34 この恋は逃げるが勝ちです
鉄格子のはまった牢屋で、セバスティアンは山賊を水責めにしていた。
水をはった桶に顔をつけ、気を失うギリギリで解放する拷問を、もう何度も繰り返している。
「さあ、吐け! お前らが窃盗団を引き入れ、潜伏先に安ホテルを都合したと調べはついているんだ!!」
キャロルが見たら卒倒しそうな光景を、レオンは壁に背をつけて見守っていた。
山賊のリーダーである無精髭を生やした小汚い男は、桶から顔を出すなり咳きこんで水を吐きだす。
「げほげほっ! わかった言う!! だから許してくれ!!!」
「だそうだ、レオン」
「そうだな……。まずは貴殿らが目をかけてやった窃盗団について知りたい」
「王家の宝飾品ばかりを狙って盗んでいる連中だ。頭領は褐色肌の美しい女で、占い師のフリして王族に取り入り、大胆に城に潜入して盗むのがお決まりなのよ。最近じゃあ、価値があがった魔晶石を求めて国を移動してる」
「ヴァイオラの置き土産が盗まれたのは、そのためか……」
宝物庫にあった魔晶石はすべて盗まれていた。
無事なのは、キャロルの手にある指輪だけだ。小ぶりな石だが、ヴァイオラの宝飾品のなかで、もっとも強い魔力を宿していて、たえず在りかを発信している。
セバスティアンは、濡れた手を拭きながら問いかけた。
「窃盗団は、エイルティーク王国の次に、どこへ行くつもりだ?」
「イリリア国とか言ってたぜ。トービー港で貨物船に乗りこんでしまえば、直通で行けるからな。追うなら急ぎな。あいつら、道を通れなくしてその間に逃げるんだ」
「すぐに向かおう」
牢屋から出て厩舎に向かっていると、黄昏の空のしたをタリアが息を切らして走ってきた。
「王太子殿下、セバスティアン様。キャロル様のお姿を見ませんでしたか?」
「俺たちは見ていません」
「では、どちらに行かれたのでしょう。庭師の話では、大型犬に引っ張られて走っていったらしいのですが……」
セバスティアンは、心配そうなタリアの背を支える。シザーリオ公爵家に仕える使用人を家族のように思っているのだ。
「そう気鬱になっては赤ん坊に影響が出る。キャロルのことは案ずるな。どうせ、レオンの代わりにパトリックを散歩に連れて行ったとか、そんなところだろう」
「……違う」
今日は、金曜だ。愛犬家の集まりに行くのは水曜。それを知っているキャロルが、わざわざ門の外にパトリックを連れ出すはずがない。
「散歩なら城内でもできる。キャロルが出ていったのは、他の理由だ……」
悩ましげに視線を下ろしたレオンは、ブーツの紐通しが輝いていることに気がついた。指でさぐると、水晶の欠片がはさまっている。
「割れた地図版の欠片が、こんなところに」
欠片には、トービー港へ向かう道が掘られている。その道を、星のように細やかな光が通っていった。
「キャロルは港に向かっているようだ。徒歩のスピードじゃない。馬車だ。だが、長距離を走る乗合馬車には犬を乗せられないはず……乗っているのは荷馬車だ」
なぜキャロルは、そうまでして港へ向かっているのか。
レオンが推察した理由は、空恐ろしいものだった。
「窃盗団に捕えられて、移動させられている」
「はぁ!? なにやってるんだ、あいつは!!!」
「キャロルを責めないでやってくれ。タリア殿、騎士団に報せをお願いしたい。城から宝物を盗み出した窃盗団が港に向かっている。ただちに大隊を派遣せよと」
「承知しました」
命令を託したレオンは、仰天するセバスティアンを引っ張って駆け出した。このままでは、盗品といっしょにキャロルも国から持ちだされる恐れがある。
沖に出た辺りで殺されてしまう可能性が高い。
欲しい指輪を盗るために、殺して指を切る犯罪者もいるくらいだ。
キャロルのか細く白い指を思い出して、レオンは闘志を昂ぶらせた。
一刻も早く助け出さなければ。
白馬にまたがり、セバスティアンの支度をまたずに手綱を振り下ろす。
「行け!」
馬は走り出した。町中をひた走っている間も、夜の帳はどんどん下りてくる。
風は冷たく、むき出しの顔や首が、ヤスリで刷られているように突っ張った。
後ろから、栗毛の馬を駆ってきたセバスティアンの声がする。
「荷馬車の足は、単騎の馬よりはるかに遅いはずだ。すぐに追いついて決着をつけるぞ」
「そのつもりだ――っ?!」
突然、道の先で爆発が起きた。
辺りに土が飛び散り、驚いた馬が興奮して旋回する。
「なっ、なっ、なにが起きたーーー!」
「窃盗団の仕業だ。夜半中のうちに道を破壊して、追っ手が来るのを遅らせるのが目的だろう。道を修復しなければ、騎士団はトービー港まで辿り着けない」
「冷静だな!!?!! おい、落ち着け! いいこだから」
セバスティアンがなだめても、馬の恐怖は引かない。
落ち着いているレオンの馬も、本心では恐ろしいだろう。
「……港にたどり着くまでは時間がかかるな」
「王太子殿下、ご無事ですか!」
そうこうしている間に、騎士団の大隊がやってきた。
道の修復を命じて、いまだ動揺している栗毛の首を撫でてやり、困っていたセバスティアンにも一声かけた。
「他にも爆破されている箇所があるに違いない。こんなに怯えている馬を走らせては可哀想だ。キャロルは俺だけで追うよ」
「致し方ない……。妹をたのむ」
頭を下げるセバスティアンに頷き、レオンは再び手綱を振り下ろした。
走り出した白馬は、地面をえぐる大穴を、高く飛び越えた。
荷馬車はだいぶ先へ進んでいるはずだ。こうしている間に、キャロルが乱暴されていたらと思うと、気が気ではなかった。
大穴は、他にも三箇所空いていて、そのたびに白馬に飛び越えさせる。
長い距離を走らせたせいで、足どりは重くなっていく。
周囲の景色が見えやすくなった。闇が引き始めたのだ。
レオンは白んでいく空を睨んだ。
そろそろ、貨物船への積み荷が始まる頃合いだ。
夜が明けて、船が出航したら、キャロルは――。
ワン! 愛犬の声が道の先からして、我に返る。
輝く海面が見える峠の向こうから、パトリックが猛進してきた。
レオンは、馬を下りて彼を抱きとめる。
「パトリック。キャロルはどうした?」
舌を出して息を荒くしていたパトリックは、首をそらせた。
首輪の金具に、キャロルの指輪が引っかかっている。彼女のことだから、形見代わりに自分の元へ届けさせようとしたのだろう。
キャロルは、まだ生きている。
「俺を連れて行ってくれ。キャロルの元へ」
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