35 来るはずのないお迎え
トービー港には貨物船がいくつも停泊していた。かけ橋に向かって大勢の人々が列をなし、蓋を打ちつけた木箱や布で包まれた荷物をせっせと積みこんでいく。
これらは、イリリア国に運ばれる輸出品だ。
エイルティーク王国の主要生産品である綿織物やガラス製品が多く、船員は、重さのわりにかさばる荷物をかぎられたスペースに納める作業に四苦八苦している。
朝っぱらから働き者の労働者たちを、列の途中からキャロルはながめた。
(外国船というのは活気であふれているのですわね)
レオンと船旅に出たときは、王家が所有する豪華船に乗った。
綺麗な内装のホールで晩餐やダンスを楽しみ、甲板に出したテーブルで紅茶とケーキを食べ、海面に花びらを巻いたり飛ぶカモメに歌ったりと、楽しいことがいっぱいの旅程だった。
しかし、それは王侯貴族だからできた遊びだ。
裏方では、入念な出航準備が行われるのだと、キャロルは初めて知った。
航海に必要なのは船と風だけではない。
乗組員の分より多めの食べ物や防寒着は必須で、急病人を介抱するための担架や、いざというとき海に飛びこむための浮き輪も用意されている。
水分や果物はとくに大切らしく、大量のワインとオレンジが運び込まれた。
「腐りにくいワインで水分補給なさるのね!」
「ジロジロ見てんじゃないよ。不審に思われるだろう」
隣に立ったニナに叱られて、キャロルは首をすくめた。
(人質の最中でしたわ)
ニナは、キャロルまで逃げられては困ると、自ら身柄を捕えているのである。
「アンタ、自分がどういう状況か分かってんだろうね。もっと人質らしく、ビクビクして縮こまっていな。いちいち感動して歓声をあげられたら迷惑なんだよ」
「だって、心から感動したのですもの! 体より四倍も大きな荷物をかつぎあげて船に放りこむなんて、すごいですわ!!」
キャロルは、両手を組み合わせて、キラキラと瞳を輝かせた。
「ここまで屈強な人間を、王都では見たことがありません。貨物船にたずさわる皆さんは、エイルティーク王国でも一、二を争うくらいに、たくましい殿方です!」
褒めるキャロルの声を聞きつけて、労働者が沸き立った。
「えらく褒めてくれるじゃねえか。姉さんとイリリア国で商売でもするのかい?」
「いいえ。わたくしはイリリア国にはいきませんわ。船のとちゅうでボチャンとされる予定ですもの」
「ボチャン?」
労働者は、けげんな眼差しでニナを見た。
ニナはお転婆な妹に手を焼く姉の表情で、肩をすくめる。
「海に手を浸して水遊びでもって話していただけさ」
さすがの名演技。キャロルが誘拐されてきたとは気づいてもらえなかった。
労働者は麻縄でしばった荷物を解いて、刺繍のはいった女性用の布靴を取り出す。
「そうかい、そうかい。でも、そんなサイズの合ってない靴じゃ、船のうえで遊ぶのは大変だぜ。これをやるから履き替えな」
「ありがとうございます!」
さっそく履き替えると、刺繍靴はキャロルの足にぴったりだった。
嬉しくて大喜びする様を見ていた別の商人が、古びたデザインのドレスを木箱から取り出す。
「あんた可愛いねえ。これは、国内じゃ売れなくてイリリアに持って行く古着なんだが、どうせ二束三文で買いたたかれる品だ。あんたにやるよ」
「まあ、うれしい。お代が必要な際には、シザーリオ公爵家にお問い合わせくださいませ」
「こっちには羽根つきの帽子があるよ。航海のあいだ貸してやるから、イリリア国についたら宣伝してくれないかい。口髭商人が売っている帽子は素晴らしいってな!」
「それまで生きているか分かりませんが、かしこまりました」
「こっちの扇もたのむ」
「ガラス製のアクセサリーはいるかい?」
あちらこちらから声をかけられて、キャロルの手には、あっという間にドレス一式が積み上がった。
「ちょいと、おじさんたち。悪いけど、この子にこんな豪華な服は似合わないよ」
「お待ちください、お姉様。似合うように着こなしてみせますわ。わたくし、これでも着こなしには自信がありますの」
木箱の影で着替えたキャロルは、意気揚々と人前に出た。
「いかがでしょう?」
