第1章   同級生  - 5

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「おいおい遅いじゃないか!? 儲けてるくせに、どうしてこんな遅くまで働くんだ? そんなことじゃ、幸せからどんどん見放されていくぞぉ!」

 入り口の暖簾に手を掛けたところで、いきなり声が投げ掛けられた。

「おい幸喜、頼むからうちのナースに、電話で変なこと言うのは止めてくれ。それでなくても僕は最近、彼女たちから噂の的になってるんだから……」

 開けっ放しの入口から、本田幸一が顔を覗かせそんな言葉を投げ返す。

 そこは近所の居酒屋〝五郎〟で、二つしかないテーブル席の片方では、向井幸喜と原悠治がすでに真っ赤な顔して座っている。まだ八時にもなっていないのに、二人はほぼほぼでき上がっているようだ。

「俺がいつ、お前んとこのナースに変なことを言った? どちら様ですか? って聞かれたから、ありのままを返事しただけだぜ」

 幸一がテーブルに着くなり、待ちきれない様子で幸喜がすぐにそう言ってくる。

「不幸で悲しいとか言われたってな、うちのナースがわかるわけないだろう?」

「だって、本当にそうなんだから仕方がない。幸せで喜ばしい? まったく……幸喜なんて、完全に名前負けじゃないか……」

「わかったわかった……それからな、こうして一緒に呑むのはいいが、今度からもう少し落ち着いたところにしないか? 安いのはもちろん有難いが、ここはちょっとばかしうるさ過ぎだろう?」

 そんなことを言い合う二人を、原悠治は面白そうにしながら耳を傾けている。

 小学校を卒業して、しばらく顔を合わすことがなかったこの三人が、十五年ぶりに会う場所に選んだのがこの〝五郎〟という居酒屋だった。たった十人くらいが座れるカウンターと、テーブルが二つという小さな店なのに、いつも大勢の馴染み客が押し寄せる。

 となれば当然、静かに話そうなんてことにはまったくもって不向きな店だ。

「どうしてだ? どうしてここがいけないんだ?」

「おい、声が大きい!」

「ここはな、料理は旨くて家には近いし、申し分のない店なんだ! ん? そうか、わかったぞ! お主はオナゴが欲しいのか? オナゴのいる店に行きたいってことなのかぁ!」

「おい! 頼むから、そんな大声出さないでくれ。ほら、見てみろ! 他の客が笑ってるぞ! それになあ、三十七にもなって、オナゴがどうこう騒ぐなよ! この酔っ払い!」

「馬鹿なことを言うな! 三十七歳ったら、バリバリのやりたい盛りなんだ! おまえ、そんなことを言ってるから、いつまでも結婚どころか、彼女だってできないんだぞ!」

 幸一の眼前に指を突き出し、幸喜は真剣な顔でそう言いまくる。

 今からちょうど十年前、二人と再会した頃にはすでに研修医となっていた。それから今日という日まで、恋人どころか、幸一はデートらしいことさえしていない。そんな事実を敏感に嗅ぎつけ、最近ナースの間で変な噂が広まりつつあった。

 ――あっちの趣味でもあるんじゃないか……?

「それとも幸一、おまえ本当はゲイじゃないのか? どうだ、正直に言ってみろ! なんだったら、これから新宿二丁目に向かったっていいんだぜ!?」

 とうとう幸喜はそんなことを言い出す始末だ。かなり酔いが回っているらしく、原悠治の方は元々アルコールにそう強くない。だから幸喜が会社を退職して以来、幸一が合流する頃にはいつもだいたいこんな感じだ。

 ただ、そんなだから逆に、いつまでもダラダラと続くこともなかった。

「おいおい、何度も言ってるだろう? 単に結婚したいって人に、出会えなかっただけなんだって! それにさ、しろしろって言ってた両親もいなくなったし、もうこの歳になって、出会いなんてのもなくなってきてな……」

 そう言って幸一は、突き出された人差し指をギュッとつかみ、テーブルの上に無理やり戻した。彼の結婚を願っていた母親は、昨年父親の死を追うように他界した。だから彼は高台にある屋敷に一人暮らしで、きっとこんな誘いでもなければ、今夜もコンビニ弁当で済ませていたに違いない。

「串揚げの盛り合わせ、一つください!」

 いきなり、原悠治がそう言って手を振った。

「おい! いい加減そういうの頼むの止めろよ! 身体に悪いって言ってるだろう?」

「向井が食わなきゃいいだろ? 俺はこういうのが好きなんだ! おまえの言う、不健康極まりない揚げ物が一番な!」

 ここ一年、急激に健康志向に傾いている幸喜は、悠治が注文する料理になんだかんだと文句を付けた。

「だから、幸喜は衣を取って食べればいいだろう。我慢するっていうストレスが、身体には一番よくないんだぞ、いつも言ってるけどさ」

「衣を取る!? そんなことしたら、これはもう串揚げとは言わん!」

 そう言ったかと思うと、いきなり揚げ物に食らい付く幸喜がいる。そんな姿に大笑いしながら、いつも同様楽しい時間は過ぎ去っていった。

 卒業当時、大人しい原悠治と未だ連絡の取れない清水隆が、お調子者の幸喜にくっ付いているという仲良し三人組だった。幸一も四年まではそんな仲間の一人だったが、五年でクラスが変わってからは一時的に疎遠になった。

 そんな彼らに何かとちょっかい出していたのが、後に幸喜の妻となる吉田美津子と、その一番の仲良し金子――現在は結婚して渡辺――ゆかりだ。

「ちょっと! そんなにたくさん紙ひこうき飛ばしたら、校庭がゴミだらけになっちゃうじゃない!?」

 ――ちゃんと掃除して来て下さい! 

「ちょっと! あれで掃除したってことになるの!? 先生呼んでくるわよ!」

 ――先生に言い付けちゃうからね! 

 真っ先に突っかかる美津子の横で、ゆかりはいつでも美津子の声をなぞるような言葉を口にした。そしてその頃、坂本由子はそんな二人とは違うところにいて、その視線だけはいつも二人の方を向いていた。

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