人だけは情報の共有を許されていた。


 「またあそこの組長かよ、俺ら雇う前にてめえの手下を鍛えろってもんよ」

 「なんならエリクサーでも注射させる?」

 顧客の大半は高級官僚や大臣クラスの要人、時には重大な事件の目撃者なども含まれた。

 が、ワンの言うとおり、所謂闇の社会の人間の護衛も多い。その存在が大きいほど襲い来る敵も強くなる。そうなれば、私たちが身体を張ることも多くなる。


 やがて一ヶ月の訓練を終え、栄えあるデビューとなった私も、それに加わるようになった。

 とても重い防弾のドアにガラスの車、前後にも護衛車をつけ。

 そこまでやらなければいけないほど、日本という国はとても危うい国になったこともわかる。

 時には銃弾が飛び交うことも、手榴弾がなげこまれかけることもあった。

 エリクサーにはこんな能力があったのか、と思うほどに私たちの脳はさらに開花され、第六感のようなものも芽生えていた。触るだけでスプーンが折れる、見えないはずのものが見える、そんな分かりやすい能力は無いが、勘は異常に強くなった。


 なかなかに難しい仕事もあったが、銃弾一つ程度であれば、当たってもすぐに弾が排出され、傷がふさがる。

 そして私たちの繰り出すベルトの前には、接近戦など全く通用しないものだった。

 時にはしなって相手の腕を掴んで折り、本当に危険な時には腕ごと切り落とすこともある。

 初めはさすがに敵とはいえ、人間相手にこんな凶器で戦うのを躊躇いはした。

 が、人は慣れるもので、鞭で急所を思い切り打ち、刃にしてまるで人形相手のように膝から下を切り落とすこともあった。

 その後に現場の清掃と隠匿に駆られる係りの人々は、それぞれ非難の目では見てきたが。悪いなぁ、また派手な現場にしちゃって、とワンは笑っている。


 不思議なもので、どくどくと流れる血液や切断面を見ても、吐き気すらしなかった。その上、エリクサーで細胞が活性化され、それに混ぜた高濃度の栄養剤のため、何かを食べることは滅多に無くなっていった。あの電化製品を買った日、私達に大きな冷蔵庫は必要ない、と言ったツーの言葉は、つまりこういうことだったのか。

 あるとすれば、ハードな仕事終わりにステーキハウスで一人1kgの肉を食うくらいか。エリクサーまでではないが、身体はその栄養素をくまなく吸収した。

 そして私は、自分がどんどんと人では無くなっていくことを感じた。

 普段の生活の中で、ドクター、は、私たち三人によほどの異常が無い限りは滅多に顔を合わせることも無かった。 週一度の検査もそのときによって人が変わるため、名前と顔は瞬時に覚えたが、それが必要なことは一度も無かった。

 豪華なマンションに住まい、高級車を乗り回し、人の血を浴びても平気になり。 そうこうする内に、私はその生活、エリクサーの効き目、仕事、それらに慣れていった。今では単独での仕事もこなせる程度には。


 人間としての自分の意識が消えていきそうな恐怖、それと戦うことも増えてしまったが。

 悩んでいては心は悪いほうへと転がり落ちる。そうすれば、エリクサーをわざと打たない選択もするかもしれない。


 「息抜き、するかなぁ」

 仕事が終わり、私は映画館のロビーに突っ立っていた。頭を切り替えるためにたまには好きな映画を、とでも思ったが、目当ての映画はすでに上映時間を終えている。ほかに見たいものがあるわけでも無く、レンタルでもするか、そう思って振り向いた瞬間、肩を叩かれた。


