第10章  十月十九日(土) 〜 2(6)

 2(6)

 



 二十年前までの数年間、確かに村上久子は幸一らとの距離は近かった。しかしそれは婦長という立場が前提で、実際彼女は直美の告別式にも出ていない。そして直美の死後ずっと、幸一ついても何ら知らないままだった。ところが突然、予想もしていなかった電話が入る。そして「本田幸一」と名乗られても、久子は彼を思い出せない。矢野直美の名が出てやっと、若かりし頃の幸一を思い浮かべることができたのだ。

「彼はね、あなたがうちに来ることを知って、わたしに電話を掛けてきたのよ。直美ちゃんとのことを知られたくないからって、そのことを絶対に、あなたには言わないで欲しいって言ってきてね」

 どうして電話してまで隠そうとしたか? それについては謎だったが、ただ単に、過去の辛い思い出に、触れて欲しくなかっただけかもしれない……。

「でも、わたしうっかり見せちゃったでしょ? 彼と直美ちゃんが写っている写真。だからいろいろと考えて、やっぱりそのことも伝えておこうと思ったの。で、彼の携帯に電話したんだけど、なかなか出てくれなくて、それで折り返し掛かってきたと思ったら、事故現場に居合わせた人からだったのよ」

 そしてその直後、警察からも電話が入り、彼女は慌てて美津子の会社に電話した。さらに入院した病院にも駆け付けて、幸一が独身だとそこで初めて知ったのだった。

「初めはね、奥さんに知られたくないからだって、わたし思ってたわ。だってほら、彼、いい男じゃない? それにお医者さんだっていうんだから、独身のはずないって思ってたの。それに、もし結婚してないのなら、内緒にしたいなんて思わないだろうしね……」

 そうして病院で由子を見掛け、幸一の連れ合いだと勘違いして声を掛けた。

「そしたら違いますって、本当に独身なんですっておっしゃるの。それでね、それからずっと気になっちゃって、だから、こんな時間に電話しちゃって、ごめんなさいね」

 退院祝いをした夜のことだ。ワインで酔い潰れた幸喜の隣で、美津子は受話器を手に久子の声を聞いていた。

「彼女がなぜ急に、そんな話を切り出したのかはわかりません。本気でそう思っていたのか、単なる思い付きだったか……でもね、それを聞いた彼は、本当に嬉しそうに話していましたよ。二人で、高尾山に登った次の日に……」

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