16 迷子になっても捕まえて
パトリックが足を止めたのは、都の東にある自然公園だった。
広い泉を囲むように青々とした芝生と遊歩道が調えられていて、まばらに生えた樹木からは小鳥のさえずりが聞こえる、市民の憩いの場だ。
キャロルは、膝に手をついて乱れた息を整える。
「い、息が切れて死んでしまうかと思いましたわ……」
「おや、パトリックじゃないか」
しわがれた声に顔を上げると、さまざまな犬を連れたおじいさん、おばあさんたちがいた。木の柵で区切られたドッグランのなかで談笑している。
「はじめまして。愛犬家の集まりはこちらですか?」
「ええ。レオン様は、十二夜の間は集まりに来られないとおっしゃっていましたが、代理を立てられたのですね。よかったねえ、パトリック」
白髭のおじいさんに名前を呼ばれると、パトリックは元気にお返事した。
「リードを外して遊ばせてやって。慣れているから柵を越えて行くことはないよ」
「はい」
ドッグランに入って、首輪からリードを外すと、パトリックは他の犬と駆けまわりだした。
帽子を深く下げて顔を隠したキャロルは、おじいさんに問いかける。
「参加者は、これで全員ですか?」
「そう。老人ばかりでビックリしただろう? この集まりができたのは、黒霧の森で愛犬を遊ばせていたわたしが噛み木に襲われて、レオン様率いる騎士団に助けてもらったのがきっかけなんだ」
噛み木は、黒霧の森に住む怪物だ。
人や動物がそばを通ると枝を伸ばして絡めとり、幹を裂いて大口を開け、噛みついてくる。鋭い歯には毒があり、噛まれると高熱を出したり死んでしまったりする。
おじいさんは、犬が周りに迷惑を掛けないように、危険だと知りながら人気のない黒霧の森に通っていた。
事情を知ったレオンは、安全な公園で遊ばせようと提案して、芝生の一角に柵を設けた。そして、おじいさんと同じように、犬を遊ばせる場に悩んでいた老人たちに、声をかけていったのだそうだ。
「助かりましたよ。お若い方だと、長い距離をいっしょに走ったりボール遊びの相手をしてやれたりしますが、この年になると愛犬が満足するだけの運動には付き合えないのでね」
「ご老人ばかり……それでは、集まりのなかに、レオン様の恋人はいらっしゃらないのですか?」
「いないに決まっているよ!」
おじいさんは大口を開けて笑った。
「レオン様の恋人は、十二夜を進めておられるシザーリオ公爵令嬢のことでしょう? 婚約者のことを、レオン様はいつも話しておられましたよ。素直で可愛らしくて、子犬のようだと」
「子犬……!!!!」
レオンは自分をそんな風に思っていたのかと、衝撃だった。
キャロルの一途なところが、犬っぽく見えたのかもしれない。
(ここでも収穫はありませんでしたわ)
キャロルは、一しきり遊んで満足した様子のパトリックにリードをつけて、愛犬家たちと別れた。
レオンの好きな人は見つけられなかったが、彼が人々を思いやっているエピソードを知れて、胸がほくほくと温かい。
「あなたのご主人はとっても良い方ね、パトリック。……パトリック?」
パトリックは急に足を止めた。
くんくんと鼻を動かしたかと思うと、急に脇道に入って走り出す。
「今度は、どこに行くのです……!?」
何かに急き立てられるように前に進むパトリックは、縦横無尽に町中を駆けた。右に曲がり、左に折れて、直線からのカーブ、そこからさらに右に……。
足を動かしているうちに、キャロルの方向感覚はおかしくなってしまった。
パトリックは、安いホテルの裏庭に出ると、立ち止まって吠え始めた。
壁の向こうに、恐ろしいものでも潜んでいるように、警戒した様子で。
吠えるのを止めようと、キャロルは背を撫でる。
「落ち着いて、パトリック。宿泊されている方のご迷惑になりますわ」
「――なんだい、うるさいねえ!」
ホテルの女将が裏口から出てきた。
大きなお腹に白いエプロンをしめた彼女は、キャロルとパトリックを見るなり、外に置いていたバケツをつかんで、溜めていた雨水をばしゃりとかけた。
「うちで何してんだい。さっさと出て行きな!」
「申し訳ございません! さあ、行きましょう、パトリック」
ずぶ濡れになったキャロルがリードを引くと、パトリックはしぶしぶ従った。
とてとてと道を歩いて行く。あれから吠えたり走ったりしないところを見ると、パトリックは、よほど、あのホテルが気になったようだ。
(何だったのかしら……あら?)
