第2話 アキコさんとスミコさん
さっきも言ったみたいに、私もスミコさんはちょっと変わった人だという印象はありました。でも、そんな名前を聞いただけで怖がられるほどの人なのだろうか、と疑問を感じていたのが正直なところです。というよりも、そのときはどちらかというとアキコさんの気にしすぎなんじゃないか……って思ったんです。
アキコさんは結構神経質な人で、毎日のルーティーンの仕事などは、ほんとに判をおしたようにこなすんです。同じ手順で、同じタイミングで。どれもすごくちゃんとしていて、見習うべきだとは思うんですけど、それにしたってちょっと度を越しています。数字とかもすごい強いですし、ミスもほとんどなくって、尊敬できるところいっぱいあるんですけど、この人はその分、繊細で神経質なんだろうなぁって。
スミコさんがそこまで変な人に見えなかったこともあって、アキコさんが気にしすぎなんじゃないかって思いがどんどん強まっていきました。それに、そう思っていたのは私だけじゃなかったみたいです。
アキコさんはその日、お休みしていたか、どこかに少し出ていたのか……とにかくアキコさんが居ないときに、上司の女の人とアキコさんの話題になったんです。「あの人、神経質でしょ? 下で働くの大変じゃない?」そんな感じで話が始まったように思います。大変だと思ったことはなかったのはホントですし、「全然大丈夫ですよ。とても親切にしてもらっています」と答えました。しかしその後、上司が言ったことは驚くべきことでした。
「あの人ね、半分病気みたいなもんじゃないかと思うのよ。ほら……神経質って言ってもさ、いくらなんでもちょっと度が過ぎるでしょ?」上司は、顔を近づけ、声をひそめ続けます。
「それにね、ほら隣にスミコさんって人がいるでしょ。前にあの人とモメたことがあるのよ」
「え、本当ですか?」
「そうなのよ。なんかでもしょうもないことなのよ。朝、会社にきたらお弁当持ってきてる人は冷蔵庫に入れたりするでしょ? そのアキコさんのお弁当をね、『スミコさんがゆすったから中身がちょっとかたよってる』とか言いだしたのよ」
「スミコさんがやってるところを見たってことですか? というか、お弁当がかたよるって……。その、持ってくるときにちょっと揺れちゃったとかでもかたよりますよね」
「私ね、実際にそのお弁当見せてもらったんだけど、これがまた、すっごい微妙でね。確かに寄ってる、と言われれば寄っている感じなんだけど、それこそ来る途中にちょっと揺れたんじゃないのって感じ。それに、スミコさんがゆすってるのを直接見たわけでもないみたいなのよ。ただ、冷蔵庫って確かに使う人が限られるし、状況的に考えてスミコさんに間違いないって。アキコさんがそんなこと言い出して、結構オオゴトになったのよ」
上司はケラケラと笑いながら話していましたけれど、私はそれを聞いて、とても笑えるような気分ではありませんでした。
私はだんだん疑心暗鬼のようになっていきました。私からすれば、スミコさんもそれほど変な人じゃなかったですし、アキコさんも良い上司です。それなのに自分だけが知らないまま、壁を一枚はさんだ後ろ側で、なにかどす黒いものが轟音を立てて流れているのを垣間見てしまったような、そんな気持ち悪さを感じるようになってしまったのです。
そして状況は悪いほうに変わっていきました。スミコさんの矛先が私にも向くようになってきたのです。
「ちょっと話があるんだけどいい?」
スミコさんがそうやって、私に話しかけてきたのは、やはりアキコさんが居ない日のことでした。まわりには他に誰もいませんでした。
「あっはい……。もしかして私、なにかやらかしましたか?」
「いいえ。なにかっていうんじゃないんだけど……。そのトイレのことなんだけど」
「トイレ……ですか」
「ええそうなの。あなた、私と同じタイミングでトイレに行くでしょう? それが……ちょっと気になって」
「あ、時間かぶってました? それはすいませんでした。気をつけます! ――あれ? でも、……その、別にトイレで会ったりしてないですよね?」
「時間じゃないわよ。タイミングの話。私が例えば12時5分にトイレに立ったら、あなたも1時5分にトイレに立つ、とか。そういうタイミングの話よ」
私はスミコさんの言っている意味がわからず、思わず聞きかえした。
「――え? ちょっと待ってください。その……同じ時間、とかじゃないってことですよね? 同じ……タイミング? ですか?」
「そうよ。タイミング。それ、気になるからやめてほしいの」
正直、私には理解できませんでした。同じ時間にトイレに立ってしまって、タイミングを合わせて休憩しているように見えるから外聞が悪い、というならまだわかります。でも、同じ「タイミング」というのはいったい……。そんなこと意識したこともありませんでした。隣同士とはいえ距離もあるし、部署も違うのに、私がトイレに立つタイミングをいちいち見ていたということでしょうか。
強気な人ならここで「スミコさんの考えすぎじゃないですか」とでも言って反論したかもしれません。でも、とてもじゃありませんけれど、私にはそんな芸当はできません。
「すみません。あの、今度から気をつけます……」
私にできたのは、何の自信も納得もないまま、空手形を出して逃げ帰ってくることだけでした。スミコさんの、あの黒目がちで何も映していないかのような瞳が忘れられず、その日はなかなか眠ることができませんでした。
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