 「偶然!スリーも気分転換?」

 振向いたそこには、いつもの艶のある笑顔のツーが立っていた。ツーは女性であることもあり、研究所の中では一番親しくしている。

 「そう思ったんだけど、私が見たかった映画もう終わってるのよね」

 「じゃあ私に付き合ってよ!スリーの趣味じゃないかもだけど、たまにはいいでしょ?」

 指差された映画はラブロマンス、確かに私の好みではない。でも……。

 「そうね、たまには、いいわね」


 やがて映画が終わり、ロビーに出てきた私達はお互いの顔を見て笑っていた。

 映画は予想以上に面白く、しかも泣き所の連発で。

 「もう、これからバーにでも行こうと思ってたのに、こんな顔じゃ行けないじゃない!」

 つまり二人して号泣した結果、マスカラもアイラインも見事に落ちていた。これではとても外で飲み食いはできない。

 「ごめんごめん、私もここまで泣くとは思ってなかったのよー、いい映画だったわよね。」

 「うん、それは認める。」

 「じゃあ、これから家に来ない?デメルのザッハトルテをクライアントから貰ったんだけど、ワンホールはきつくて」


 ザッハトルテ!この体になってからは食事は殆ど必要なくなり、その上弾に食べると言えば、肉体を回復させるためのステーキばかりだった。甘いもの、そんなものが存在することすら忘れていた。久しぶりのラブロマンスで泣いて、その後に甘いものを食べる、気分転換にはもってこいだ。

 「ツー、また車変えたの?」

 「うん、前のは飽きちゃった」

 ツーはおしゃれが好きだ。いや、私も好きなのだが、彼女はとても思い切りがよく、そして大胆に好みを変える。今彼女が着ている服は、エキゾチックな民族衣装風の服。恐らくこれから訪れるマンションも、がらりとインテリアが変わっているだろう。

 最も、住まいに関しては仕方が無い部分はある。私達はエリクサーを打っている限り、見た目の年齢が変わらない。長い間同じ場所に住むと、それをいぶかしげる住人も現れるから。私も何年か先には、引越しをしなければいけないだろう。


 「おいっしい!やっぱりこのザッハトルテが一番よね!」

 「ねー、たまにはいい紅茶とケーキ、なんてのも素敵よね。」

 案の定アラビアンな雰囲気に変えられた部屋で、私たちは舌鼓を打っていた。

 「ワンは甘いもの苦手だから、誘っても食べないから。スリーが来てくれて、私本当にうれしいのよ」

 ふと、私は下世話なことを考えた。目の前に居るツーは、かなりの美人だ。艶やかで、セクシー。そしてワンもこれまた整った顔をしている。二人が街を歩けば、注目を浴びるのは間違いないだろう。


 「あの、ね、失礼なこと聞いてもいい?」

 「……私とワンのことかなぁ?」

 参った、そうだった、私達は第六感が優れている上に、こんな状況でこんな台詞を吐けば当てられるに決まっている。

 まあ、意外なことに第六感が一番優れているのは、ワンなのだが。それは普段の仕事にも現れていて、まとめ役は勘に優れた上に一番年上のワン、人当たりがよく、意外にも筋力が発達しているツーが、いざと言う時の介入役となる。 私は、二人の妹のようなものだろうか。


 「私とワンは確かに付き合いが長いし、エリクサーがまだ効果が短かった時は一緒に研究所に暮らしていたけど、男女の関係は一切無いわよ。」

 それはそうだ、と頭を垂れる私を見て、ツーはクスクスと笑った。

 「私、35歳の時にエリクサーを投与されたんだけど、その時ね、婚約者がいたのよ。」

 それは私は初耳だ。今日は二人ともリラックスしているせいか、もしくは久しぶりに普通の人間、の行動をしているせいか、妙にオープンな気持ちになっていたのかもしれない。それは、恋話、というもので。

 「私ね、エリクサーを投与する直前にね、結婚が決まってたの。」

 なんせあの時代で35歳なんて行き遅れ、って奴よね。しかも相手がね、10歳年下だったのよ。初対面から猛アタックされて、最初は戸惑っていたけど、私もすごく愛したのよね。

 「もうね、すごく優しくて、聡明で、素敵な人だったわ。」

 ほら、年上もいいとこだったし、彼はまあ、今の言葉で言うなら優良物件ってやつで。彼のご両親はすごく反対したの。でも、彼がね、全力でご両親を説得したの。嬉しかったなぁ。

