SS① 王太子の短くも長い一カ月
十一輪目の薔薇を渡せなかった王太子に、世間の目は同情的だった。
幼い時分から王太子妃教育に励んできたキャロル・シザーリオ公爵令嬢が、今になって十二夜から逃げたがっているという話が、まことしやかに囁かれていたからだ。
公爵令嬢は、王太子を嫌っている。そう信じる者もいた。
実際には、レオンを心から愛しているからこそ、自分との十二夜を阻止しようとしたのだが……。
セバスティアンの申し出もあり、窃盗団の魔の手から救い出されたキャロルは、シザーリオ公爵邸で療養することになった。
王太子の側から婚約者が去った。
これを好機とみた貴族たちは、こぞって城に娘を送り込んだ。
十二夜に失敗して消沈している王太子に見初められれば、家から未来の国母が生まれるかもしれない。
親の打算をくみ取った娘たちは、行儀見習いという名目で王妃の侍女仕えをしながら、偶然をよそおってレオンに近づいた。
もっとも多かったのは、廊下ですれちがう瞬間に、貧血を起こして倒れる手口だ。
「あ~れ~~」
今日も、どこかの貴族令嬢が倒れた。
レオンは、側近の騎士に目をやって、体を抱き起こさせる。自分では手を貸さずに、あくまで上司として命じた。
「王妃の部屋へ連れていけ。いきなり倒れるか弱い者に侍女仕えさせるなと、実家に送り返すように注進するのも忘れるな」
「えっ!? 待ってください、助けていただいたお礼を申し上げたいです、レオン王太子殿下!」
侍女は、元気に飛び起きた。貧血を起こした人間が、ここまで俊敏に動けるはずがない。無視して廊下を進んだレオンは、執務室に入って溜め息をついた。
「爵位をもって生まれついているのに、なぜあそこまで浅ましい……」
キャロルであれば、仮病で倒れて相手に取り入るような真似はしない。
好きになったら一直線で、誰に対しても素直で、この世のすべてを慈しむ優しい心を持っている。
キャロルの純粋さに救われているのは、レオンだけではない。セバスティアンも、シザーリオ公爵家の使用人も、王城の奉公人たちも、彼女の朗らかさに助けられてきた。彼女を思う者たちは、十二夜の中止を自分のことのように嘆いている。
レオンは、椅子にぐったりともたれかかって、疲れた目を手で覆った。
「……キャロルに会いたい」
だが、まだ迎えには行けない。
国王に十二夜を再開したいと話したところ、前例がないと却下されてしまった。
前例を見つければ認められると考えたレオンは、司書と手分けしてエイルティーク王国の歴史書を調べている。だが、調査は難航していた。
十二夜が中止になって破断した結婚は数多くあれど、再開して結婚した王族はいない。たいていが別の相手と十二夜を挙げている。
このまま前例が見つからなかったら、レオンはキャロルを諦めなければならないのか……。
悩んでいたら、部屋に側近が入ってきた。
「レオン様、王妃殿下がお呼びです。たまには、一緒にお茶でも、と」
「……行こう」
お茶はキャロルととるのが日常だったので、母親と対面するのは久しぶりだ。
レオンが服装を整えて温室に行くと、白いクロスをかけたテーブルに王妃マライアが腰かけていた。
成人した息子がいるとは思えない、美しく若々しい容姿は今日も輝いている。だが、レオンの足を止めさせたのは、テーブルに飾られた薔薇のブーケの方だ。
大輪の白薔薇が十本。しかも枯れかけている。
「王妃殿下、その薔薇はもしかして……」
「キャロルちゃんのよ。十二夜が中止になって押収されたのを譲ってもらったの」
なぜ、とは聞けなかった。彼女もまた、十二夜の中止を悲しんでいる一人なのだ。
王妃に勧められて椅子に腰かけたレオンは、サーブされた紅茶に口をつけた。
柔らかな口当たりで、果物の濃厚な甘さと、豊かな香りがおいしい。
「フルーツティーですね。珍しい」
「疲れたときには甘いものが一番よ。あなたには私のせいで苦労をかけてしまったもの。占い師ニナが悪人だと知らずに、城に引き入れてしまったわ」
ニナは、王妃に取り入って城に出入りし、宝物庫からお目当ての宝石を盗み出した。このせいで、王妃は国王にかなり叱られたと聞いている。
「キャロルちゃんが無事で本当によかった。王妃付きの侍女が色々と噂しているけれど、彼女は、レオンや私のことを嫌ってしまったの?」
「そんなことはありません。相談役の女性の話では、十二夜の中止を悲しんではいるものの、俺や王族への気持ちは以前と変わりないようです」
王妃は、ほっとした顔で両手を合わせた。
「それなら、まだ私の娘になってくれる可能性はあるってことね! 私、娘を持つのが夢だったの。レオン、さっさと国王陛下を口説き落として、十二夜を再開してちょうだい」
「それができないから、毎晩、徹夜しているんですよ……」
頭をかかえるレオンを、王妃はクスクスと笑う。
「前例がないといけない、だったかしら。私、そういう話を聞くたびに不思議に思うわ。その前例を最初に作った人は、同じように責められたのかしら」
「責められたのでは? 王族は、ことさら伝統に厳しいでしょう」
「厳しいわね。でも、不可能ではなかったのよ、レオン」
丁寧な王妃の言葉に、レオンの視界が晴れた。
「……前例があるかどうかは、重要ではないと?」
「ええ。王族の結婚を認めるのは国王陛下。あなたのお父様に認めてもらえば、最初の人になれるわ。書庫に籠っているより、毎日、国王陛下の執務室に押しかけて、キャロルちゃんへの想いを打ち明けた方が、心は動くと思うわよ」
「そうします」
レオンは、カップの紅茶を飲み干して、席を立った。
姿勢を正して腕を直角に曲げる、騎士団式の最敬礼を王妃に向ける。
「ご無礼を承知で離席させていただきます、王妃殿下」
「今度は、キャロルちゃんも入れて、三人でお茶をしましょうね」
温室を出たレオンは、大急ぎで王太子の仕事を片づけ、国王の元へ向かった。
それから一カ月ほどかけてキャロルへの熱い想いを訴えていき、ついには十二夜の再開が認められた。
どうして認めたのか尋ねた侍従に、国王はこう答えた。
「認めなければ息子は誘拐犯になる……確実に」
疲れた様子で吐露する国王に、侍従は心から同情したという。
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