第9章   もうひとつの視点 〜 3(4)

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 一方幸一の方は、目の前で焼かれるうるめぼしが気になるらしく、さっきから囲炉裏の様子ばかり気にしている。由子の問いにも黙ったままで、言葉一つ返そうとしなかった。しかし頭の中では、きっと言葉を探していたのだ。その問い掛けがあってから、世話しなく動いていた彼の視線がピタッと動きを止めている。

「言いたくないなら、無理に答えなくたっていいけどね」

 黙ったままの幸一に、由子がそう続けた途端だった。まさに唐突というべき印象で、いきなり幸一が笑い出した。もちろん他の客が何事かと目を向けるが、そんなのに気付かないくらいの大笑い。呆気に取られる由子に向けて、

 ――ごめん、ごめん。

 彼はそんな感じに両手を合わせて頭を下げた。その頭も上下に震え、

「違うんだ、ごめん……」

 やっと声にしたそんな言葉も、細かな震えとともにある。

「いや、本当にごめん。いろいろ考えてたら、急におかしくなっちゃってさ」

 幸一はようやく真剣な顔でそう言うが、由子の目には不信の色がはっきりくっきり浮かんでいる。そんな彼女を目の前にして、彼はやっと覚悟を決めたようだった。グラスに残っていた水割りを飲み干し、そこで由子の顔をしっかりと見つめる。

「さっき、みんなの前でも言ったけどさ、彼女とのことは二十年も前のことだ。最近じゃもう、滅多に思い出すこともなくなっていたよ。こんなことさえなきゃさ、きっとこのまま、忘れていけたのかなってくらいだった……」

 こんなこと――とは、幸一の起こした事故であり、直美の遺した日記帳のことだろう。

「もちろん、付き合ったことくらいは何度かあるよ。でもホント、これがめぐり合わせってことなんだろうな、結婚してもいいって思うとさ、知らないうちにダメになっちゃったりね、まあ決定的なのは、やっぱり仕事仕事だったから、これまでずっと……」

「ふーん、でもさ、どうして? そんなことを考えてると、どうして笑えちゃうほどにおかしいってことになるのかな?」

「ああ、そうそう、そうだったね、参ったな、やっぱり聞くの? それ……」

 おどけるようにそう言って、幸一は由子の顔を覗き込んだ。すると由子はここぞとばかりに大きな頷きで返すのだ。

 ――もちろん! 聞かせて頂きます!

 幸一の目をしっかり見つめ、そんな感じを顔一杯で表現した。そして彼女の眼差しに、幸一の顔から笑顔が消える。姿勢を正し、それから「笑うなよ」とだけ告げて、彼は再び正面を向いて話し出した。

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