 寿退社って奴よね、会社のみんなから祝われて、幸せ一杯で。式の三ヶ月前に仕事辞めてね、みんなにお祝いの言葉と花束を沢山貰って、いつも通り家に帰る途中だったの。引き継ぎでちょっと時間は遅かったけど、もうね、ニコニコしながら歩いてて。

 「そうしたらね、背中にね、どんって」

 背後から包丁で刺してきたのは、ツーが若い頃にほんの少しの間付き合っていた男だったと言う。

 もう本当にどうしようもない男で、すぐに別れちゃったんだけど、向こうはずっと、ずっと忘れずに、恨みを募らせてたのね。振向いたら、お腹に包丁が刺さったわ。そこからは良く覚えてないの。たまたま通りがかった人がすぐ通報してくれたんだけど、体中、あちこちから血が噴出してたわ。

 「あー、私死ぬんだな、彼と一緒になる前に死んじゃうんだなって。かろうじて病院で意識を取り戻した時、涙で顔中ぐしゃぐしゃにしてた彼が私の名前を呼んでた。覚えてるのは、そこまで。」

 ツーがエリクサーを投与されてから15年、最愛の人に愛を伝えることも、共に生きていくこともできなくなり。

 「ごめん、ごめんなさい、こんな話をさせてしまって」

 ぐずぐずと泣き始めた私の顔を、ツーがそっと両手で挟んで上げさせた。

 「彼の事は今でも忘れない。ずっと、ずっと大好きよ。でもね、私は幸せだと思う。」

 こんな状況で、そんな過去で、幸せ?

 「うふ、だってね、きっともういいおじさんになってるだろうけど、彼が幸せでどこかで生きていてくれるだろうから。そして、たまーに、私の事思い出してくれたら言いなって。」

 もしかしたら、いつか街でばったり会うかもしれないじゃない。私は若返ったから、彼は気付かないかもしれないけど、もしそのときがくるまでね、私はいつだってね、おしゃれで美しくありたいの。

 「だからね、今は悪くない生活だと思ってるわ。貴女も、ワンもいるしね。仕事はハードだけど。さあ、泣くのは止めて今度はスリーの恋バナ、聞かせてよね!今夜はそれを聞くまで帰さないから!」


 そう笑うツーに釣られて、結局私達はかなり遅い時間まで話していた。ツーのあの優しい笑顔の生まれたわけを知って、私も思わぬガールズトークを披露した。だって、彼女はとても素敵だから。悲しい過去も、前に進むための糧にすることが出来る人だから。私は、ツーがとても好きだ。そう強く思った。

 散々笑い、話が尽きかけ、さすがの時間になったため、私は自分の車に乗り込んだ。そしてドアを閉めようとした時、彼女がほんの少しだけ寂しい笑顔で、私の手を握る。

 「スリーはまだまだこれから長い時間があるけれど、いいことも悪いことも慣れていくものよ」

 そう言った後に放された彼女の綺麗に塗られたネイルが、妙に目に焼きついた。


 「順応、するのかなぁ。」

 家のドアを開け、紅いビロード張りのお気に入りの椅子に座り込み、いくら飲んでも活性化された肝臓のおかげで酔うこともなくなったスコッチを飲みながら、天井を仰ぎ見る。

 ツーは、ワンは、順応したのだろうか。私はまだ、彼らの事をほんの少ししか知らない。

 小さなテーブル一つだった部屋には豪華なソファーと椅子にテーブル、誰もそこでは食事をしない食卓一式、ベッドだけだった寝室にはこれまたゴシック調のドレッサー。あの何も無かった部屋は、インテリアに拘るツーがいくつも家具を注文し、楽しそうにかざりつけた。その部屋に訪れたワンは、『ここは占いの館か?それとも吸血鬼の家?』とあきれていたが。

 私はツーの想いと、自分が恋してきた人たちを思いだしながら、ベッドに入った。明日は休み、レンタル屋に行ってラブロマンスの映画でも借りてこよう。

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