第1章 同級生 - 6
6
「そう、そこまでいっちゃってるんだ、お宅たち……」
幸喜のすぐ目の前で、由子が視線を合わさぬままそう呟いた。
「でもまあ、なんとなくは感じてたんだ、わたしもね……」
どうせ、同期会当日にはわかってしまう。であるなら、自分の口で伝えた方がいい。そう思って、彼は美津子が欠席したいと言い出したことを、席に座るなり声にしていた。
「ここにきて、急になんだ。まあ、俺の仕事のことなんかも、あったんだけどね……」
ここにきて――この部分だけ、彼は少しだけ嘘を付いた。実のところ何年も前から、ギクシャクした感じを意識しながら暮らしていた。
前夜、居酒屋からの帰り道、幸喜は酔いに任せて由子へ電話を掛けた。そうして美津子の欠席と、代わりに幹事を頼めないかと声にした。
「引き受けてもいいけどさ、その代わり、こっちにもお願いがあるんだけど……」
するとそう言って、条件次第では引き受けてもいいと返してくれる。
やろうと思えば、幸喜一人でだってできるのだ。しかし女性陣とのやり取りは、やっぱり女性の方がいいだろうと思う。ただでさえ出席者の三分の二は女性だから、きっとそんな微妙なやり取りで、顔ぶれだって変わってくるに違いない。
「卒業してから二十五年、あの会も今度で十回目でしょう? なのにまだ、一回も来てない人がたくさんいるのよ。十回目っていう節目なんだからさ、うちのクラスだけでもね、もう一回真剣に探してみたいって思ったの。あの頃、いろいろ嫌なことがあった人もさ、来てみたら、みんなずいぶん過去のことになってて、どうってことなかったなって……、きっとね、そう思ってもらえると思うんだよね」
卒業当時、幸喜と由子がいた六年一組は、男女合わせて三十八名。その中で、一度も姿を見せていない同級生が、「十八人もいるんだよ」と由子は言った。
「顔出したって気まずいだけ、なんて思ってる人だってきっといるわ。でも実際、みんな大人になってるし、気まずいなんてぜんぜんなくて、懐かしい思い出だけが溢れ出てくると思うのよ……」
だから昨年の幹事の時にも、本田幸一に同じ提案を彼女はしていた。しかし卒業当時、幸一は由子と違うクラスで、それほど乗り気になれなかったのだろう。結局何もしないまま、会当日を迎えることになっていた。
「それでもね、無理に来てって頼むんじゃないの。楽しいわよって、一度顔を見せてちょうだいって、そう伝えるだけでいいと思う……」
そんな言葉を伝えるために、それから三日後、二人は再び会う約束をする。そして由子の作った案内状を配るため、小学校時代の住所録を頼りに歩きまわった。
案内状には、同期会で撮影された画像が三頁に亘って印刷され、まさに楽しいという印象一杯に作られている。開催日時は、来月の第三土曜日、十八時から。開催場所はまた未定だが、参加の意思がちょっとでもあれば、
「わたしかあなたに、メールでも電話でもオーケーってことにしたから、まずは一回でもリアクションもらえれば、後はこっちからだって、いつでも連絡が取れるじゃない?」
そう言って由子は、幸喜に向けて笑顔を見せた。ところが同じ学区内と言っても、住所はそこそこ広範囲に亘っている。それでも昼過ぎくらいには、目的地の大半を見つけ出すことができた。しかし現実はそう甘くない。会に来たことのない十八名の住所に、表札にその名があったのは八軒だけだ。
「あいつんち、マンションになっちゃってるよ、畑、ぜんぶ売っちゃったんだ……」
「それじゃあ、上の階とかに住んでるかもよ、マンションの中に入って、ポストの名前見てみようよ」
しかしそんな思い付きも、エントランスに入ることさえできないで終わる。それから二人はやれることすべてやって、遅い昼食を取ろうとファミレスに入った。
「投函できたのが、ぜんぶで八人か、そのうち、どれだけ本人に案内状が渡って、さらにそこから、何人が連絡くれるか、よね?」
注がれたビールに一口だけ口を付け、
「たった二十年ちょっとなのに、けっこういなくなっちゃうんだね……」
そう続けて、由子は大きく息を吐いた。
「本当だよな……それで俺たちは、そんなことまるで、知りもしなかった……」
「ほら見て、名前見ても、思い出せない人が何人かいる。同じクラスでだよ? 信じられない! 顔がぜんぜん出て来ないのよ」
「そりゃいるよ俺だって、俺もさ、実は恐ろしいくらい忘れちゃってる」
頼んだ料理が出るまでの間、二人はビールを片手に住所録に目をやっていた。
すると由子が思い出したように顔を上げ、いきなり大きく目を見開いた。それから少し考えるようにして、覗き込むようにしながら幸喜へ言った。
「あのさ、矢野直美ちゃんって、幸喜くん、覚えてる?」
矢野直美……。聞いたことのない名前だった。もしかしたら、忘れているだけ? 幸喜はすぐにそう思い、慌てて住所録をパラパラとめくった。
