第9章   もうひとつの視点 〜 3(3)

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 そこはこじんまりした炉端焼きで、オープンして三十年も経つ純日本風の店だった。席は囲炉裏を囲うようにあるカウンター十二席だけで、なんとも風情ある佇まいなのだ。

「へえ、由子って、こっち系の店も来ることあるんだ?」

「またあ、あなたまでそんなこと言うんだ。どうせ六本木辺りのクラブとか、ホストクラブばっかりって思ってるんでしょ? 言っておきますけど、わたし一人の時は、ほとんどがこんな感じのとこですから!」

「ふ~ん、それはまたずいぶんと、意外な組み合わせって、感じだね……」

 本当に驚いたという表情を見せ、幸一はキョロキョロと店内を見回した。

「まあいいわ、ね、ビールでいいでしょ? お姉さん、生ビール二つお願いね!」

 そんな声でやっと、お姉さんと呼ばれた主人が店の奥から顔を出した。

由子はその顔を笑顔で見つめ、「生ビール、二つね!」と、とびっきりの笑顔とVサインで声にする。ところが返ったリアクションは不安げで、それでいて充分愉快そうな響きも含んでいるのだ。

「由子ちゃんどうしたの? うちは瓶だけじゃない……それ、忘れちゃった?」

「え? そうだったっけ?」

「そうよ、この三十年間、ずっとね……」

 ここでカウンターから顔を突き出し、

「それにね、あなたはここ十年、ずっとうちの常連さん、毎度、どうも……」

 妙に真面目くさった感じで告げて、最後の最後で口角だけをキュッと上げた。

 ――いつもは一人で来るから、今日はちょっと調子が違って……。

 真っ先に、なんて感じが頭に浮かんだ。ところが口を突いたのはぜんぜん違う。

「じゃあ、瓶ビールで……」

 と、言ってしまって我ながら、間の抜けた返しに愕然とした。慌ててお絞りに手を伸ばし、しつこいくらいに手のひらだけを拭き続ける。

それでも飲み始めればいつもと同じ。あっという間に瓶ビールを空けて、由子は幸一にも焼酎を飲むよう勧めるのだ。さすがに退院後間もないからと、幸一も一度は断った。ところが二本目のビールを飲み干した頃、自ら飲みたいと由子に向けて言い出していた。

結果、幸一は由子のボトルで水割りを、由子は大粒の氷を一つだけ入れて、チビチビと焼酎ロックを飲み始める。

 そうしてようやく、由子の顔が少し赤くなってきた頃だ。幸一の顔面を見上げるように顔を寄せ、いきなり降って湧いたような質問をした。

「ねえ、わたしがどうして独身なのか、本田くん、わかる?」

「離婚したからだろ? 理由は知らないけど、確か……由子の結婚式出たもんな」

「ああ、そうね、その節は、大変お世話になりました」

 幸一の淡々としたリアクションが、由子の調子をほんの少しだけ狂わせた。

「でもね、それからすぐに離婚して、もう十年以上になるのよ」

 会社社長の御曹司、誰もが羨むような結婚生活のはずだった。それが一緒に暮らし始めて、半年も経った頃には亭主と顔を合わすのも嫌になる。

「じゃあさ、幸一くんの方は、どうして独身なの? やっぱり矢野さんとのことが、あったりするの?」

 幸一の横顔をジッと見つめ、真剣な声で由子は言った。

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