17 見てはならない神聖なもの
「おやすみなさい、レオン様」
寝室の扉を通って、自室に戻るレオンを見送ったキャロルは、花瓶に五輪目の『希望』をさした。
レオンから差し出された五つの誓いは、どれも瑞々しく咲き誇っている。
「風邪で伏せっていて、一日むだにしてしまいましたわ」
こんな調子では、あっというまに十二夜目が来てしまう。
五つでも胸が切ないのに、さらに七つももらったら。キャロルの心ははち切れて、レオンへの想いを抑えきれないかもしれない。
別に好きな人がいると知っていながら、それでもいいと、レオンの求婚を受け入れてしまいそう……。
弱気になってはダメだと、キャロルは首をブンブン振った。
「体調も回復してきたことですし、今日からは、またレオン様のお好きな方探しに邁進いたしましょう!」
ベッドにもぐって、レオンの寝室につづく扉を見る。
(レオン様に、夢のなかでもお逢いできますように……)
願いもむなしく、その晩のキャロルは、パトリックに振り回されて公園を走り回る夢を見た。
――翌朝。
のっそりと起き上がったキャロルは、ベッドの上で伸びをする。
「気持ちよく眠れましたわ」
真夜中過ぎまで起きているせいか、シザーリオ公爵家にいた頃より遅起きだ。
起きる時間にはすっかり太陽が昇り、ぽかぽかと暖かいので、ベッドを出るのが苦にならない。
キャロルが起きると、支度部屋に詰めていた侍女が、いっせいに寝室に入ってくる。朝の支度をはじめるのだ。
汲みたての水で顔を洗ったら、コットンに染みこませたローズ水でパック。
ネグリジェを脱いだ体は香油で丹念にマッサージされ、ファッションショーさながらに次々と持ち込まれるドレスを選んで着替える。
薄化粧をほどこして、ドレスに合わせた髪型にセットする。
ここまでが、キャロルの朝のルーティンである。
朝食の席にいくと、レオンが待っているので、スカートを持ち上げて挨拶する。
「おはようございます、レオン様」
「おはよう、キャロル。今日の体調はどう?」
「おかげさまで、すっかり元気ですわ」
テラスで向かい合って朝食をとりながら、たわいない話をする。
平和で穏やかな空気が流れるこの時間がキャロルは好きだ。
だが、今日のレオンはいつもと違った。
エッグマフィンを半分も残して、小さなため息をついている。
「レオン様、具合がお悪いのですか。まさか、わたくしの風邪が、うつってしまわれたのでは」
「体は元気だよ。少し気が塞いでいるだけ」
「それは大変ですわ。お仕事をお休みになって、休息をとられてはいかがでしょう?」
「キャロルが片時も離れずに側にいてくれるなら休むけど……。今日も、俺の好きな人探しをするんだろう?」
「はい……」
後ろめたい気持ちを抱えて返事をすると、レオンは、ナフキンで口元をぬぐって立ち上がった。
「キャロル。気持ちは見えないものだから、疑ってしまうのかもしれないけれど、俺は君に王太子妃になってほしいと、心から思っているよ。君以外の人間を妻にするなんて、考えたこともない。たったの一度もね」
キャロルに近づいたレオンは、前髪を指でよせて、おでこにチュッとキスを落とした。柔らかな感触に、キャロルは「ひゃ」と声をもらす。
クスリと笑ったレオンは、腕のなかに閉じ込めるように、キャロルをかき抱いた。
「……君に信じてもらえるように、努力するから」
か細いその声は、キャロルの胸をかき乱したのだった。
◇◇◇
「レオン様を信じていないわけではないのです……」
朝食の席でいわれた言葉が気になって、キャロルは考えごとをしながら廊下を歩いていた。テラスから自室は遠いので、思案する時間はたっぷりある。
「疑りぶかい女性だと思われてしまったのでしょうか。どうしましょう。レオン様に嫌われてしまったら、わたくし、もう生きてはおれませ――きゃっ」
スカートにつまずいて転びそうになったところ、前方の女性に抱きかかえられた。
「まあ、ご親切にありがとうございます」
相手の顔を見て、キャロルは驚いた。
今はシザーリオ公爵家にいるはずの相手だったから。
「タリア!」
名前を呼ぶと、タリアは微笑んだ。
「お久しぶりです。セバスティアン様のご命令により、本日より王城にご奉公にあがることになりました。しばらくの間、キャロル様の話し相手として働きます」
「そうだったのね。タリアが来てくれて、ほんとうに嬉しいわ。でも、セバスお兄様はどうして貴方をこちらに遣わせたのかしら?」
レオンの計らいにより、侍女は十分に宛がわれているというのに。
「セバスティアン様は、キャロル様の身を案じていらっしゃるのですわ。公爵家を間されてから、キャロル様の暮らしぶりを毎日のように王太子殿下に尋ねておられました。熱をあげたと聞いて、いてもたってもいられず、私を王城に遣わせると決められたのです」
「お兄様は、わたくしを心配してくださったのね」
兄の思いやりに、キャロルは感動した。
他人に「好き」と伝えた回数は三ケタどまりだが、良いところもないわけではない。
でも……。
キャロルは、タリアの頭上を見上げた。
105,557。浮かんだ数字は、前より大分増えている。
彼女から、たくさんの好きを与えられている相手は、夫であるマルヴォーリオだ。
「わたくしに仕えると、王城で暮らすことになるでしょう? マルヴォーリオと離れ離れになってしまうわ。二人とも、寂しくない?」
可愛らしく小首を傾げられて、タリアはふふっと笑う。
「平気ですよ。手紙を出しますし、お休みの日にはシザーリオ公爵家に帰りますから。それに、キャロル様にお仕えできるのは、お腹が大きくなるまでですから……」
タリアは、愛おしそうにお腹を撫でた。
慈愛に満ちた表情に、キャロルはぴんときた。
「タリア、あなた、お母さんになるの?」
「はい。今年の冬ごろに」
「っ! おめでとう!!」
嬉しくなってキャロルは、タリアに抱きついた。
マルヴォーリオがタリアの体調を気にしていたのは、彼女のお腹に新しい命が宿っていたからだったのだ。
「ありがとうございます、キャロル様。お腹に子どもがいてくれるから、寂しさは感じないのです。それに、マルヴォーリオとは、離れても寂しくないように、いつも愛情を伝え合っています。人前では言いませんから、キャロル様はご存じないと思いますが……」
ううん、知っているわ。
うっかり打ち明けそうになって、キャロルは口をつぐんだ。
キャロルには、タリアが「好き」と言った回数が見えている。
シザーリオ公爵家を出てから、タリアとマルヴォーリオがどれだけ愛を伝えあったのか、数の増え方で分かってしまう。
その数は、気持ちは。
本来であれば、伝えた当人と相手しか知り得ない、神聖なものなのに。
(わたくしったら、何て酷いことをしていたのでしょう)
見えることにばかり気を取られて、見えてはならないことだと気づけなかった。
キャロルは深く反省して、次にマルヴォーリオに会ったら、謝ろうと心に決めたのだった。
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