第6章 高尾山 〜 1 8月24日(4)
1 8月24日(4)
幸一はもちろん遠慮の意を伝えるが、いいからいいからと言って譲らない。とうとう胸に抱えていたバックを両肩から外して、彼女は自分の両腕に抱え込んでしまうのだ。
「じゃあ彼女のは、わたしが持たせて頂こうか」
すると続いて、またまた見知らぬ老人から、そんな声が投げ掛けられる。
きっとしばらくの間、二人の様子を見守っていたのだろう。そして同様に、この時なん人ものハイカーたちが、どうして負ぶってまでと思っていたに違いない。それから休憩を繰り返す度、彼らは二人にリュックを戻し、少し離れた場所で待っていてくれる。そうして幸一が直美の前にしゃがみ込むと、再びリュックを取りに近付いてきた。
こんな援軍が現れるのは予定外だったが、幸一は元々、途中から負ぶっていくことを覚悟していた。聞かなかったことにさせていただく――そう言い切った担当の医師に、幸一は一度だけ相談を持ち掛けていた。
「普通に登って行けば、きっと数分で息が上がる。慎重に、ゆっくりゆっくり上がっていったとしても、恐らく今の状態なら、持って十分がいいところでしょう。呼吸が辛そうになれば、もうそこからは歩かせては絶対にダメ……」
そう告げられた日から、彼はすぐにトレーニングを開始した。
歩かせてはダメ――そんな言葉を無視すれば、それはすなわち発作を起こすということだ。だから、それでも山頂へ向かうなら、直美を背負って登るしかない。そんな覚悟を決めてから、彼は計四キロの重しを両足首に付け、毎朝一時間のジョギングを始めた。それから重しを外さず学校へ行き、体育の授業以外はそのままで過ごす。帰ったら帰ったで、二十キロあろうかという石をバッグに詰め込み、背負って近所の坂道を登ったり下ったり繰り返す。
そうして最後の仕上げは、百段以上ある神社の階段の往復だ。そんなこんなで三日目には、立ち上がるのもひと苦労という状態となる。しかしそれでも、彼は筋肉痛をものともせずに、もっと負荷のある訓練を己に課した。
さらにそんなのと平行して、実際に高尾山へも何度も登った。
土曜日は学校帰りに一人で行って、日曜日には必ず誰かに付き添ってもらい、その付添人を背負って登る。初めての日曜日には、比較的小柄である村上婦長に付き合ってもらった。ところが登り始めて十分と続かない。何度も休憩を繰り返し、それでも結局、半分も行かないところでダウンしてしまった。
結果、九回に及ぶチャレンジで、彼が山頂まで辿り着けたのは最後のたった二回だけ。
その二回も帰りはまさにガタガタで、半分も下ったところで座り込み、彼はしばらく動けずにいた。だから往路はなんとかなる。
そして不安だった復路についても、実際直美を背負ってみて、
――ケーブル乗り場までなら、きっと大丈夫だ。
なんていう気になれていた。
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