SS③ 理想の新婚生活

 十二夜が再開し、キャロルは十二本目の薔薇を受け取った。


 十二夜目に行われる結婚式はあげていない。結婚指輪も交換していない。

 けれど、たしかに結婚した二人を、シザーリオ公爵家の奉公人たちは心から喜んで朝までお祝いした。


「……まったく。たかが結婚で騒ぎすぎだ」


 誰より泣いていたセバスティアンは、祝い疲れた使用人たちに一日の休暇を与えて、一人で屋敷のゴミを拾い集めていた。

 あちらこちらでクラッカーを鳴らしたせいで、紙吹雪が飛び散っている。


 食堂のテーブルを拭いていると、寝起きのレオンが現われた。

 顔を洗ったばかりのようで、前髪がしっとりと濡れている。指の中途半端な位置には、キャロルに嵌められた指輪があり、ふしぎな色合いに光っていた。


「もう昼か……。すっかり寝ぼうしてしまった」

「仕事は休ませてもらっているんだろう。もう少し寝ていてもいいぐらいだぞ、お前は。国王を説き伏せるために、ほぼ眠らずに一月過ごしていたんだからな」

「ここ一月は眠くなかったんだよ。十二夜の中止をくつがえせるかのプレッシャーもあってね……。再開の許しを得て、気が抜けてしまった」


 パーティーがお開きになったあと、キャロルを自室に送り届けたレオンは、客間に入るなりベッドに倒れた。

 それから五時間は眠れたので、久しぶりに体調がいい。


 セバスティアンは、椅子をレオンに勧めた。


「パンとジャムくらいしか用意できんが、食べるか?」

「俺の食事はいいよ。紅茶を淹れたいんだけど、ポットと茶葉を借りてもいいかな? 起き抜けのキャロルに持って行ってあげたいんだ」

「天下の王太子が、妃に尽くしてどうする……」

「悪いことではないだろう。キャロルと晴れて結婚できたら、やろうと思っていたんだ」


 自分の妻になったキャロルに、手ずから淹れた紅茶をのませ、午前中に着るドレスを選び、肌に香油をすべらせて着替えさせ、靴をはかせて朝食の席へエスコートする。

 可愛い顔を見ながら食事をとって、仕事に向かう際には、頬にキスをして送り出してもらうのが、レオンの思い描いてきた新婚生活だった。


 さっそく妄想を実現しようとするレオンを、セバスティアンは真顔で止めた。


「従者じみた行動はつつしめ。王太子としての威厳が損なわれる」

「俺は威厳なんてものはいらないよ。それより、キャロルといちゃいちゃしたい。そっちの方が500倍ぐらい大事」

「本音をダダ漏れさせるな。せめて式をあげて、城で新婚生活をはじめるまでは待て。目の前でそんな風にいちゃつかれたら、こっちの頭が破壊される」

「キャロルは喜んでくれると思うんだけど……」


 レオンの素晴らしい新婚生活(理想図)には続きがある。


 仕事の合間には、キャロルとお茶を飲んで、夕方までに執務を完璧に終える。残業はナンセンスだ。

 王太子として服装を整え、美しく召かしこんだキャロルと晩餐を共にし、軽くダンスを踊ったら、キャロルと手を取り合って自室に下がる。いっしょにお風呂に入って、彼女の会話を寝物語にして、寄り添って眠りにつく。

