エリクサー
百合川リルカ
第1話 運命の始まり
プロローグ
コンクリートで出来た、さほど大きくは無い建物。中は病院を思い出させる器具、白衣を着た人間達がせかせかと動き回っている。と、その中で顕微鏡を見つめていた男が、声を上げた。
「やった、やったぞ、見つけたぞ!」
その声に、周りから歓喜の声が上がる。
その見つけたもの、は、神のなせる業なのか、もしくは悪魔の所業なのか。それは今現在になっても、だれも正しい答えは導けないだろう。
「これで、これで、わが国の勝利は!」
喜び声を上げる男たちは気付かなかった。密かに近づく、軍靴の音に。
覚えていたのは、赤信号を無視して視界に飛び込んできた車。そして体が投げ飛ばされ、地面に叩きつけられた痛み。
人は痛みが酷すぎると失神すら出来ないというが、痛みの範囲は広く、どこがどう痛いのかすら、分からなかった。
ぼんやりと目に入るのは、自分に縋りつきようとする、誰か。そして、それを止めようとする誰か。
ぷつり、小さな痛みが走る、やがてそこからじわじわと痛みが治まりつつある。鎮痛剤か、麻酔薬なのか。段々とおぼろげになる意識の中、声が聞こえる。
「こちらは治験……」
「それで、それで助かるのなら!」
「でもこれは、人体実験みたいなもんじゃないですか!」
「いいえ、そうではなく……」
どうやら自分の治療方針などについて言い争われているらしい。その内容も、もう耳には届きづらくなっている。思うことは、この痛みが早く消えうせて欲しいことのみ。
「同意書は……」
同意書、なんの同意書だろうか。けれども、今の私はそれを読むことも、許諾することも、拒否することもできはしない。
そして消えいく視界の中、看護師が点滴パックに何かを注入する姿だけが見えた。
がばり、起き上がる。いったいどのくらいの時間を私は眠っていたのだろう。
そして驚くことは、体のどこにも痛みは無く、むしろここ十数年来のすっきりとした目覚め。そっと手足を動かせば、それらは何の問題も無く動く。それどころか全身がまるで羽が生えたかのように軽く、このままベッドから飛び起きて全力で走ることすらできそうに。
……事故に遭ったのは、夢だったのか。いや、あれは現実だ。証拠に今自分が居る部屋は、明らかに個室の病室だ。洗面所、応接セット、恐らく特別室といったところか。
部屋をぐるりと見回し、応接セットのソファに、誰かが眠っているのに気付く。それは遠方に住んでいるはずの母。ああ、そういえば、私に縋りつこうとしていたのは、母だった。そしてそれを止めようとしていたのは、弟だ。
「お母さん?」
そう呟いた自分の声に、違和感を感じる。長年の喫煙のせいでがさついていた声が、妙に澄んでいる。
と、母がその小さな声に気付き、転がり落ちるようにソファーからベッドのほうへと走り寄ってきた。
「○○ちゃん、大丈夫!?どこも痛くは無い!?」
飛びついてきたその体を抱きしめながら、私はまた違和感に気付く。年齢と共に節が目立ち、シミが浮かんでいた自分の手がとても滑らかで美しい手になっている。そう、まるで20代始めの頃のように。
そうこうしている内に、母は泣きながらナースコールを押し、そう待たない内うちに看護師が飛び込んできた。
痛みはありませんか?すぐに先生をお呼びしますね。
看護師はすぐに立ち去り、母はまた私に縋り付いてくる。それを少し抑え、先ほどからの違和感を確かめるべく、私は洗面台の前に立った。
「嘘、でしょ」
そこには一番美しい、若い頃の私が居た。いや、美しいなどと言うとナルシストと勘違いされそうだが、ぶくぶくと醜く太っていた体はピンとはりのある肌に覆われ、ウエストもヒップも美しい曲線を描き、バストもつんと上に向いている。
顔はと言えば、気になっていたシミや小じわは綺麗に消え去り、二十歳の頃のあの細いフェイスラインになっている。
そう、まるで私は、若返ったのかのようだった。肌をあちこち抓ってみるが、その感覚はどう考えても自分自身のもの。まるでライトノベルのように転生でもしたのか?などと馬鹿なことを考えたが、うしろから心配そうに覗き込む母は、記憶どおりの老けた姿だった。
そうであれば、やはり若返ったとしか思えない。見た目だけではなく、動くたびに筋肉や筋が滑らかに動くのを感じる。いくら美容整形をほどこしても、こうはいかないだろう。
