15 変装は公爵令嬢のたしなみです

「よろしくない状況ですわ……」


 キャロルは、ガラスケースに飾られた三輪の薔薇を、じっと見つめていた。

 これまでに渡されたのは、一夜目の『感謝』、二夜目の『誠実』、三夜目の『幸福』だ。レオンとキャロルの十二夜は、じつに順調に進んでいる。


「薔薇を渡されないために逃げる作戦も失敗。立てこもりも失敗。レオン様のお好きな方を見つけ出すために、秘密の小部屋まではたどり着きましたけれど、相手のお顔は見られないまま、どさくさまぎれに三輪目を渡されて、これも失敗……」


 キャロルなりに頑張ったのだが、どうにも上手くいかないのは、ここがレオンの息のかかった王城だからだ。

 使用人や騎士に箝口令が敷かれていて、誰一人として口をわらないのである。


 それに、おかしな挙動をしている人物もいない。

 城内に好きな相手がいれば、王太子の婚約者が探し回っていると聞いて焦り、普段とちがう行動をとるだろうと思って、キャロルは人を雇わず自ら行動したのだが、そういった素振りをしている人は一人もいなかった。


「ということは……、相手は王城の外にいる?」


 レオンは、城の外で出会った女性に、自ら通って愛を育んでいるのではなかろうか。それなら、城内で探り当てられるはずはない。


「こうなったら、ネズミのように城門をかいくぐって、城下にいかなければなりませんわね!」

「いけません、キャロル様」


 厳しい口調でたしなめたのは、朝の支度を侍女たちに命じていた侍女長だった。

 レオンの要望により、十二夜の間だけキャロルの身の回りを監督しているのである。


「侍女長どの、なぜ城下に行ってはいけませんの?」

「王太子殿下から、キャロル様を城内に留めておくようにと申しつかっております。隣国で悪さをした窃盗団が、エイルティーク国内に入って潜伏しているそうですから、御身の安全のためです」

「まあ! それは心配ですこと。けれど、誰にも見つからないように潜伏しているなら、悪いことはしないのではないかしら……?」


 窓の外から、キャン! と甲高い鳴き声が響いた。

 見下ろすと、レオンの愛犬であるゴールデンレトリバーが、庭を駆けまわっている。

 パトリックという名前で、輝く金色の毛並みと大きな体格が美しい犬だ。


「大人しい性格の子なのに、今日はずいぶん元気に跳ね回っていますわね」

「水曜だからでしょう。パトリックは毎週決まった曜日に、城下の愛犬家たちの集まりに参加しているのです。レオン様自ら連れて行き、他の犬たちと遊ばせているのだとか。十二夜のあいだはレオン様のご負担が大きいため、集まりへの参加はお休みされるそうです」

「まあ。それでは、ぬか喜びですね……」


 今日は出掛けないと教えてあげたいが、パトリックは人の言葉を理解できない。


「パトリック!」


 庭に、レオンが姿を見せた。騎士たちと稽古したあとなのだろう、騎士服の首元をくつろげている。

 パトリックが勢いよく飛びついたので、レオンは落ち着かせるように、背を何度も撫でる。その手つきは、とても優しい。レオンが幼い頃からいっしょにいる、兄弟のような子だからだ。


「すまないが、今日のお出かけはなしだよ。キャロルとの十二夜の間は、我慢しておくれ」


 気持ちが伝わったのか、パトリックはキュンと喉を鳴らして、頭を垂れた。

 レオンも残念そうだ。愛犬家の集まりというのは、さぞ楽しいのだろう。


(王太子が城下に住む人々と触れあえる、ぜっこうの機会ですものね。……んんん???)


 多忙なレオンが、毎週、熱心に通っている愛犬家の集まり。

 貴族でも使用人でもない民と出会い、恋に落ちるには、またとない機会ではないか!


(ひょっとして、そこには、レオン様のお好きな方がいらっしゃるのでは!?)


 キャロルは、今にも駆け出したくてウズウズした。

 しかし、侍女長の手前。令嬢らしく大人しくして、それとなく「愛犬家の集まりは水曜の午後かららしい」と聞き出したのだった。



 その日の午後、庭のはしにあるパトリックが暮らす犬小屋に、軍手をはめたキャロルの姿はあった。


 仲良くなった庭師に「実家から送られてきた球根を植えたい」と告げて、庭いじり用のシャツとサロペットを借りて着替えたのである。

 ツバの大きな麦わら帽子を深く被り、変装はばっちりだ。


「パトリック、ごきげんよう!」


 犬小屋にしては大きなログハウスに入ると、パトリックは、中央に置かれたクッションにもたれてうとうとしていた。


 頭上に浮かんでいる数字は、5,297。

 キャロルの周りにいる人間(ただしセバスティアンを除く)と比べると少ないが、パトリックが愛情を感じて生きていなければ、はじき出さない数字だ。


 その多くが、長い時間をともに生きてきた、レオンへの鳴き声にのせて発せられた「好き」だろう。二人の仲の良さがうかがいしれる。


 キャロルは、壁にかかっていたリードを、パトリックの首輪に引っ掛けた。

 すると、お散歩だと思ったのか、真っ黒な瞳がぱっと明るくなった。


「あなたが思っている通りですわ。これから、愛犬家の集まりに行くのです!」


 キャロルがパトリックを連れて裏門に行くと、さっそく門番が怪しんだ。


「その犬は、王太子殿下の愛犬だぞ。どうして庭師が連れ歩いている」

「王太子殿下は、大事な十二夜の最中なので、その間の散歩を任されているのです。今日は水曜なので、愛犬家の集まりに行き、パトリックを遊ばせてくるように仰せつかっております」

「了解した。早めに帰ってこいよ」

「はい!!」


 門をくぐって表に出ると、清々しい気持ちになった。

 とはいえ、キャロルの姿が王城にないとなれば、大騒動になるのは確実。

 さっさと相手を見つけて、連行しなければならない。


「集まりの会場まで案内してもらえるかしら、パトリ――」


 言い切るまえに、パトリックは駆け出した。

 リードを手に巻きつけていたキャロルは、引っ張られるように走り出す。


「わわわっ! パトリック、ゆっくり! ゆっくりお願いしますわーーーー!」

「ワン!」


 一目散に走っていくパトリックに引きずられて、キャロルは堀に渡された橋を駆け抜け、下町情緒ある裏路地を通りぬけた。

 どこも通ったことのない道だった。

 二階建てのアパートのベランダから、通りをまたぐように『王太子殿下の十二夜』を祝うフラッグが渡されており、家々の軒先には、王族の結婚をたたえるためのブーケが飾られている。


(わたくしとレオン様の十二夜を喜んでくださっているのね)

 

 レオンが十二夜を止めたくない気持ちが分かった。十二夜がご破算になれば、この日を待ちわびた国民はがっかりしてしまう。

 それを目指して行動しているキャロルは、国賊とも言うべき裏切り者だ。


(皆様、ごめんなさい。レオン様のお幸せのためなのです。責めるのは、わたくしだけにしてくださいませ)

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