37 二人でつくる十二夜
シザーリオ公爵邸の自室で、キャロルはベッドに寝転んでいた。
時刻は十一時半を過ぎたところ。寝る支度をととのえて使用人を下がらせたので、部屋にはネグリジェをまとったキャロル一人だけだ。
照明を落とした部屋は暗く、窓から差しこむ月の光が青く光って見える。
「……今日も、眠れませんわ……」
窃盗団を捕まえて王都に戻った日。キャロルは実家に戻った。
レオンとの十二夜が失敗して、もはや彼の婚約者でも何でもない、ただの公爵令嬢になったからだ。
大事にしていた十本の薔薇は押収されてしまった。
キャロルの手に残ったのは、レオンに無限大の愛を与えられていた事実と、「好き」と言った回数が見えるようになる、ふしぎな指輪だけである。
キャロルは、指輪を嵌めた手を月光にかざした。
レオンに返還するべきだと分かっているが、自分から連絡するのは気がひける。
もうかれこれ、一カ月もレオンとお茶をしていない。キャロルがどこにいても迎えに来てくれていたレオンの足は、すっかり遠のいてしまった。
タリアやマルヴォーリオが、王太子は十二夜の後始末で忙しいのだと慰めてくれたが、キャロルにはそうは思えない。
(こんなことになるなんて、思っていませんでしたわ)
真夜中になるたび、薔薇をもらえないことに落胆して、朝まで悲しむ。
そんな眠れない日々を、キャロルは繰り返していた。
コンコン。
部屋の扉がノックされたので、キャロルは起き上がった。
こんな時間に誰だろう。気心の知れたタリアか、もしくは、用事のためなら妹を叩き起こしても許されると思っているセバスティアンか。
「はい」
戸を開けてみるが、廊下には誰もいなかった。
代わりに、メッセージタグをリボンで結びつけた薔薇が一輪、落ちている。
薔薇は、十二夜で使われていたものではなく、キャロルがいちばん好きなトゲの鋭い種だ。
拾い上げて、タグを見る。メッセージは一言だけ。
「……『感謝』?」
十二夜で一夜目に贈られるのが『感謝』の薔薇だ。
誰がこんなことを……と廊下の先を見ると、窓から差す月光に照らされて、もう一輪落ちている。
次の薔薇は『誠実』だ。辺りを見ると、廊下の曲がり角にもある。
キャロルは、そちらに向かって歩き出した。
落ちている薔薇を拾っていく。拾うたびに次の一輪が見つかった。
曲がり角の『幸福』、階段下には『信頼』、玄関ホールの壺に『希望』、応接間のチェストには『愛情』……。
屋敷はひっそりと静まり返り、薔薇を追い集めるキャロルの足音だけがひびく。
ティールームの椅子に『情熱』、台所のお鍋のうえに『真実』、図書室のテーブルに『尊敬』……。
拾い集めた薔薇で、キャロルの手には花束ができていく。
兄の執務室には『栄光』があった。
ここまで、キャロルが十二夜の儀式で受け取ってきたのと、同じメッセージだ。
開け放たれたガラス戸をくぐり、広いテラスに出る。
テラスの中央に、十一輪目の薔薇が落ちていた。
キャロルは、拾い上げてタグを月光にかざした。
「『努力』ですわ」
レオンに渡してもらいたかった、十一輪目。
それが今、キャロルの手のなかにある。
「うれしい……!」
胸がいっぱいになって薔薇をかき抱くと、「ワン」と犬の鳴き声がした。
庭に顔を向けたキャロルは、大きな金色の犬を連れた男性が、背を向けて立っているのに気がついた。地面に下りて、見覚えのある人影に駆け寄っていく。
「レオン様」
金髪を揺らして振り向いたのは、久しぶりに見る王太子だった。
誰もがうらやむ甘く美しい容貌を、カッチリした詰め襟の礼服が際立てている。
いまだにレオンが好きな心は愛しさにうずくが、キャロルはもう彼の婚約者ではない。膝に抱え上げられて、お姫様扱いされる夢の時間は、もう終わったはずだ。
それなのに、キャロルを見るレオンの瞳は、愛おしげに潤んでいた。
「遅くなってごめん。十二夜の再開を、国王に認めてもらうため、時間がかかってしまった」
「再開なんてできますの? 前例はありませんのに」
十二夜が失敗するのは、新婦か新郎のどちらかが、結婚に対して踏み切れなかったからだと言われている。