聞きたい事は沢山ある。だが、今の状態の母がそれを上手く説明できるとは思えなかった。とにかく共にソファーに座り、涙ぐんでいる母を抱きしめていた。と、病室のドアがノックされる。
「どうぞ」
「失礼いたします。目が覚められたようで何より、どこか調子の悪いところはありませんか?」
ニコニコニコニコ、胡散臭い笑顔を貼り付けた医者が、書類とペンのようなものを持ってやってきた。
調子がおかしいのは間違いないが、それをどう説明すればよいのかも分からない。共に座っている母は、少し、ほんの少し震えていた。
「○○さんね、信号無視の車にの^ブレーキで撥ねられたんですよ。えーっと、まず両腕両足、脊椎の骨折、骨盤骨折、脳挫傷と……」
放っておけばいつまでもぺらぺらと喋りそうな医者の言葉をむりやりさえぎる。
「つまり私は、死にかけたと言うことですか。」
「ご理解が早くて助かります。その通りです。」
それだけの怪我を負いながら、何故私は今こんなに元気なのか。そして何故若返っているのか。
どの程度眠っていたのか、自分のスマートフォンはばきばきに壊れて使い物にならなくなっていたので、母のものを借りて日にちを確かめれば、。なんと私が眠っていたのは、たった一晩だった。
それらの質問を一気に医師にぶつけると、張り付いた笑顔が止まった。
「お母様、ご説明はされましたか?」
「すみません……なんと説明すればよいのか分からなくて……」
震えが少し大きくなった母をまた抱きしめ、医師を見つめる。
ふう、と一息つくと、医師はまた胡散臭い笑顔に戻った。
「貴女はまさに現代の奇跡を受けたのですよ!」
胡散臭い宗教のような言葉、張り付いた笑顔、全てが私をいらいらとさせる。
「そんな勧誘のようなキャッチコピーではなく、私は今現在私の体になにが起こったのかを知りたいんです!」
私のいらいらとした態度は気にも留めず、医師はまたニタニタと語りだした。そしてその内容は、まさに奇跡、賢者の石とも言えるようなものだった。
長寿が当たり前となった今現在、人々が求めるものは、『若返り』だ。
肌にあれこれと塗りたくり、糸で弛んだ頬を吊り上げ、シリコンを注入し。それでも人は、老いからは逃げられない。
老いるのはなぜか。それは細胞の交換がどんどんとスピードが落ちていくためだ。
もっとも細胞の交換が活性化しているのは、子供の体から大人の体へと成長し、つまりは人が一番美しく、力強かった時代だと言える。細胞を若返らせ、それを保ち続ける。それはあらゆる国の研究者もその方法を探しあぐねていたこと。
そしてとても、それはとてもおぞましく、すばらしいことに、とうとうその方法が発見された。
そこまで聞いても、私は全く納得など出来なかった。いや、誰もがそう思うだろうが、今現在私の身体は変わってしまっている。
「腕を出していただけますか?」
言われるがままに腕を出すと、医師がメスですっぱりと切った。
「いたっ、何するのよ!……え?」
痛みが走ったのほんの一瞬、傷口は血を零すことも無く、綺麗に消えてしまった。
「つまりはこういうことなんです、奇跡は人間の手によって起こされた、ということですね。」
細胞を活性化する薬品が開発された、ということらしい。それはただ若返らせるだけではなく、細胞が、つまり体のどこかが傷ついた瞬間に、それを回復させる作用を持っていた、自分の腕を見ながら呆然としている間にも、医師の説明は続く。
ご覧になったとおりですが、どんな傷や病気、がん細胞に至るまでこの細胞活性剤は回復して元通りに治してしまう作用があるのです。
ああ、見た目で驚かれましたか。貴女の細胞が最も元気だった頃に戻っていますから、厳密に言えば異なりますが、分かりやすく言えば若返った、ということです。
医師はニコニコと説明を続ける。何故だろう、私の頭はこれだけの情報量をするすると理解していく。手渡された書類にあるこ難しい文章も、するすると読み込んでいった。
「この薬にはですね、更に優れた作用があるんです!」
人はその体や脳の全てを使いこなしているわけではない。むしろ、使いこなせているのは僅かと言える。
だがこの薬は、細胞を予測できないほどのスピードで活性化させ、使われずにいた身体能力、知能までアップさせるという。
「私が聞きたいのは二つです。質問をよろしいですか?」
あえて冷静に、丁寧に言葉を発した私を医者は促した。
「まずこれだけの作用があるものに、副作用はないんですか?
