第1章   同級生  ~ 3

 同級生 ~ 3


「ちょっとぉ! 気安く呼び付けないでくれる!? わたしはあんた達と違って、働かないと食べていけないの! もう……抜け出すの、大変だったんだから!」

 席に座るなりそう言って、美津子はテーブルの上を見回した。

「こっちにもビールお願いします! あ! 生ビールの方ね、中ジョッキで!」

 テーブルにはすでに、瓶ビールと中ジョッキが一つずつ置かれている。それらを見た瞬間に、あえて生ビールと付け加えた。

「ちょっと! 昼間っからおっきな声で、生ビールだなんて言わないでよ、こっちまで恥ずかしいじゃない!」

「何言ってるのよ! おたくらの目の前にあるもの何よ? これってお水なの? それとも泡の出るお煎茶かしら?」

「はいはいわかりました、美津子のおっしゃる通りですって……でもいいの? 今ってまだ仕事中なんでしょ?」

「平気、平気! 外は地獄のように暑いのよ! ちょっとくらい飲んだからって、あっという間に、汗になってどこかに行っちゃうわよ!」

 そう言って、美津子はテーブルにあった飲みかけのビールジョッキに手を伸ばし、勝手にそれを飲み干してしまった。

 そこは美津子の出版社からほど近いレストラン。いきなり彼女を呼び出したのは、小学校時代からの友人、渡辺ゆかりと坂本由子の二人だった。

 ゆかりは小学校六年間同じクラス。十五歳も年上の旦那と小学生の娘がいて、専業主婦を思う存分満喫している。もう一人の方は、旨いビールとはジョッキなどではなく、コップで呑むものだと信じ込んでいる由子で、彼女も同級生に違いないが、それほど仲がよかったわけじゃない。どちらかといえば由子はゆかりと仲がよく、それで一緒になることがよくあった。そして大学卒業後にすぐ結婚し、その後あっという間に離婚する。今は親の残したアパート収入で悠々自適に暮らしていた。

「で? 話って何よ。まだどっかの男に言い寄られて、助けてほしいなんてことじゃないの!? あなたはとにかく、いつも最後は酔っぱらい過ぎなんだから」

 美津子はのっけから、由子の話だと決めつけていた。しかし美津子が見つめるその本人は、違う違うと首を振って大笑いする。

 確かに由子は酔っ払うと、普段のサバサバ感が嘘のように消え失せた。いわゆるオトコ受けのする可愛い女へ変身してしまうのだ。それでも最近は少なくなったが、離婚をした頃はしょっちゅう男に言い寄られ、その度に助けて欲しいとさんざん相談を持ちかけられた。しかし今回ばかりは違うのと、由子が笑いながらに言ってくる。

「これはね、絶対に内緒の話なんですって。なんたってね、ゆかりさんにとって初めてのお色気話なんだから……ね、ゆかり!」

「お色気話って!? ちょっと待ってよ、いったい何? なんのことよ!」

 それからの十分間、喋っていたのはほとんど由子で、肝心なところだけゆかりがちょこっと付け加えた。行き付けのヘアサロンにいる若い美容師と、ゆかりがいい仲になっている。さらにそんな関係とは、切った付き合いなんだとゆかりは言った。

「それにしたってあなた、温泉旅行は止めときなさいって! いくらなんでも、それはまずいわよ……だって温泉っていったら、やっぱり、泊まるんでしょう?」

 由子と違って、奥手を絵に描いたようだったゆかりが、その美容師から温泉旅行に誘われてるらしい。そして聞いた話の感じでは、男の方が少しずつ、熱を上げ始めているという印象なのだ。

「やっぱり美津子もそう言うのね、でもさあ、ホテルで逢うのが、温泉地に変わるってだけなんだけど」

「ゆかり、だって泊まるんでしょ? そりゃあ、やることは同じでもさ、やっぱり温泉旅行はきびしいと思うよ。ねえ、それだけは止めときなさいって、それにね……」

 美津子はそこで言葉を止めて、ゆかりの顔を凝視した。そしておもむろに由子の方に顔を向け、そのまま静かに声を上げる。

「由子みたいに、付きまとわれちゃったら、あなたどうするの? その若い彼氏が、本気になっちゃったりしたらさ?」

「それはないと思う……だって、十歳も年下なんだよ」

「そうだ! わたしが代わりに行って上げるよ! それでいい男なら、それ以降ずっと引き受けたっていいしね」

「由子、あなたそれ、本気で言ってるでしょ? ああ怖い世界だ! ゆかりまでがこんなことになるなんて、歳を取るって恐ろしいわ……」

「何が恐ろしいのよ、成長したってことでしょ? そうだ! なんなら美津子が行ったらどう? どうせここんとこ、幸喜とうまくいってないんでしょ? それにさ、そのくたびれた顔でも、あなたスタイルはいいから、けっこう付き合ってくれるんじゃない?」

 仏頂面でいるゆかりを差し置いて、由子が笑いながらそんなことを言ってくる。

 ――くたびれた顔でも? もう! 失礼しちゃうわ! 

 心の底からそう思うが、どこか納得する気持ちもないわけじゃなかった。ここのところ仕事もハードで、家でゆっくりする時間がなかなか取れない。だからと言って幸喜が家にいると思うと、仕事を早く切り上げ、まっすぐ帰るって気にもならないのだ。

 ――こんなことなら、違う男を選んどけばよかった……。

 温泉旅行に誰が行くか、未だ言い合いしている由子とゆかりを前にして、美津子は一人そんなことを考えていると……、

「こら! 美津子! なに一人の世界に浸ってるんだあ!」

 すでにワインを飲み始めている由子が、いきなりそう言って美津子の顔を覗き込む。

 ――変わらないな……。 

 基本的なところは小学校の頃と変わらない。美津子は嬉しく思いながらも、心の奥底で疼きのようなものを感じていた。

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