退職の理由は

竹野きのこ

第1話 最初の印象は

 ――あ、退職の理由ですか?

 まあ聞かれますよね。その、一言でいえば「人間関係」ってやつです。あの……、というかちょっとホント聞いてもらっていいですか? 正直、あの会社にはもう二度と行きたくありません。


 配属されてすぐは、別になんの問題もありませんでした。いや、むしろいい感じの職場だなって思ったんです。名の知れてる大企業とかじゃありませんけど、うちからは近かったし、小ギレイだったし。

 一緒の部署の女の人……アキコさんっていう名前で、直属の上司になる人がいて、その人はいい人でした。もの静かで、ちょっと神経質そうで。楽しくおしゃべりができるってタイプじゃないですけど、必要以上にからんでこないし、職場の人間関係なんてそのくらいが一番いいってものですよね。

 仕事内容もそんなに難しくなかったです。まぁ日によって色々ですけど、毎日忙しいわけでもありません。残業もほとんどありませんでしたね。だから職場としてはこれは「当たり」だなって……最初は思ったんですよ。


 なんかおかしいなって思いはじめたのは、入ってから2週間くらいたってからだったと思います。うちの部署の女性は私と、アキコさんの2人だけしかいないんですけど、すぐ隣には別の部署があって、そっちに女の人がひとり居たんです。名前はスミコさんといいます。

 ひっつめ髪にほとんどいつもノーメイクで……。私服もなんていうかちょっとダサくて、印象としては「田舎くさいおばさん」って感じでした。確か40代のはずですけど、顔立ちもどことなく幼くて、田舎学生がそのまま年を取っちゃった、みたいな。まあ良くいるオツボネってやつなのかなって。そんな印象でしたし、あんまりからむことはないだろうなって思ったのを覚えてます。


 でもその日、出社したらスミコさんが私の机にフラっと近寄ってきたんです。なにかと思ったらいきなりケータイを見せられました。そこには写真が表示されていてアキコさんが写っていたんです。普通に事務作業か何かをしている写真で、隠しどり……というか、少なくとも「写真とるよ」とことわってとったような写真ではありませんでした。

 そして写真以上に驚いたのは、スミコさんが続けて言った言葉でした。


「ブスに写ってるでしょ?」


 急にこの人はなにを言っているんだろう? 一瞬頭は真っ白になりました。その時はまだアキコさんとスミコさんの関係性もよく知りません。もしかしたら、そうやってけなし合うことが、彼女たちの通常のコミュニケーションなのかもしれません。

 でもこういうときに否定をしても、肯定をしても後々いいことはない、ということは重々承知しているつもりです。だからその時もあえて直接回答するのはさけて言ったんです。


「あ、アキコさんですね。そういえばアキコさん、今日、有給でお休みなんですよねー。3連休にして、どこか旅行でも行ってるんですかねー? うらやましいですよね」


 するとスミコさんは望んでいた反応ではなかったのか、何も言わず、ぷいっと自分の席に戻っていってしまいました。私の返答が正解だったのかはわかりません。ただその時初めて、ちょっとこの人は変わっているんだな、という印象を持ちました。



 「ちょっと変わっている人」という、スミコさんに対する最初の印象はだんだん変わっていきます。アキコさんの反応を見ていたらわかってきたんです。

 アキコさんは徹底的にスミコさんを避けていました。違う部署なので、基本的にかかわることはありませんが、たまに伝えなければならないことがあったりすることもあります。そういうときアキコさんは必ずスミコさんのいないときを狙って、スミコさん以外の人に伝えていました。どうしても急ぎの用事のときは、私に伝言を頼みました。

 それだけじゃありません。朝、アキコさんは結構早めに会社に来るんです。始業は8時半で、うちの会社は結構ギリギリに来る人がほとんどなんですよ。私もそれで構わないって言われていました。でも、アキコさんは7時半くらいにはもう来てるんです。営業さんとかで早く来る人はいるので、フロアで見ればそれほど珍しくありませんけど、女子社員がそれほど早く来る必要ってないはずなんですよね。


 不思議だなぁって思っていたんですけど、あるとき気がついたんです。もしかしたら、更衣室でスミコさんと鉢合わせるのを避けてるんじゃないかって。さっき言ったように、アキコさんは、異常なまでにスミコさんを避けてました。だから更衣室とかの、人目の少ないところで鉢合わせるのを嫌がってるんじゃないかって。

 どうしても気になってきたので、あるとき私、ふたりだけになったタイミングでアキコさんに聞いてみたんです。


「アキコさん。――アキコさんって、その……スミコさんとなにかあったんですか?」


 そのときアキコさんはビクッと体を震わせました。その名前を聞くだけでも身の毛がよだつ、そんな空気が伝わってきました。


「悪いことは言わないから……あの人には、近づかない方がいいわよ。今にきっとわかるから……」


 アキコさんはスミコさんについてそれ以上、なにも教えてくれませんでした。

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