20 恐怖!その美女、冷血につき
浮かんでいたのは、0。
そんなことあるはずないと思って、きゅっと目をつむってから再度見てみたが、何度見ても、0。
兄のセバスティアンですら三ケタはあるというのに、ニナは、人に一度も「好き」を伝えたことのない、冷血人間だった!
「れ、レオン様……。彼女はいけません。その好きは一方通行です……!!!」
「落ち着いて、キャロル」
背中をさすられてもなお、キャロルはニナが恐ろしかった。
このままでは、レオンの恋心は利用されて、こっぴどく捨てられてしまう!
ニナは、ヴェールを拾い上げて頭を隠すと、ふうっと息を吐いた。
「何を勘違いしてんだか知らないけど、アタシが王太子と話したのは、これが三度目。恋愛相談は受けたが、デートをするような仲じゃない。ごろつきが出入りするような、城下町の安ホテルに滞在してるのは事実だけど、いきなり危険人物扱いは酷いんじゃないの。貴族令嬢だか何だか知らないが、アンタ失礼だよ」
「ニナの言う通りだ。こんな物言いをするなんて、君らしくない」
レオンは、キャロルから体を離すと、ニナの方に手を差し伸べた。
「婚約者が失礼しました。何人も占ってお疲れでしょう。一度、休憩なさってください。こちらに食事を準備しています」
「ありがと。いただくよ」
立ち上がったニナとレオンは、別室へ歩いて行く。
「あ……」
離れていく背中に手を伸ばすが、レオンは振り返ってくれなかった。
暗い部屋に一人残されたキャロルは、行き場のない手を引っ込める。
「……わたくし、最低なことをしてしまいました……」
今度こそ、レオンに嫌われてしまった。じわっと涙が出てきて、泣きそうだ。
フラフラした足どりで廊下に出ると、歩いていた紳士にぶつかった。
「グズっ、申し訳、ございません、グズっ」
「キャロル」
顔を上げると、相手は久しぶりに会う兄セバスティアンだった。
不意打ちを食らった鳩みたいに、目を丸くしている。
「どうして泣いている。レオンは? 何があった?」
「セバスお兄様。わたくし、レオン様に嫌われてしまいました。いくら数字が見えるからって、よく知りもしない人を罵倒していいはずがありませんのに」
キャロルは、甘えるように兄の肩に頭をつける。ついでに、衿元にしめていたスカーフタイを手に取った。
「悲しくて苦しくて、涙と鼻水が止まらないのですわ! ズビーーーーーー!!!!」
「やめろ! 俺のネクタイで鼻をかむなああーーーー!!!!!」
可哀想なセバスティアンの絶叫は、廊下に響き渡ったのだった。
◇◇◇
「このお部屋で目覚めるのは、とても久しぶりですわ」
シザーリオ公爵邸の自室のベッドで、キャロルは大きく伸びをした。
見慣れた天井や調度品が視界に入ると、それだけで安心感を覚える。
なぜ実家にいるかというと、セバスティアンによって、七夜目の会場から連れ出されたからだ。
他人の目がある廊下で、情けなくズビズビ泣くものだから、見かねて連れ帰られたのである。
あのままではレオンと顔を合わせづらかったので、兄に感謝だ。
(レオン様は、ニナ様への態度が悪かったわたくしを軽蔑なさっているでしょう)
きっとレオンは、もう薔薇を渡しには来ない。
十二夜は中断して、キャロルに代わる王太子妃候補があげられる。
そのお相手は、レオンが本当に好きな人になるはずだ。
逃げ回らなくても、キャロルの願いは叶った。
だから問題はない。
胸がひどく痛むのをのぞけば――。
コンコンとノックの音がして、キャロルは我に返った。
扉が開いて、マルヴォーリオが顔を見せる。
「お嬢様、朝の紅茶をお持ちしました」
彼が手に抱えた銀盆には、小ぶりなティーポットとカップがある。
貴族は、目を覚ますために朝一番に紅茶を飲む。昨晩、遅くまで起きていたキャロルのために、わざわざ淹れてきてくれたのだろう。
キャロルは、笑顔でカップを受け取った。
「ありがとう、マルヴォーリオ。ごめんなさい、急に帰ってきて」
「いいえ。お嬢様のお顔を見られて、使用人達は喜んでおります。タリアから話は聞いておりましたが、やはりご本人に会わなくては、寂しさは埋まりませんからね」
「わたくしも皆に会えて嬉しいわ。タリアのお腹に赤ちゃんがいるって聞いて、お祝いの言葉を伝えたいと思っていたのよ。お父さんになるのね、マルヴォーリオ。おめでとう。二人の子どもですもの、きっと心優しく聡明な子が生まれるでしょう」
