第2話 姫君の剣
城下町から辺境の村に至るまで、国中が同じ話題で持ちきりになっていた。
「聞いたか? 新しく来た“七ツ宝具”の話」
――七ツ宝具。それは七人の戦士に与えられた称号である。
国中から城に集めた者の中でもとりわけ抜きんでた実力者。剣術と魔術に長けた者。王族の傍らに控える護衛兵のことを、この国では“宝具“と呼んでいた。
それが七人。だから七ツ宝具。
そんな七ツ宝具の一人が引退を表明した。要職に突然できた空位。国中が騒ぎになった。
そして注目をした。新しい七ツ宝具は誰になるのか、と。
あらゆる人々が噂をした。ただもっとも気にしているのは、貴族でも民衆でも兵士でもない。
護衛される本人だ。
「――新しい七ツ宝具の人……どんな人なんだろ」
王家ソレイユ一族の一人娘。キャロルはそわそわと自室を歩き回っていた。
前任の護衛が職を辞してひと月。ついに新しい七ツ宝具が決まった。そんな報告を彼女が受けたのは今朝のことだ。
七ツ宝具の選抜試験は非公開。王家の関係者にも全貌を知る者は少ない。姫君であるキャロルも例外ではなかった。
聞かされていたのは街に出回っている噂話とほぼ同じ。
どうも十五歳の少年らしい。という情報だけである。
「私と同い年。こんなに若いのに七ツ宝具に選ばれるって滅多にないこと、よね。
きっとすごい人なんだろうなぁ。気難しい人じゃないといいけれど」
七ツ宝具に選ばれた時点で護衛の実力に不安はない。そんなことよりも、少年の人柄のほうにキャロルの関心は向いていた。
姫が護衛とともに過ごす時間は決して短くない。
そして言い方は悪いが、七ツ宝具は曲者の巣窟。
できればみんなと仲良くできる人ならいいな。心からそう思っていた。
『面白い子ですよ、新入りの彼。人柄も魔術も。私は嫌いじゃないかな。
最初はびっくりするかもですけど、悪い子じゃない。
とにかく、会ってみてのお楽しみということで』
選抜試験に立ち会った七ツ宝具の一人は少年の印象をそんな風に話していた。しかし細かい情報はほとんど得られなかった。
「と、とりあえず第一印象は大事よね。自分の仕える人がだらしなかったら嫌だものね。言葉づかいとか作法とかちゃんとしなくちゃ」
お姫様モードお姫様モード、と。キャロルは大きく深呼吸をした。
扉を叩く音がした。「入りなさい」キャロルが気品たっぷりの口調で返す。
「失礼します」挨拶とともに燕尾服の男が扉を開けた。
目から髪から服装まで、全身が上品な黒にまとまっている男。
七ツ宝具の一人、“姫君の盾”。クロード=フィッツジェラルドだ。
そしてその脇に少年はいた。
「七ツ宝具“姫君の剣”こと、ウィル=ストレイガをお連れしました」
クロードがひざまずくと、それに倣ってウィルも膝をついた。「ご苦労でした」そう言って、キャロルがウィルの前に歩み寄る。
「頭を上げなさい。わたくしの剣」
呼ばれ慣れていないせいか、少し間を空けてウィルは顔を上げた。
「わたくしはキャロル=ソレイユ。この国を治めるソレイユ王家のプリンセスです。
ウィル=ストレイガ。あなたには他の七ツ宝具とともに、わたくしの護衛を務めてもらうことになります。よい働きを期待していますよ」
キャロルが上品に微笑んだ。ウィルはキャロルじっと見つめると、小さく会釈をした。
「――」
「――」
――え? なんでこの子なにも喋らないの?
予想外の沈黙にキャロルは視線を泳がせた。そしてクロードを招き、小さく耳打ちをした。
「彼は異国の生まれでしたか? それならば通訳を……」
「いえ、言葉は通じています」
「? そうなのですか。ではなぜ何も」
「許可なく口を開かないよう私が命じましたゆえ」
クロードの返事にキャロルは首を傾げた。なぜそんな命令を?
