第6章   高尾山 〜 2(5)

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「おまえ最近、ずいぶん真面目にやってるんだって?」

 突然そんなことを口にして、それでも正面を見つめたまま。そうしてしばらく経ってから、幸一を覗き込むようにして再び言った。

「どういう、心境の変化なんだ?」

「別に、俺は、何も変わってないよ」

「いくらなんでも、その答えは受け入れられんな。だいたい見た目がぜんぜん違う。さっきだって、まさかおまえが、わたしの目の前に座ってるだなんて、おまえが立ち上がるまで、父さんはぜんぜん判らなかったぞ」

 再びまっすぐ前を向いて、博は少し照れたような顔をした。

 だらしない――博から見ればだが――服装にリーゼントだった息子が、洗いざらしの頭にトレッキングシューズを履き、自分の目の前で寝こけていた。

「それにだ、それじゃあまるで、普通の中学生みたいじゃないか?」

 そんな博の言葉に、幸一がそこで初めて顔を上げた。

「俺はもともと、普通の中学生だよ」

「そうか、普通の中学生か……ありがたい、そうあってくれるのが、一番だ」

 そう言ってから、博は唐突に立ち上がる。

そして、「歩けるか」と声を掛け、膝の上にあった幸一の登山リュックを手に取った。それから二人は、普段なら十数分の道のりを三十分かけて帰宅する。

「病院は、無理に継がなくたって構わんよ、だからな、おまえさんが本当にやりたいことを見つけて、それに向かってがんばりなさい」

 ずっと黙り込んでいた博が、途中唯一そんなことを言ってくる。

「悔いの残らぬよう真剣に生きてくれ、そうしてくれれば、母さんと父さんは、それでいいから……」

 さらに独り言のようにそう続け、彼は再び押し黙ってしまった。

しかしそんな博のひと言が、意外なほどに幸一の心に突き刺さるのだ。

高尾山での別れ際、直美は涙を流して喜んでいた。

背負い切った彼を前にして、潤んだ目にその喜びを一杯にした。

本当のところ、たかが高尾山に登っただけだ。なのにたったそれだけのことで、彼女は人生一つ分手に入れたような喜びを見せる。

今この時、そんな直美の姿を思い出し、幸一は痛烈に思い知った。

 ――これまで、いかに安易に生きてきたか……。  

 直美と出会っていなければ、こんなことを思うことなど絶対なかった。

さらにきっと、普通の中学二年生なら、考えないのが普通であるに違いない。

しかし彼は兄を失って、命の尊さを一度は知った。それからは、様々な思いを胸に過ごしていたはずなのに、いつの間にか拗ねたようになって、意味ない日々を過ごすようになっていた。

 ――俺は今、彼女に何を、してやれるんだろう? 

 何かきっと、自分にだってできることがあるはずだ。

そんなことを考えているうちに、彼はあっという間に眠りに落ちた。

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