祝福すると、マルヴォーリオは幸せそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。出産予定日はまだ先なのに、今から浮かれてどうするのだとタリアに注意されるのですが、嬉しくてたまらないのです。私の子を宿してくれた彼女には感謝しています。心から」
マルヴォーリオの頭上の数字が+1された。
感謝の言葉に、「好き」の気持ちを込めたのだ。
(見てはいけないわ)
キャロルは、とっさに視線をそらせた。思いがけず授かった能力とはいえ、人様の好意を盗み見てしまうのは、やっぱり失礼なことだ。
「マルヴォーリオ、謝らせてほしいの。わたくし、実は十二夜がはじまる前の日から、人の頭のうえに数字が見えますの」
「数字、ですか?」
自分の頭のうえを見上げたマルヴォーリオは、首を傾げる。
「何もありませんが」
「見えるのはわたくしだけのようですわ。わたくし、レオン様が今までの人生でどれだけ『好き』を口にしたか興味が湧いて、素知らぬふりをして逢いに行ったのです。そうしたら、」
レオンの頭上に、燦然とかがやいていたのは『∞』。
彼に、自分とは別の思い人がいると悟ったキャロルは、婚約破棄を申し出た。
「お嬢様が十二夜から逃げ回っていたのは、王太子殿下のお気持ちを尊重するためだったのですね。それを、殿下はご存じで?」
「言えませんでした。白状したら、レオン様に嫌われてしまうと思って……」
「左様でしたか」
マルヴォーリオは、全てを理解した顔でカップを引き取った。
「お嬢様。王太子殿下に、その能力についてお話されるべきです。長い間、仲睦まじく過ごされてきた婚約者に急につれなくされて、殿下は傷ついておられるでしょう。話したうえで、黙っていて申し訳ないと、謝られてはいかがです?」
「無理ですわ。もう愛想を尽かされてしまいましたもの」
ニナを疑う前であれば、まだレオンも謝罪を受け入れてくれただろう。
嫌われた今となっては、キャロルがどれだけ誠心誠意を見せても、許してはくれない。
勝手に人の心をのぞいて楽しんでいたのかと、さらに嫌われる可能性だってある。
「わたくし、自分が思っていたより我がままでした。レオン様に、本当にお好きな方と幸せになってほしいのに、わたくしのことも好きでいてほしいのです」
「お嬢様のお気持ちは、承知いたしました。それでは、マルヴォーリオといっしょに考えましょうか。殿下に、これ以上、嫌われない方法を」
「ええ!」
一日かけて、キャロルは、レオンにどうやって『好き』と言った回数が見えると打ち明けたらいいか考えた。
口では上手く説明できなさそうだったので、手紙にしたためることにした。
お気に入りの便箋を取り出して、ペンを握る。熱中しすぎて、すぐに夜になってしまった。
兄と晩餐をいただいて、寝る準備を調えて、ベッドにもぐり込む。
こんなに早く眠るのは、久しぶりだ。
「最近は、十二夜のために夜更かししておりましたもの」
レオンは今頃、どうしているだろう。
キャロルが実家に帰って、薔薇を渡す必要がなくなって、ほっとしているかもしれない。好きでもない婚約者と、結婚しなくてよくなったのだから。
「……切なくて、眠れない……」
キャロルは、カチカチと動く秒針の音を聞きながら、何度も寝返りを打った。
目を閉じると、レオンの顔が浮かぶ。
笑った顔、真面目な顔、少し弱った顔。
そして、キャロルが「本当に好きな人を見つける」と宣言したときの。
(悲しそうな顔)
窓に背を向けたとき、外でカタンと物音がした。
鳥も飛ばない真夜中に何だろう。
起き上がったキャロルが窓をそっと開けると、花鉢を置くウインドウボックスに、一輪の薔薇が置かれていた。
「八輪目の『真実』だわ」
薔薇を手にとって、階下を覗きこむと、裏庭から去って行くレオンの後ろ姿が見えた。わざわざシザーリオ公爵邸まで、忍んできてくれたようだ。
「レオン様、どうして……」
暗がりに溶けていく金髪を見ていたら、ふいに昔の思い出がよぎった。
眠れない夜。
カタンと鳴る窓。
ウインドウボックスに置かれた、花――。
「わたくし、前にもこうして、薔薇を受け取ったことがあるわ」
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