33 十二夜、失敗

「――レオン様」


 十二夜の夢を見ていたキャロルは、暗い小屋で起き上がった。

 ロープの山にもたれかかっていたせいで背中が痛い。膝が重いと思ったら、口輪を嵌められたパトリックが頭をのせて眠っていた。


 周囲には、ガラスでできた浮き球や、錆びて朽ちかけた碇が、ざつぜんと置かれている。室内に照明はないが、やせた壁板の隙間から入るわずかな外光で、かろうじて辺りが見える。


「……ここは……」

「やっと起きたのかい」


 入り口にかけてあった布を端によせて、ニナが顔を見せた。

 ジレとズボンを着て、頭には布を巻いた海賊のような格好は、褐色の肌と美しい顔だちによく似合っていた。足音に気づいて、パトリックも目蓋を開ける。


「よく寝ていたね。おかげで何事もなく港町までたどり着けたよ。もうすぐ夜明けだ。買収した貨物船に乗り込んで、海路でこの国とおさらばする」

「もうすぐ、夜明け?」


 キャロルの背がすうっと冷えた。


 殴られて気を失ったのは、十輪目の薔薇を受け取った日の午後。

 何事もなく深夜零時を越えたら、十一輪目の『努力』を渡されるはずだった。しかし、誘拐されて連れてこられた港に、レオンがいるはずがない。


 この夜が明けたら、十二夜は失敗してしまう。


 小屋のなかが、一段と明るくなった。

 入り口の向こうを見やれば、うす雲が刷けた空の蒼が、じょじょに白へと変わっていく。


「明けないで……」


 祈るようにつぶやいた。けれど、時は止まってくれない。

 水平線から朝日が顔を出す。清らかな光がキャロルの体を照らし出す。


「この夜が明けてしまったら、わたくしは」


 レオンの花嫁に、なれなくなってしまう――。


 無情にも、朝日は海をはなれて空に昇っていった。

 夜は明けた。レオンとの十二夜は、失敗してしまった。


 絶望にひたるキャロルのそばに、薄汚れた衣服が投げ出される。


「なに暗い顔してんだい。船にはアンタも乗ってもらう。これに着替えな」


 泣こうが喚こうが、冷血なニナが手心を加えてくれるはすがなかった。キャロルは、パトリックを安心させるように前脚をきゅっと握る。


(花嫁になれなくても、レオン様の幸せは、わたくしが守ってみせますわ)


 王太子の愛犬であるパトリックだけは、この命に替えても助けなくては。

 キャロルは、キッと視線を上げてニナに進言する。


「いざというときのための人質が一緒にいては、逃亡生活のお邪魔になります。わたくしとパトリックのことは、この港にうち捨ててくださってかまいませんわ」

「アンタを捨てるのは船の上だよ」


 しゃがみこんだニナは、腰に差していた短刀を抜く。


「宝物庫から魔晶石を盗み出した〝犯人〟として、近海で溺れ死んでもらう。盗品はみんな海の底に沈んで見つからない。そういう筋書きにしておけば、誰もアタシらを国外まで追ってこないからね」

「わたくしの溺死体が上がろうと、犯人だとは思われませんわ。王太子殿下が、わたくしは無実だとご存じですもの」


 どんなに疑わしい状況だろうと、レオンだけはキャロルを信じてくれる。

 それだけは自信があった。


「思いが通じ合っているとか言うつもりかい。恋だか愛だか知らないが、うすら寒いったらないね。アンタが犯人に見えるように、ワインボトルに犯行を自白する遺書を入れて、死体に添えておくさ。自分で着替えな。逃げようとしたら、ここで犬を殺す」


 ニナはキャロルを縛っていた縄を切った。


 自由になった手で男物のシャツを持ち上げて、キャロルは考える。 

 ニナを交わして小屋の外に出ても、周囲で見張っているだろう仲間に捕えられて終わりだ。運動も勤労もしていない令嬢の足では、走ってもろくなスピードは出ない。


(わたくしの足が、パトリックのように速ければ良かったのに)


 パトリックの鼻を撫でると、困った瞳でキュウンと鳴かれてしまった。


(この際、わたくしはどうなってもいいわ。レオン様の元に、パトリックを戻してあげられれば)


 デイドレスを脱いで、シャツとズボンを身につける。丈が長かったので、袖と裾をまくった。

 刺繍の入れられたヒールをぬいで、服といっしょに投げつけられた布靴に履き替えるが、サイズがあっていなくてガポガポだ。


「この靴では歩けませんわ。中敷きをご用意いただけますか?」

「はぁ? んな高級なもん、あるわけねえだろ」

「では、ロープの切れ端で代用します。ナイフを貸してください」

「すぐに返しなよ」


 ニナから短刀を受け取ったキャロルは、体の影でロープを切るフリをして、レオンから贈られた指輪を抜いた。


(これがわたくしの指から抜けていたら、レオン様は気づいてくださるでしょう。犯人は、ヴァイオラの宝石を奪った賊だと)


 パトリックに繋がっていたリードを外して、指輪を首輪に引っかける。

 すると、先ほどまで見えていた、パトリックの『好き』と言った数字が、見えなくなってしまった。


「この指輪が原因だったんだわ……!」


 結婚前々日に、キャロルはレオンから贈られた指輪を嵌めて眠った。その翌朝から、他人の頭上に謎の数字が見えるようになった。


「わたくしの体質ではなくて、女王ヴァイオラが不老不死のために追いすがった魔力によって、見えていたに過ぎなかったのね」


 はじまりは思わぬトラブル。

 けれど、『好き』と言った回数が見えたおかげで、キャロルは、レオンがどれだけ強く自分を想っていたのか知れた。


 大好きな人から、『∞』の愛を与えられていたのだ。

 幸せな人生だった。もう、思い残すことなんてない。


「なにブツブツ言ってんだい」

「お待ちを。今、切りますから」


 キャロルは、ひと思いに短刀を振り下ろした。

 パトリックの口を封じていた口輪のベルトに向けて。


 ザクッとベルトが切れた瞬間、その背を強く押す。


「レオン様の元へお行きなさい!」


 元気よく鳴いて、パトリックは小屋を飛び出た。

 賊が騒ぐ音が聞こえたが、無事に逃げおおせたようだ。


 まんまと逃げられたニナは、ツバを飛ばして激昂する。


「アンタ、なに勝手なことしてんだい!」

「わたくしさえ残れば、問題ありませんでしょう? シザーリオ公爵家の令嬢として、ニセの犯人役、心してお受け致しますわ」


 キャロルは、短刀を投げ捨てて、豪華なドレスを着ているかのように、優雅に立ち上がった。


「わたくし、お友達を作るのが大得意ですの。せっかくお近づきになれたのですもの。海の底に沈むまで、どうぞ仲良くしてやってくださいませ」

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