第4話 武士の今様処世術

 ”目覚め”後の最初の江戸勤番。敬忠は日本橋通油町へと足を運ぶ。行先は蔦屋―――当時名をはせた本の版元、蔦屋重三郎のところへと。新たに書き溜めた戯作の原稿と一つの提案を抱いて。

「これは、これは―――柳橋様。いつもこのようなところまで―――」

 上座に席を譲り、平伏する重三郎。無理もない。小なりとはいえ親藩の家老である。そんな、重三郎に対して敬忠は正座して頭を下げる。蔦屋重三郎。江戸の大版元の元締め。「蔦重」の名でも知られ、寛政の改革で財産の半分を失った後も出版活動を続けた気骨のある人物である。

「―――蔦屋殿にお願いがございます」

 顔を上げ不思議そうな顔をする重三郎。

「これからいうことを、信じていただけるのもそうでないのも蔦屋殿のご随意に」

 そう切り出した敬忠。目の前に例の”ノート”を取り出し、先日の”目覚め”た経験をゆっくりと説明する。令和の世界も、記憶も。無言でそれに聞き入る重三郎。すべてを語り終えたのちに、敬忠はすっかり冷えてしまった茶に手を伸ばす。

「―――不思議な話ですな、柳橋様の今までおかきになった戯作とも色合いが違う。というかそのような話はいまだ読んだことがないですな、この蔦屋重三郎としても」

 重三郎の目が鈍く光る。商人であり、版元であり、それ以上に狂歌師、創作者としてのクリエイティブな才に恵まれた重三郎自身の。

 数か月後、敬忠の新たなペンネーム「笈川月町」の戯作本が蔦屋から発表される。それは敬忠の新たな道を切り開く一冊であった―――


 開け放たれた障子の外からは虫の音が聞こえる。令和であれば無機質なコンクリートが見えるはずの外には、池とそれに垂れる木々が青々しく揺れる。

「もう一献いかがですか...柳橋様」

 外の風景を眺めていた敬忠に後ろから声を重三郎がかける。

「それもいいな。併せて名は月町でお願いできようか」

 普段はあまり酒の飲めぬ敬忠ではあるが、今日は特別である。初版としては別格の一千部突破。現在もなお重版を重ねている状態である。

「月町先生のご慧眼にはただただ感服するばかりです。商才もお有りとは」

「単なる、猿真似なのですけどね。いわゆる”さんぷりんぐまーけてぃんぐ”というやつです」

 ははあ、と酒混じりの感嘆のため息を漏らす重三郎。正直言葉は理解できないのは明らかではあるが、その意図は完全に掴んでいたはずだ。

 ここは重三郎の行きつけの小料理屋。八百善ほどの有名な店ではないが、味は勝るとも劣らない。 

 今日は敬忠のお祝いであった。「笈川月町」デビューの。

「しかし、最初に先生の話を聞いたときには......どうしようかと思いましたよ。最初の一巻は貸本屋には無料で配れという話を聞いたときには」

 うん、と猪口を手に頷く敬忠。

「その後が大変でございました。分冊にしていた2巻を早く読みたいという要望が出版元のうちに寄せられ―――貸本屋も早く納品してくれの一本槍で―――二巻は一巻の倍くらいははけた感じでこざいます。二巻を事前に数百部印刷しておりましたのに全然足りず、今なお増刷中です。一巻も同じく―――そしてやはり、一巻の盛り上がり。あの一巻の結末を見れば次が読みたくなるのも必定、うまい考えでございます」

 重三郎が居住まいを正してそう答える。

「しかし、先生―――先生はそんなに金子にはこだわらない方とお見受けしておりましたが。いかがな心境のご変化で。われわれ下々の欲深い商人にも思いもつかぬ方法で、売上を目指すのは」

 それまで正座していた敬忠は足を崩す。そして外の月を眺めながら、本心を明かす―――

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