視線で尋ねると「姫君に不快な思いをさせる心配がありますゆえに」クロードはそう答えた。
でも私が一方的に話すだけじゃ間がもたないじゃない……。沈黙を守っているウィルを一瞥して、キャロルは再びクロードに向きなおった。
「彼はまだ少年です。少しくらい礼儀に難があろうと気には留めません。
――ウィル、自己紹介をなさい。わたくしが許します」
気持ちを落ち着かせたキャロルが再び微笑みをつくる。ウィルはまた小さく頷くと、固く閉ざしていた口を開いた。
「悪いな、キャロル。助かったよ。息がつまりそうだった」
「ちょっとタイム」
キャロルは手のひらをウィルに向けると、再びクロードを招いた。大きく深呼吸。そしてクロードに耳打ちをした。
「気のせいかしら……普通に『キャロル』って呼ばれたふうに聞こえたわ」
「はい。あろうことか呼び捨てでした」
「とても近い目線で話された気がしたけれど」
「姫君のお耳に誤りはございません」
やっぱり? 恭しく頷いたクロードに、キャロルはこめかみを軽く抑えた。
何から突っ込んでいいかわからない。
「とりあえず……彼は何者なのですか」
いちばん根本的なところを尋ねてみる。「ストレイガ家の子息です」クロードからそんな答えが返された。
ストレイガ家。キャロルも名前は耳にしたことがあった。
権力に頓着がなく、経済的にはさほど裕福ではないものの、名高い魔術師を何人も輩出している名家だ。
「ストレイガ家の子息であるならば、それなりの教育を受けているはず……よね。それなのに」
どうしてこうなった。
キャロルは最後の一言を飲み込んだが、クロードにもその意図は伝わったらしい。
「彼はストレイガ家の嫡子ではありません」
「養い子ということですか」
「そのようです。ストレイガ家に入るまでの経歴はわかりません。
ですがそれまで教養をろくに施されずに育ったらしく、それゆえ敬語はまったく話すことができません」
ほんとに? キャロルは思わずウィルを見た。
「悪気はないんだ。こんな言葉遣いだが」
ウィルは悪びれずそう返した。相変わらずのタメ口で。
「姫君が不快に感じるのであれば、斬って捨てますが」
本人の居る前でありながら、クロードはそんな進言をした。「待ちなさい。展開を整理するから」キャロルがそう言ってなだめる。
七ツ宝具にとって王族の命令は絶対だ。
安易に頷いて血の海を広げたくはない。
「あまりこういう感じで話されたことがないから驚いただけ。
――二人で話をしたいわ。クロード。あなたは少し下がっていて」
クロードは礼儀とかにうるさい。だからこそいま、私も話し方には細心の注意を払っている。
このままだとウィルは本当に斬られるかもしれない。キャロルはひやひやして仕方がなかった。
黒い瞳をじっとウィルに向けながら、しかしクロードは何も言わずにお辞儀をした。
クロードの退出を見届け、キャロルはやっと息をついた。
「気を遣わせたな」
「い、いいえ。そんなことよりもあなた、本当に敬語が話せないの?」
「聞いての通りだ。使わないんじゃなくて、使えない」
「全く?」
「ん。下手すぎて伝わらないってよく言われるな」
敬語が下手ってどういう感じなのだろう。いまいちピンとこない。
「ためしに話してみることはできる? 簡単な自己紹介とか」
キャロルの要請に、ウィルは特に嫌がるそぶりもみせず頷いた。
「じゃあ話すぞ。こほん」
咳払いをするウィル。固唾をのむキャロル。
「オ……ワタシノナマエハウィルダ……デス。……マス? ナナツホウグトシテヒメサン、オヒメサン? ノゴエイヲツトメサセテクダ」
「わかった。わかったわ充分よ」
キャロルがストップをかけると、ウィルは「な?」と締めてばつが悪そうに笑った。
「敬語がどうのっていうか……どうしてカタコトになるの?」
「無理に敬語を使おうとして、そっちに気をとられ過ぎてるんだと思う。