それともう一つ、これはすでに実用化されているのですか?」
と、その質問をしたとき、母の震えがさらに大きくなり、顔を手で覆った。ほんの少しだけ表情を暗くした医者が、ほんの少し低い声で答えた。
「……この薬に関しては、まだ実用化されていません。所謂治験段階ということになります。
本来ならば貴女の承諾が必要になりますが、とても承諾を得られる状況ではなかったため、ご家族で話し合っていただいての結果となりました。
ああ、どうぞ誤解なさらないでください、ご家族は貴女にとっていちばん良いと思われる結論をだされたのですから!」
震えている母の身体を抱きしめる。恐らくここにはいないが、病院内のどこかで他の家族も待っているのだろう。お母さん、大丈夫だよ、そう呟いたところで、また医者の話が始まった。
「こういったものをご覧になったことはありますか?」
それはペンのようなものだった。いや、これには見覚えがある。重篤なアレルギーに陥った人に利用する、エピペンだ。
「ええ、容器の原理はエピペンと同じです。ただ、内容が違います。
……先ほど申し上げたように、貴女の身体は細胞活性剤によって復活しました。ですが、これが効くのは一日だけです。つまりは毎日、こちらを注射していただくこととなります。そして、副作用ですが……」
副作用、それはこういうことだった。この活性剤はあくまでも一日しかもたず、それを持続させるには毎日の投与、怪我などの具合によっては何本かの投与が必要になる。
そして投与を中断すると。
活性剤で保たれていた細胞はその維持が出来なくなり、腐り果てて死んでしまうと言うこと。
「なかなかの副作用ですね。いくら治験とはいえ、こんなものを人体に使用するには通常ならば許可されないのでは?」
悔しいことに、眠っていた脳も活性化されたということで、どんどんと疑問も疑いも生まれる。
「国か何らかの組織か知りませんが、随分と研究費用が出ているのですね。
あ、後お母さん、ここからは私だけで話を聞くから、外で待っててくれる?」
医者が明らかにほっとした顔をした。部外者には聞かれたくないことだろう。裏の話と言うことだ。
「別にあなた方を攻めているわけでもありませんし、家族からしてみればそれしか手段は思いつかなかったでしょう。
お互い、ここはメリットデメリットをはっきりさせて、ビジネスとして話をしましょう。じゃないと私は明日には腐って死にますからね。」
皮肉たっぷりに言葉を紡いだが、相手も百戦錬磨なのだろう、先ほどまでの医者らしい姿はかなぐり捨てて、ビジネスの顔になった。
「通常ならば、この薬一本で普通の家庭の収入が一月分は吹っ飛びますね。なので我々もただ無料で差し上げるわけにはいけません。」
つまりは、こちらのメリットは活性剤を潤沢に無料で用意してもらうこと。そしてデメリットは。
「貴女にはある仕事をしていただきます。ボディーガードがメインになります。
その仕事ぶりを見て、スポンサーが研究費用などを全て負担し、さらなる改良を行うことになります。なんせ活性剤の作用を見せなければいけないので、危険な仕事が当然多くなっていきます。
……まあ、活性剤を打った状態であれば、死ぬことはまずありませんがね。」
仕事は理解した。なるほど、これは治験者がまるでカタログのように見本になって、開発したものを買わせる、さらに開発を進ませると言うことだろう。
薬が無ければ自分は死ぬ。だが、先ほどの母の顔を思い出せば、それはとても出来ない。
仕事が無い時は自由にしてもいい、ただし身体に埋め込んだGPSによって常に居場所を把握されている。
家族や友人に会うことは禁止しないが、ごくたまにしか許可されない。それはいつまでも若い私の姿を見れば、周りも何らかの異常を感じるのだろうから。
腹はくくった。これ以上の選択肢は無い。
「それでは、どうぞこれから宜しく」
そういって差し出した私の手を、医者はまたニコニコと顔に貼り付けて、握った。
諸々の説明を受けた私は、そこで事故にあって初めて母親以外の家族と対面した。姉は目を真っ赤にし、弟はどこか不機嫌な顔をしていた。
家族の同意を得たとはいえ、条件が条件だ、納得できない部分も大きいのだろう。だから私たちは、無言で抱き合った。今までも離れていたため、一年に一度か二度しか会わなかった家族だが、これからは今までのように気軽に連絡も取れなくなる。
どこまで話してあるのかは分からないが、つまりこれは人質なのだと確信した。