突然、視界がぐらりと揺れた。この症状には身に覚えがある。
風邪の引きはじめ、微熱があがってきていると、よくこうなる。
「困ったわ。こんなときに発熱だなんて……」
令嬢育ちのせいか、キャロルは風邪をひきやすかった。
とくに水を浴びるとすぐに熱をあげるので、たとえ真夏でも池で遊ばせてはもらえなかった。
虚弱体質は成長しても変わらなかったが、体調管理が出来るようになって頻度は減っていた。冷たい雨水を掛けられたのが、まずかったようだ。
歩いているうちにどんどん具合が悪くなり、キャロルはついに歩けなくなって、近くにあった納屋に入った。
積まれた藁のうえに、どさりと倒れ込む。
「ごめんなさい、パトリック。わたくし、もう動けないわ……」
朦朧とする意識のなか、何とか腕を伸ばして、パトリックにつないだリードを外した。
「お腹が空いたでしょう。あなたはお利口だから、一人で王城へ帰れるわ。お行きなさい……」
頭を撫でたが、パトリックは歩き出さなかった。クゥンと心配そうに喉を鳴らして、キャロルに寄り添うように体を伏せる。
「側に居てくれるの?」
ワン! 鳴き声に合わせて、頭上の数字が+1された。
「ありがとう……。ごめんなさいね。少し寝たら、また歩けるようになるはずだから……」
そう言って、キャロルは目を閉じた。
荒く呼吸を繰り返すキャロルを、パトリックは心配そうな目で見つめている。
キャロルの指にはめた乳白色の指輪が、キラリと光った。
――ひづめの音がする。
キャロルが目を開けると、辺りはすっかり夜だった。
ブランケットに包まれて馬上に座らされていて、背を腕で支えられている。落ちないように抱きしめているのは、騎士服に身を包んだレオンである。
「レオン様……?」
「おはよう、キャロル。熱をあげて動けなくなっていたんだよ。俺が見つけられたから良かったものの、誰にも告げずに門の外へ出て、何かあったらどうするの?」
レオンは微笑んでいたが、瞳が怖い。
キャロルはしゅんと反省した。
「申し訳ございません……。レオン様が参加される愛犬家の集まりに、お好きな方のヒントがあるのではと思いましたの。手がかりは掴めませんでしたけれど……」
「そのために、熱をあげるほど歩き回ったのか。キャロル。何度でも言うけれど、俺は君との結婚を楽しみにしてきたんだ。他の誰かには、こんな気持ちにはならないよ」
「ですが」
レオンの頭上の『∞』が示している。
彼には、キャロル以外に「好き」を伝える相手がいるのだと。
「レオン様のお好きな方は、わたくしでないことだけは、はっきりしていますもの。探さないわけには参りません……」
「ねえ、キャロル――」
レオンは、困った風に眉を下げて、キャロルを見つめた。
「――俺は、君だけを愛してる。君が子どもの頃から、言葉で、行動で示してきたつもりだよ。この想いを君に信じてもらえないのは、とても苦しい……」
「レオン様!」
レオンを悲しませてしまった。
キャロルは、慌てて彼の首元に抱きつく。
「違うのです! レオン様のお気持ちを疑っているわけではありません。レオン様は、わたくしを大切にしてくださいました。まるでお姫様のように扱ってくださいました。わたくしは、これまでの分の恩返しをしたいだけなのです!」
キャロルが、レオンの好きな人を探しているのは、レオンの幸せを願うからだ。
彼が愛し愛される人生を送るために、必要な相手が、自分ではないと知ってしまったからなのだ。
レオンに選ばれなかったのは切ない。
でも、切ない気持ちは見ないと、決めたのだ。
「大好きです、レオン様……。わたくし、レオン様が世界中で一番、大好きなのです……」
ぎゅっと力を込めると、レオンは馬を立ち止まらせて、両腕で抱き返してくれた。
掛ける言葉はなかった。
なくても、お互いを大切に思う気持ちが伝わってくるような、ふしぎな時間だった。
やがて、レオンは「また熱があがってきたみたいだ」と体を離した。
「城に帰って休もう。眠っていなさい」
「はい」
キャロルは、素直にレオンに体を預けた。
王城に帰り着いたときには、すでに深夜を回っていた。
意識が朦朧とするなか、侍女によって体を拭き清められたキャロルは、ぐったりとベッドに横たわった。
口から、はぁはぁと熱い息が漏れる。拭いてもらったばかりなのに、全身がしっとりと汗をかいていた。頬はリンゴのように真っ赤で、目は熱に潤む。
レオンは、自らしぼった濡れ布を、キャロルのおでこにのせて言う。
「レオン様……」
「ここにいるよ。安心しておやすみ」
「はい……。ですが、そのまえに、薔薇をください。十二夜の薔薇を……」
「もらってくれるの?」
レオンが四夜目の『信頼』を渡すと、キャロルはそれを胸元にかき抱いた。
「お好きな人が他にいてもいい……今夜だけは、わたくしのものでいて……」
幸せそうに微笑んで、寝息を立てはじめる。
レオンは、ベッドに腰かけて、眠るキャロルを見つめた。
「……俺は、君がこの世に生まれてから、ずっと君だけのものだよ。君が信じてくれなくても」
指輪をはめた手を取って、そっとキスを落とす。
じかに感じる熱い体温に、胸がしめつけられた。
(熱をあげるまで探しまわるほど、俺が信じられないの?)
キャロルは、レオンの気持ちを疑っている。
好きな相手に愛情を疑われるのは、身を裂かれるくらい悲しいことだと、レオンは初めて知った。
だが疑われても、キャロルへの気持ちは変わらない。
「キャロル、君を愛してる……」
いつか信じてもらえるように、レオンは目を伏せて祈った。
当のキャロルは、自分がどれだけ愛されているのか知らないまま、朝まで夢のなかにいたのだった。
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