「それって、ここに載ってる人? とりあえず、見当たらないみたいだけど?」
「そこには載ってないわ。だって、卒業までいなかったから……」
なんとも残念だという顔をして、由子はわずかに残っていたビールを飲み干した。
「ううん、違うわ。いなかったってわけじゃないな。きっといたんだけどね、わたしたちの前には、現れなかったってことなんだと思うの。でも、本当はわたしにも、はっきりしたことはわからないんだ」
そう続けてから、早くも三本目の瓶ビールを注文した。
「覚えてないかな、体育や運動会とか、絶対に参加しなくてさ、いっつも教室で本ばっかり読んでたじゃない?」
本ばかり、読んでいた。幸喜は頭の中で、そんな言葉を何度も何度も呟いてみる。
するといきなり、教室の片隅にいる……少女の姿が思い浮かんだ。
――本ばかり読んでたのって……確か……。
「矢野……だ……」
思わず、声に出していた。かなりあやふやな記憶だったが、ふと、少女へ話し掛けている自分を思い出した。間違いなく幸喜は、その名を呼んだことがあったのだ。
「ごめん、思い出したよ。確かあいつ、途中で引っ越して来たんだよな? 四年か、五年生の時だ。なんとなくだけど、俺、矢野と話したことがあるって気がする」
曖昧なものだったが、矢野直美という少女の記憶は確かにあった。しかしどうしてここまで、記憶の片隅にしか残っていないか……?
「たったね、一年とちょっとしかいなかったから、まあ、覚えてなくても仕方ないんだけどさ。それでもあなたには……うん、やっぱり、覚えていて欲しかったかな?」
――どうして、俺には……なんだ?
そんな思いは口にはできず、しかしそれでも、彼女の記憶が少しずつだが蘇ってくる。
「それでまた、一年ちょっとで引っ越したんだっけ? だから卒業アルバムの住所録に、彼女の名前が載ってない……」
六年生の夏休み明け、知らぬ間に彼女は転校してしまった。さらに矢野直美とは、まさに美少女という感じの女の子だった気がする
「美少女ってところは当たりだけどさ、後は外れ。先生がなんて言ってたか覚えてないけど、あれって絶対、転校じゃなかったわ。わたしあの頃、直美とけっこう仲よかったの。だから転校するんなら、黙って行っちゃうなんてないと思う」
体育の授業なんか出たことがなく、いつも教室に残って本を読んでいた。
「最後の頃は、いっつも一人ぼっちだったよね。自分から友達を作るってタイプじゃなかったけど、それでもやっぱり一番の理由は、美津子が辛く当たってたってことだよね」
幸喜は最初、由子の言う意味がわからない。
――美津子が……辛く、当たってた? それって何?
そう思う気持ちがきっと、顔にしっかり出ていたのだろう。
「あのさ、本当に覚えてないの? 幸喜くんだって、けっこう関係あるんだよ」
由子がいきなり顔を寄せ、そんなことを言ったのだ。そうして二十年以上も前、そんな昔にあったという出来事を、幸喜に向かって話し始める。
転校してきて暫くは、特にゆかりとは仲がよく、そう言う意味では普通の生徒と変わらなかった。ところがいつの日からか、美津子が直美に厳しい態度を取り始める。すると徐々に、誰も直美と話さなくなって、いつしかゆかりでさえ彼女のそばに近寄らなくなった。
「あれってさ、嫉妬でしょ? ご本人としてはどう思ってたの? ねえ、覚えてる?」
――嫉妬? それでもってご本人って……?
当然わけがわからない。だから再び、表情だけでリアクションを返した。
「やっぱりね……本当に、なんにも覚えてないんだね、ひどいなあ……」
イジメ――と言えるほど、美津子の態度は厳しいものであったらしい。
常にクラスの中心にいた美津子の態度に、女子の大半が引きずられていったとしても不思議はない。さらに由子はそんなイジメの原因が、嫉妬によるものだと断言した。美津子が嫉妬するということは、それなり関係が存在していたということになる。しかし由子の語るそんな過去を、やはり幸喜はまるで覚えていなかった。
「それで最後の夏休みに、彼女、入院でもしたんじゃないかって思うのね。だって、ご両親の方はしばらく、同じところに住んでいたらしいもの。でもさすがに、今日はもうなかったわ、彼女のお家……」
幸喜の知らない間に、由子は直美の家を探していたらしい。さらに彼女は小学校時代に一度だけ、直美の家に行ったことがあると言い、
「向井君はどうせ、それだって覚えていないんだよね?」
と、そんな台詞を付け加える。そうしてたった一年と数ヶ月、そんな短い期間一緒だった女の子に、どうしても会って話がしたいと由子は告げた。
いったい、それはどうしてなのか? 幸喜はそんな疑問を言葉にしたが、由子は微笑み返すだけで答えようとはしてくれない。その後すぐに料理が運ばれ、直美の話題は立ち切れとなった。
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