もしも私が、細胞活性剤を注射せず自殺すれば、ご家族皆様同じところへお送りしますよ、そういうことなのだろう。これで私は、自分の生き死にの自由すら失ったのだ。若く力と能力に溢れた体と、決して少なくはない報酬と引き換えに。
時計を見ていた医者が、口を開いた。早く離れろと言わんばかりに。
「これからも全く会えないと言うことは無いですから」
あほらしい、どの言葉も嘘にしか聴こえない。会うことが出来る、といっても、一年に一度、数時間でも会えれば、と言う程度だろう。友人には恐らく二度と会えまい。もしかしたら、私は死んでいることにすらなっているかもしれない。
けれどももうそんなことを考える気力もなかった。道は一つしかないのだから。
「御寂しいとは思いますが、今日はここまで、ということで。
長距離ですから、どうぞお気をつけてお帰りください。お嬢さんはわたくしどもが責任もってバックアップいたします。」
とっとと帰れ、それは言われなくても誰もがわかった。手を離そうとしない母をもう一度ぎゅっと抱きしめ、振り返り振り返り、家族達は去っていった。
******
そして私は、そのままえらく上等な車に乗せられ、あちこちを走り回って目的地へと連れて行かれた。
道を覚えさせないようにしているのかもしれないが、あれほどの方向音痴だった自分が信じられないほどに、道を頭の中に記録していった。まあ、病院とは縁が切れないものだし、確実に隠そうと言う気も無いのだろう。
そして、真っ白で四角い、デザインなど無視したかのような建物のエントランスに、車は吸い込まれていった。
「ここが研究所、いわば貴女の職場、となります」
建物の大きさの割りには人が少ない印象のそこは、内装もまったく飾り気が無く、白衣を着た人間が歩いていた。
と、一人の女性が近づいてきた。女性は医者に軽く会釈をすると、私のほうに振り返った。愛想も何も無い顔で。
「こちらが貴女の担当者となる博士です。それでは私はこれで。」
何を聞く暇も無く、医者はとっとと玄関を出て行ってしまった。私がそれを見送っていると、博士、と言われた女性が言葉も無く、あごで行き先を示して歩き出した。その横柄な態度にカチンときたが、その間にも彼女はすたすたと歩いていくので、それを追う。行き先は、まるで空港のロビーを小さくしたような部屋。高そうなソファーやテーブルなどが並び、バーカウンターまである。どう見ても仕事場には見えなかった。
そしてそこには、若い男性と女性が一人づつ。それぞれソファーにもたれ掛けながら、ニコニコと私に手を振っていた。
「あの、博士」
「ドクターと呼んでください。この二人は貴女の同僚となります。」
私の質問をさえぎり、ドクターが無感情に話し出す。
つまり、この二人は自分と同じように、細胞活性剤で生きている人間だと言うこと。いずれは私も彼女や彼と同じように仕事をすることになること。
「活性剤に関してはもう説明を受けているようなので割愛します。
ここでは、貴女をスリーと呼びます。彼女がツー、彼がワンです。仕事の細かな要領などは、彼らに聞くこと。
そしてスリー、貴女はこれから一ヶ月、研修を受けていただきます。」
随分単純なネーミングだが、ドクター達にすれば、私たちは、実験台のモルモットに過ぎない。自分でも恐ろしいほど、冷静に事態を呑み込み始めた。そしてまた部屋の移動を、無言で促される。
案内された部屋は、トレーニングルームと柔道場が一緒になったような部屋だった。そうか、建物の面積のわりには人が少ないのは、こういった施設があるからか。
と、ドクターが私に何かを手渡した。それはベルト、と言うのだろうか。時計のメタルベルトを太く長くしたようなもので、片方は切っ先のようになっており、片方は手で握りやすいようになっている。重さはかなりある。
ああ、そういえば彼ら、ワンとツーも同じものを腰に巻いていた。
「聞いていますか?」
いらいらした顔でドクターが私を見る、勿論話は聞いていたが、彼女はどうやらかなり気が短いらしい。
銃刀法がある日本では、警察と自衛隊員、あとは狩猟をする人程度にしか銃の所持は認められていない。その為これは、それをカバーする武器だと、早口に説明された。
「あの、使い方は」
「貴女方のように細胞活性剤で強化している人間は片手で充分扱えますが、私は普通の人間なので。」
いちいち人の話の腰を折り、無意識に嫌味を込めているところがどうにも気に食わない。ドクターといえど、そんな人間ばかりでもなかろう。貴女友達以内でしょ、と言う言葉をぐっと呑み込んだ。
「このように鞭のように振るえば、この程度のものは砕けます。」