それでも敬語のほうがいいか?」
「――とりあえず、今はその話し方でいいわ」
本当に悪気はなさそうだし、何より聞き取りづらくて仕方がない。いったんキャロルはウィルの言葉づかいをよしとした。
しかし放っておくのもまずい気がした。クロードをはじめ、ウィルの話し方をよく思わない者も少なくはないはずだ。
「これについては方策を考えましょう。本当にクロードが何かするかもしれないし」
キャロルの呟きにウィルも相槌をうった。
「俺も喧嘩は嫌だな。一緒に働く同僚に怪我はさせられない」
「――。クロードも“盾”の称号を持つ七ツ宝具の一人よ」
さすがにキャロルは口を挟んだ。クロードの力を知らずに安易な真似をすれば、本当に死人が出ることになる。
「彼の魔術はあらゆる攻撃手段を防ぐ力を持つわ。ウィル。あなたも確かな力量を持つ……のだとは思うけれど、相手がクロードではきっと何もできないと思う」
少し強い口調になってしまった。けれど仕方がない。キャロルは自分に言い聞かせてウィルを見据えた。
「そういうつもりじゃなくて……なんて言えばいいか」
ウィルは頭を掻きながら、ぽつぽつと言葉をつないだ。
「俺の剣は“相手がどんなに硬くても関係なく斬ってしまう”」
「え?」
「防御性能を無視して敵を一刀両断する。それが俺の魔術だ」
キャロルは目を丸くして息をのんだ。「クロードの“盾”は鋼の硬度を誇るわ」そんな言葉を返すと
「鋼くらいなら物の数じゃない」
ウィルは平然と口にした。
“姫君の剣”ウィル=ストレイガ。
彼の手にした剣は、あらゆるものを断つことができる。
「やっぱり心配か?」
目を丸くしてかたまっているキャロルに、ウィルは訊いた。
「俺はこの力のおかげで選抜試験を通ることができた。教養やらなんやらがダメでも、とにかく強さを買われて七ツ宝具の一人に選ばれた。
けど裏を返せば、かなり危険な刃物を傍に置いておくのと同じだ。育ちの悪さも折り紙つきだしな。
試験官をやってた七ツ宝具の一人は俺を推してくれた。
けどクロードみたいに俺を信用できない人が大多数だろうし、それが普通だろう。自分でそう思う」
言葉は粗いが、ウィルは少し心配そうにキャロルの顔を窺っていた。
それは初対面の相手にちゃんと受け入れてもらえたかを気にする、普通の少年の姿だった。
『最初はびっくりするかもですけど、悪い子じゃない』
――聞いていた通りなのかも。キャロルは表情を緩め、穏やかに口を開いた。
「私はあなたに、よい働きを期待すると言いました。その言葉に訂正はありません」
「ホントか? いかにも命令とか聞かなそうに見えないか」
「見えない」
キャロルは迷わず首を振った。
「“許しがあるまで口を開かない”その命令をウィルはちゃんと守ってた。
クロードがあなたを信用していなくても、あなたは約束を破らなかったじゃない。
それで充分よ。いまのところはね」
本当に信用していなかったら、そもそもクロードを外に出して二人きりになったりはしない。
そんな当たり前のことに、ウィルはやっと気がついたらしい。ほっとしたように表情を緩ませた。あどけない笑顔だった。
「これからよろしく。キャロル……オヒメサマ」
「無理して丁寧に呼ばなくていいよ。でも他に人がいる前では気をつけてね」
「――キャロルもな」
「?」
「喋り方。最初と違ってるぞ」
あ、しまったお姫様モード……! 指摘されてキャロルは顔を紅くした。
「こ、こほん。他の者がいる場所では弁えるのですよ」
「いや手遅れだろ」
「うー!」
顔を覆うキャロル。ウィルは「気にするな」そう言って再びキャロルの前に跪いた。
そして動作を確認しながら敬礼の姿勢をとる。あまりにぎこちない忠誠の証。
指の隙間から見て、キャロルは思わず笑ってしまった。
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