どうしようもない出来事で、中止にせざるを得なかったのだとしても、そうなる運命だったのだと片づけられてきた。
「前例がないって、周りに耳が痛くなるほど言われたよ。そのたびに、最初の二人になりますと突っぱねて、ついに認められた。……薔薇、受け取ってくれてよかった」
レオンの視線が、キャロルの胸元に落ちる。
そこには、公爵邸を歩きまわって集めた十一本の花束があった。
これは、十二夜を再開するために、レオンが準備したものだったのだ。
「十一夜かけて俺の気持ちを伝えてきた。本来であれば、盛大な結婚式の用意をして迎える十二夜目だけれど、再開の決定が下りた今夜、どうしても最後の想いを渡したい」
レオンは、胸に挿していた薔薇を取り上げて、その場に跪いた。
「エイルティーク王国の薔薇にかけて、あなたに十二夜目の『永遠』を捧げます」
結婚式典である『十二夜』は、十二日連続してエイルティーク王国の国花である薔薇を一輪ずつ、新郎から新婦へと渡していく儀式だ。
十二本の薔薇にはそれぞれ別の意味が込められている。
最終日である十二夜目の薔薇には、相手を永遠に愛し続けるという強い意思が込められていて、この一輪の処し方で結婚するかどうかが決まる。
「ありがとうございます」
キャロルは、差し出された薔薇を受け取った。
結婚を受け入れる場合、十二夜目に渡された薔薇を、新郎の胸に挿し返す。
受け入れない場合は、渡された薔薇を全て捨てる。
つまり、一輪目が渡されてから十二日間、新婦には結婚について考える時間が与えられるのだ。
キャロルは十分に考えた。レオンはいったい誰を好きなのか、自分はレオンとどんな関係を築きたいのか。そして、自分の幸せとは何なのか。
もう答えは決まっている。
だが――。
キャロルが十二本目の薔薇も花束に入れてしまったので、レオンの表情は曇った。
「俺に戻してくれないってことは、もしかして……全部捨てるつもり?」
「いいえ? せっかくいただいた十二輪目ですもの。戻してしまうのはもったいないですわ。わたくし、もっと素敵な方法でお返事いたします!」
キャロルは、自分の指から抜いたヴァイオラの指輪を、レオンの左手の薬指に嵌めた。
サイズが小さいので第二関節までしか下がらなかったが、キャロルの手で戻せたことに違いはない。
「レオン様、大好きです! わたくし、喜んでレオン様のお妃になりますわーーー!!!」
両手を広げて抱きつくと、辺りからいっせいに拍手が起こった。
茂みの影や暗いバルコニーから、シザーリオ公爵家の使用人たちが現われて、レオンとキャロルを祝福してくれる。
タリアとマルヴォーリオは、ひときわ笑顔を弾けさせて手を打ち鳴らした。
「キャロルお嬢様、おめでとうございます!」
「私ども使用人は、必ずや王太子殿下がお迎えにいらっしゃると信じておりました」
「うっ……うううっ……」
喜びに包まれる公爵家で、ボロボロ泣いているのはセバスティアンだけである。
「よかったな、キャロル……! レオンも、王族の反対を押し切って、よく国王陛下を説得したものだ……!!!」
レオンに抱きつく腕をゆるめたキャロルは、心配そうに兄を見た。
「セバスお兄様ったら、泣きすぎですわ」
「今晩は許してあげて。セバスティアンにしてみたら、娘を嫁に出すような気持ちだから……」
立ち上がってキャロルを見下ろしたレオンは、彼女の頭上に、ふしぎな記号が浮かんでいるのを目にした。
「キャロル、頭の上のそれは?」
「上ですか?」
キャロルは頭上を見上げてみるが、綺麗な星空が広がっているだけだ。
「何もありませんわ」
「たしかにあるよ。『∞』という字が浮かんで――」
二人は、レオンの左手に嵌まった指輪を見て、はっと顔を見合わせた。
「『好き』と言った回数!!!!!」
――キャロルの愛情深さが見えるようになったレオンは、それから一段と彼女を溺愛した。
十二夜を失敗してなお結ばれた王太子と王太子妃は、エイルティーク王国でもっとも愛し合った夫婦として、後の世まで語られたという。
〈おしまい〉
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