レースがふんだんに使われた夜会ドレスに、羽根がついたドレスハットを被ったキャロルは、咲く花のように可憐だった。首回りのアクセサリーと手にした扇が品良くコーディネートをまとめて、高見えしている。
これで社交場に出たら、時代遅れだと不況を買ってしまうが、むさ苦しい労働者ばかりの港では、思わず膝をつきたくなるくらい立派なご令嬢である。
「こりゃあ、すごい。まるでお姫様だ。お嬢ちゃん、本当はやんごとなき家柄の令嬢なんじゃないのかい?」
「んなわけないだろ。行くよ!」
ニナは、キャロルの腕を引いて架け橋まで走り、船員に金貨を握らせて、順番より早く船に上がらせてもらった。
堂々と架け橋を登っていくキャロルは、注目の的だった。先に上がったニナは、ピリピリしながら船尾近くに移動して、キャロルの頬を強くはたいた。
「ふざけてんじゃないよ! 注目を浴びて助けてもらおうとでも考えてんのかい!!」
「いいえ。助けは来ないと分かっておりますもの」
頬を押さえたキャロルは、ニナの瞳をまっすぐに見すえた。
痛みを感じても取り乱さないのは、王太子妃になるための立ち居振る舞いを訓練してきた賜物だ。
「もうすぐ殺されるからと言って、身だしなみも整えずに泣きわめくのは愚かなこと。わたくしは、わたくしなりに最期のときを迎えるつもりです。貴族令嬢らしい装いができて満足ですわ!」
両手を広げて、手すりに寄りかかる。
青い空と清らかな空気。ビバ自然、ビバ自由、ビバ生命だ。
服装は何とか整えられたので、つぎは最期の晩餐がほしい。
「どうせならトーバー港の名物をいただけないかしら。お魚や貝をたっぷりいれたトマト風味の潮汁が有名でしたわね。船のうえでお鍋サービスはありまして?」
「あるわけないだろ。死ぬ直前に食い物の心配するなんて、ご令嬢ってのは変だね」
「どんなときも楽しみは大切でしてよ。わたくしは今、生まれてから一度も味わったことのない、何にも価値のない自分を味わっておりますの。田舎暮らしの妄想をするときのように!」
四歳で王太子妃候補になる以前から、キャロルはシザーリオ公爵家の令嬢だった。
十二夜に失敗して、もう死ぬしか価値のない人間になったのは悲しい。
けれど、異様に体が軽い。
生まれつき得た地位というのは、金ピカの足枷だったのである。
(レオン様は、もっと重たい足枷を嵌めておられますわ)
キャロル亡きあと、十二夜を失敗した責任は、レオン一人にのしかかる。
王太子がしっかりしていれば……。そんな無責任な論調で、レオンをおとしめる人々もいるだろう。
傷ついたレオンを抱き締めて、なぐさめてあげたいけれど、その頃、キャロルはこの世にいない。
願わくば、キャロルよりも美しく聡明で、レオンを心から大好きになってくれる女性が、王太子妃になってくれますように。
彼女との十二夜が成功し、レオンが幸せな結婚生活を送れますように。
(そう思いたいのだけれど…………やっぱりダメね)
本音を言うと、誰とも結婚しないでほしい。
キャロル以外をお姫様扱いしないでほしい。
いつまでもキャロルのことを忘れないでいてほしい。
でも、それは我がまま。そんな自分にはなりたくない。
だからキャロルは、王太子妃候補だったプライドだけは失わないために、悠々と微笑むのだ。
「ご安心くださいませ。いくら自由とて、レオン様の元婚約者ですもの。情けない真似はいたしません。ひと思いに身を投げてみせましょう」
「……言い直してやる。令嬢がどうこうではなく、アンタは変人だよ」
けたたましく汽笛が鳴った。
架け橋はあげられ、白い帆がいっせいに広げられる。
「出港ですわね」
港に残った労働者が手を振ってくれたので、キャロルは笑顔で振り返した。
そろそろ船内に入ろうと手すりに背を向けると、陸の方が騒々しい。
「なんだ、あの馬は」
「王都の騎士だ!」
はっとして振り返ったキャロルの視界に、宙を舞う白馬のお腹が見えた。
見事に着地した馬に乗っていたのは――。
「レオン、さま?」
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