21 姫はこうして恋に落ちた
十年前、キャロルは病床にいた。
黄昏どきの空の色にそめられた寝室に、苦しそうな咳がひびく。
「けほっ、けほっ……」
ゼエゼエと肺を鳴らして、やっと息を吸う。
こんなにも苦しい原因は、噛み木の毒だ。
メイドと黒霧の森にピクニックに出掛けて、噛まれてしまったのである。
大人でも生死の境をさまよう毒におかされたキャロルは、もう三日も寝込んでいた。
往診に訪れた公爵家お抱えの医師は、最悪の場合も覚悟しておくように、とセバスティアンに告げた。
宣告を受けた兄が、扉の向こうで声を殺して泣いていたのを、キャロルは知っている。
(わたくし、しぬのね)
死んだ人は、天国という場所に行くのだと聞いてる。両親は先に旅立っていて、いつかキャロルもそこに行くのだと、執事が教えてくれた。
天国はいいところらしい。
何をしても痛みを感じず、お腹がいっぱい食べられて、楽しく笑っていられるらしい。
(それなのに、どうしてセバスお兄様は泣いたのかしら)
もうろうとする頭で考えて、会えなくなるからか、と思い付いた。
死んでしまったら、兄にも執事にもタリアにも会えなくなる。
キャロルは、今までにお世話になった人びとの姿を思い浮かべた。どの人も心優しく、キャロルにさまざまな事を教えてくれた。
なかでも、もっとも大切にしてくれたのは、婚約者であるレオン王子だった。
レオンは、これまで頻繁に会いに来てくれていたが、キャロルが毒に倒れて面会謝絶になってからは、顔も見ていなかった。
キャロルのことを『お姫様』と呼んでくれるレオン王子は、かっこよくて頼りになる男の子だ。
もしも、他の女の子をお妃様にすることになっても、きっと幸せになれる。
だから、心配はいらない。いらない、けど。
「さいごに会いたいです、レオンさま……」
キラキラした金色の髪と宝石みたいに綺麗な青い瞳の王子様に、さいごに頭を撫でてもらったことを思い出したら、目尻から涙がこぼれおちた。
はっと気がつくと、部屋が暗かった。
眠っているうちに、真夜中になっていたのだ。
看病についていた侍女は、椅子でうたた寝をしている。黒霧の森に連れて行った責任を感じて、夜も昼もキャロルの世話をしていたから、疲れたのだろう。
喉が乾いていたキャロルは、なんとか一人で起き上がり、サイドチェストの水差しから、ほんの少し口に含んだ。
「っ、けほっ」
咳をこらえて、再び寝転がろうとしたそのとき。
換気のために開けている窓から、カタン、と物音がした。
「…………?」
侍女を起こすのが可哀想だったので、キャロルは、力をふりしぼって立ち上がり、窓際に歩いていった。
椅子にのぼってガラス窓を押し開けると、ウインドウボックスに、薔薇が一輪さし込まれていた。
「きれい……」
白い花びらが、縁の方にかけてピンク色に色づいている、いちばん好きな薔薇だった。
レオン王子に連れられて、お城の薔薇園に行ったときに見つけたものだ。
トゲがとても鋭いと庭師に注意されたので、手にとるのはこれが初めて。
そっと持ち上げると、刺は綺麗にそがれていた。
だれが持ってきてくれたんだろう?
窓の下を見下ろしたキャロルは、雨どいを伝って壁を下りていく、小さな人影に気がついた。
結った金髪を乱れさせ、手に包帯を巻いた姿で、地面に下り立ったのは――。
「レオンさま?」
窓を振り仰いだレオンは、キャロルの姿を見つけると口元に指を立てた。
しーっ。静かに。
キャロルが口を両手で押さえと、レオンの口元が動く。
『はやく、げんきに、なってね』
その言葉で、彼がここにいる理由が分かった。
キャロルを心配してお見舞いに来てくれたのだ。
昼間は大人に止められてしまうから、真夜中に城を抜け出して。手に怪我をしながら、キャロルがいちばん好きな薔薇をつんで。
(わたくしのために)
ほわっと胸が温かくなった。これまでは、セバスティアンと同じ良いお兄さんだったレオン王子が、好きな人にかわった瞬間だった。
キャロルがこくこく頷くと、レオンは愛おしそうに微笑んで、裏庭へ走って行ってしまった。
姿が見えなくなるまで見送って、薔薇を手にベッドに戻ったらば、侍女が起き出した。
「まあ、お嬢様。その薔薇はどうなさったのですか?」
「窓に引っかかっていて……げほっ、ごほっ!」
無理に起きたのがたたって、キャロルは、再び倒れた。
次に目覚めたときには、レオンから贈られた薔薇は、花瓶に生けられてサイドチェストにあった。色づいた花びらを見ると、胸がきゅんとなる。
(レオン様、だいすきです)
どんなに苦しくても薔薇を見たら耐えられた。
それから二ヶ月ほど療養して、ようやく調子を取り戻したキャロルは、王城にいるレオンに会いに行って、開口一番に抱きついた。
「わたくし、レオン様のお妃にふさわしい令嬢になってみせますわ!!!」
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