7 仮花嫁には秘策があります

「ふふふふふふふふ……」


 一夜目の儀式を終えてシザーリオ公爵家に帰りついたキャロルは、息苦しいドレスとコルセットを脱ぎ捨てて、一心不乱に書き物をしていた。

 蝋燭をいくつも灯し、頭からは黒いレース布をかぶって、気分は黒魔術師だ。


「ふふふふふふふふ、完璧ですわ! この計画があれば、レオン様とわたくしの結婚は回避できますーー!!」

「うるさい! いま何時だと思ってるーー!!!」


 扉をドガンと開けて入ってきたのは、水玉のパジャマを着て三角帽子をかぶった兄セバスティアンだった。


「おはようございます、セバスお兄様。すてきな朝ですわね」

「カーテンを閉め切って、蝋燭を山と灯した部屋で、なにがすてきな朝だ! 光と酸素が足りん!!」


 セバスティアンが乱暴にカーテンを開けると、窓の向こうに白んだ空が見える。もうすぐ朝日がのぼる時間だ。

 キャロルは一睡もしていないが、コルセット締めの大ベテランに起こされるまで満腹で眠っていたのでピンピンしている。


「わたくしの心には、すでに燦々と朝日が輝いておりますわ! この完璧な計画のおかげで!!」


 キャロルは、セバスティアンの鼻先に『レオン様のしあわせ結婚計画書 ver.1』を突き出した。


「これを実行していくことで、確実に! 素早く! 安全に! わたくしとレオン様の十二夜をなかったことにできます」

「まだ諦めていなかったのか、お前……」


 セバスティアンは、呆れた顔で計画書を読み上げる。


「なになに。計画その一、王太子と自分の十二夜を中断する。二、王太子の好きな人を見つける。三、王太子と好きな人の結婚式を改めて執り行う……。こんなガバガバ設計で、あいつを上回れるわけがないだろう。それに、もう十二夜は始まっているんだぞ。今さらどうやって中断するんだ?」

「その点もご心配なく。裏に書いてありますわ」


 微笑むキャロルに促されて、セバスティアンは紙をひっくり返した。


「十二夜を阻止する案その一、王太子から薔薇を受け取らない……?」

「ええ。誓いの薔薇を渡されないように行動するのです」


 キャロルは、ガラスのカバーを掛けられた白い薔薇を見た。

 一夜目の『感謝』は、花を長持ちさせるために水揚げし、大きめの花瓶に入れられている。

 新郎からもらった薔薇は、十二夜が開けるまで毎日水を汲み替えて、新婦の部屋で保管する決まりなのだ。


「レオン様はおっしゃられました。公爵令嬢のわたくしが『婚約破棄』を申し上げたところで、認められはしないと。十二夜が始まってしまった以上、責任感の強いレオン様は、ご自分の気持ちに嘘をついて、好きでもないわたくしに薔薇を贈り続けてしまわれるでしょう。そこで、わたくしは考えましたの。薔薇を受け取らなければいいのでは、と」


 一日でもレオンが薔薇を渡さなかったら、『王太子はシザーリオ公爵令嬢との結婚に二の足を踏んでいる』と見なされて、十二夜は中断もしくは延長となるだろう。


 キャロルは良い案だと思ったが、セバスティアンは渋面をつくった。


「ふざけるな。王太子に差し出された薔薇を受け取らないなどと、不敬にもほどがある」

「不敬にならないように計らいます。ようは、レオン様から薔薇を差し出されなければいいのです」

「はぁ? どうやって??」

「レオン様に見つからないように、どこかに身を隠しますわ!」


 キャロルは、夜のうちに準備してもらった籐のバスケットを持ち上げた。


「それでは、お兄様ごきげんようーーーー!!」

「待てこら、逃げるなキャロルーーーーーー!!!」

 

 兄の絶叫を聞きながらキャロルは廊下へとかけ出した。マルヴォーリオとすれ違ったので「お散歩に行ってくるわ」と嘘をついて庭へと降りる。

 外に出るための門は公爵家の私兵が守っていたが、バスケットのサンドイッチを与えて「これみんなで食べてね」と気をそらし、突破に成功した。


 身軽になったキャロルは、レースをかき合わせて活気のある通りに出た。


(見つからないために、顔を隠して過ごしましょう。わたくしと逢わずに二夜目が過ぎてしまえば、レオン様も十二夜についてお考えくださるでしょうから)


 短い逃亡生活に不安はない。軽食をとったり、宿屋に泊まるための小銭も持っている。昨晩、タリアに夜食のサンドイッチを作ってほしいとお願いした際に、入り用があるからとお小遣いも借りていたのだ。

 

 キャロルが歩く通りには、多数の市民が行き交っていた。仕事場に向かったり、学校に向かったり、朝食用のパンを買いに出た人々の笑顔はまぶしい。


 クレープ屋台のまえを通ると、良い匂いがただよってきてお腹がぐうと鳴った。昨日あんなにお菓子を食べたのに、もう消化してしまったようだ。


「お小遣いはかぎりがあるけれど、お腹が減っては逃亡できませんわ。クレープをいただきましょう」


 キャロルは、屋台のまえにできていた行列の最後尾に並んだ。公爵令嬢として買い食いは禁じられていたので、こうして食べ物を買うのは初めてである。


 わくわくしている間に行列は進み、キャロルが注文する番になった。

 立てかけられていたメニューを見ると、だいぶ品数が多い。


「一番お安いのはプレーンクレープですのね。果物たくさんのフルーツミックスやストロベリーホイップは甘くて美味しそうですし、ハムチーズやキューカンバーサラダは朝食にぴったりですわ。どうしましょう、迷ってしまいます!」

「キャロルが食べたいのはその五品?」

「はい。申し訳ありませんが、もう少し待ってくださいませ。一つに絞って――?」

 

 今、名前を呼ばれたような。

 顔を上げたキャロルは、真横に立っていた人物に目を丸くした。


「レオン様!」

「おはよう、キャロル。騎士団の見回りに出たら、君の姿が見えたから近くに来てしまったよ」

「どうしてわたくしと分かりましたの? 顔が見えないように変装していますのに」

「それ変装だったんだね。でも俺は、キャロルが何を着ていても、たとえ一キロ先にいても判別できるから」


 すごい視力! じゃなかった、なんてバッドタイミング!!

 キャロルがわなわなしていると、レオンは手早く五品を注文して、代金を払ってしまった。

 どう見ても王太子殿下な客におののいた屋台主は、慌ててクレープを焼き始める。


「屋台で朝ご飯なんて洒落ているね。俺も休憩しようと思っていたところなんだ」

「向こうで騎士の方々が待っておられますけれど、休憩していいのですか?」


 通りの端っこに、レオンが乗ってきた白馬を繋いでいる騎士が見える。


「大丈夫。彼らは俺の味方だからね。そこの席で食べよう」


 キャロルをエスコートして、そばにあったガーデンテーブルに座らせたレオンは、向かいの席に腰かけると手を組んで、ニコリと笑った。


「――十二夜の阻止なんてさせないよ?」

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