バキン!強い音を立てて、コンクリートの塊が砕け散った。そのベルトを力いっぱい一振りしただけで。
「貴女方の力であれば、もっと固いものも砕くことが出来ます。そしてこのスイッチを押すと……」
それまでぐんにゃりとたれていたベルトが真っ直ぐになり、それはまるで剣のような形状になった。と、またしてもドクターが両手でそれを振ると、分厚いマットレスの束がすぱりと切れた。
「これめちゃくちゃ便利ですごいですけど、銃刀法違反になりません?」
その質問をした途端、ドクターが少し笑顔になる。 何とはなしに分かってきたが、自分の開発したものを褒められるとどうもすこしは
柔らかい表情になるらしい。
「使うところを見られなければ、ただのベルトです。」
そう言った彼女が、私にベルトを渡し、また無表情に戻る。
「これから貴女は一ヶ月間、あらゆる格闘線の訓練と仕事のための座学を叩き込んでもらいます。活性剤によって覚醒した頭脳と身体能力なら楽なものでしょう。」
ではこれで、とも言わず、彼女は出て行った。ひとしきりその部屋で待ってみたが、誰かが来る気配も無い。仕方なく、先ほどのラウンジに戻った。
「改めてよろしく、スリー」
この呼び名にも慣れなければ、ということか。同僚であり先輩である彼らは、なかなか陽気な人物に見えた。そしてそれぞれベルトに合った服装をしている。
「格闘訓練とかは明日からだから、今日はまあ、俺らとお話してれば良いよ。
で、君はどんなことで死にかけ寸前になったわけ?」
「ちょっとワン、そんな言い方は無いでしょ!」
ワン、彼はなんでも無理心中しようとした父親がガソリンを家に撒き、火をつけられて大やけどを負ったそうだ。息のあったのは彼だけ、つまり彼は合意はないままで活性化させられた。
「ま、まだ死にたくなかったし、なんせ痛かったからどうにかしてーって感じよね。」
ワンの名の通り、彼はいちばん最初の治験者となった。活性剤を注射した途端に炭化した肌がぼろぼろと落ち、皮膚も髪も全て復活したそうだ。
ツー、彼女はストーカーに滅多刺しにされた。出血量で瀕死の中、私のように家族の合意で活性剤を使用された。
「ストーカー?勿論捕まったわよ。まあ、釈放されてからの行方なんて知らないけど。」
活性剤の作用のため、20代前半程度にしか見えなかったが、恐らく年齢はバラバラなのだろう。
……ワンもツーもそれなりの事件になったはずだけど、覚えが無いな……。もともとニュースを見るほうで、能が活性化された分こまかな記憶も思い出せているのだが、どうにもその二つの事件は思い出せない。
まあ、いいか。
ラウンジに訪れた事務員らしき人に、私がこれから住むことになるなかなか豪華なマンションの説明をされ、クレジットカードと現金、ついでに車のキーまで渡された頃には、そんな憂いはすっかり散っていた。
……後から憎しみを爆発させることになるとも知らず。
******
「スリー、貴女の車はこちらになります。カーナビにこれから住むことになるマンションの行き先も登録されています。
運転はできる、ということで宜しいですね?」
駐車場に連れて行かれ、見せられたのはずっと憧れていた真っ赤な国産のスポーツカーだった。
「当然ではありますが、事故などに遭った時に搬送先の病院が違うと大変なことになりますので、運転には注意してください。
あと、これは常に携帯して置くように。」
そう言われて渡されたのは、私の顔で、私の名前ではない免許証だった。
どういうことだろう、いぶかしげには思ったが、先ほどワンとツーと話をした限りではどうやら裏での仕事が多いらしい。万が一の時に、偽名にしてあるのだろう。
それにしても、だ。
「あのこれ、偽造」
「精密に作ってあります。万が一免許証を警察に調べられても絶対にばれません。後こちらも大切に保管すること。それでは私はこれで。
……くれぐれも、本名を使わないように慣れてください。」
全く、この会社には最後まで人の話を聞かないような人間ばかりなのだろうか。
渡されたのは免許証のほかに、パスポートとマイナンバーカード。どこまでも徹底しているらしい。
偽名を使うことには抵抗があったが、それが決まりならば仕方が無い。何かあっても家族のほうに害が及ぶことは無いはずだ。
それよりも何よりも、私は憧れの車が自分のものになったことに興奮し、単純すぎるほど話を信じてしまった。
それは、本当におろかに。
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