 寝ているふりをして、寝顔を眺めるのもいい。朝までは長いのだから。


 そこまで考えて、レオンはふむと考えなおした。


「二人きりの時間を味わうには、義兄がいない城の方がベストだね……。思う存分、いちゃいちゃできるし、キャロルに無理なおねだりをして困らせても怒られない」

「そうしてくれ。それと、正式に結婚式をあげるまで初夜は禁ずる」

「………………はい」

「その間はなんだーーー!!!!!」


 セバスティアンの怒号が聞こえたのか、パタタタと軽い足音がして、キャロルが顔をのぞかせた。


「おはようございます、レオン様。セバスお兄様」

「おはようキャロル。着替えてきたんだね」

「ええ。お昼前にタリアが部屋にきて、支度を手伝ってくれましたの」


 くるりと一回転するキャロルは、チェック柄のデイドレスを身にまとっている。髪はきれいに巻かれ、肌には真珠の粉をはたいて口紅も差していた。


 寝起き姿を見たかったな……いや、新婚生活に入ったら一緒に眠るんだから、いくらでも見られるか……。

 残念そうなレオンは、ふと思った。


 キャロルにも、こんな新婚生活を送りたいという理想があるのだろうか。


「王太子と王太子妃に朝食の準備はさせられない。適当に持ってくるから、ここで待っていろ」


 セバスティアンが厨房にいってしまったので、レオンはとなりの椅子を引いてキャロルを座らせた。


「俺は、結婚したら毎朝キャロルに紅茶を淹れてあげたいな、って思っていたんだけど、キャロルはどんな新婚生活を送りたいの?」

「レオン様がお幸せな気持ちになれる生活であれば、どんなものでもかまいませんわ」

「そうではなくて……。たとえば、俺と毎朝キスしたい、みたいな欲求はない?」

「朝から、キス!!??!!!」


 ポポポっとキャロルの頬が赤くなった。

 これは可愛い。レオンのなかで悪戯心が大きくなった。


「新婚さんなんだから、いちゃいちゃするのが普通なんだよ。キスしてくれなきゃ起きないって駄々をこねてみたり、片時も離れずにべったりくっついていたり、仕事にいっちゃやだって泣いてみたり、我がまましても許される、それが新婚なんだ」

「新婚のあいだというは、素晴らしい恩赦が受けられる期間だったのですね。わたくし、存じ上げませんでした!」


 素直に騙されたキャロルは、もじもじと膝をすり合せた。


「それでしたら、わたくし憧れているシチュエーションがありますの」

「聞かせてくれる?」

「はい。どうか、笑わないでくださいませ」


 こてんと首を傾けて、おねだりされた。

 可愛い自覚がないままやっているのだから、罪深い新妻だ。


 そんなキャロルが抱いている、憧れの新婚生活とは……?


「わたくし、新婚になったら、レオン様とあだ名で呼び合いたいと思っておりました……! きゃー、ついに言ってしまいましたわ!!!!!」


 頬に手を当てるキャロルを、レオンはきょとんと見つめた。


「あだ名?」


 つまり『レオン様』『キャロル』とは違う呼び名ということだ。

 恐らく、ダーリンとハニーみたいな、王太子夫妻には似つかわしくない雰囲気の。

 たしかに、恥ずかしさのゲージが吹っ飛んでいる新婚のうちにしかできない。


 レオンは、キャロルの椅子の背もたれに手をかけて、彼女を覗きこんだ。


「いいよ。何て呼ばれたい?」

「わたくしの呼び名は、レオン様が決めてくださいませ!」

「俺が決めると『お姫様』になってしまうよ。それだと今までと変わらないからつまらないよね。何がいいかな」


 形容する言葉を探してみるが、愛らしい花や甘いお菓子のように可愛らしいキャロルを前にすると、だいたいの語彙が吹っ飛んでしまう。

 悩んだ末に、レオンは「ハニー?」と気まぐれに言ってみた。


「!」


 キャロルの耳がぴくっと動く。

 気に入ってはいるようだが、まだ照れるほどメロメロにはなっていない。


「……ダーリン?」

「!!」

「お姫様?」

「!!!」

「……俺のお姫様?」

「!!!!」


 あと少し。


「俺のかわいくて、大切で、大好きな、この世でただ一人のお姫様?」

「レオン様、嬉しいけれど長いですっ!!!!!!」


 身もだえするキャロルを抱き締めて、レオンは幸せそうに笑った。


「困ったな。キャロルへの想いを込めたら長くなってしまう。基本のダーリンとハニーに、オリジナリティをくわえていこうか」

「そういたしましょう。レオン様! ダーリンとレオン様を合体させて、さらに略して『ダーレオ様』ではいかがでしょう?」

「いいよ。俺は『マイハニーキャロル』と呼ぼうかな。お菓子の名前みたいだね」


 額をくっつけて呼び合っていると、ティーセットを運んで来たセバスティアンが、しかめっ面をした。


「いちゃいちゃするなと言ったはずだ」

「お互いの呼び名を決めていただけだよ」

「はい。レオン様は、ダーリンなレオン様で、ダーレオ様。わたくしは、マイハニーキャロルですわ! お兄様、お見知りおきを!!!」

「お笑いコンビか」


 痛烈なツッコミが入ったが、幸せいっぱいの二人には届かず、しばらくこの呼び名を使い続けるという悲劇が生まれたのだった。

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