8 王太子にも秘策はあります

「!? どこでそれを……」

「ああ、クレープが来たようだよ。好きなだけ食べるといい」

「レオン様はよろしいのですか?」

「朝食は城でとってきたからね。俺は、キャロルが食べているところを見るのが好きなんだ。冷めないうちに召し上がれ」

「はい。いただきます……」


 レオンは、木目のうつくしいボードにのせられた五つのクレープを、キャロルの方へと押し出した。そわそわするキャロルだったが、プレーンクレープを口に入れた途端に気持ちがほぐれた。


 焼き目はぱりっと、生地はふんわりしていて、溶けたバターと回しかけたメープルシロップがほんのり甘い。


「なんて美味しいのでしょう!」


 瞳を輝かせて、もくもくと食べるキャロルを、レオンは幸せそうに見つめている。

 頭のうえに浮かんだ『∞』に動きはないが、うっとりした瞳はまるで『好き』と伝えてくるようだ。

 そんな表情は、キャロルではなく恋人に向けてほしい。


(レオン様とここで出会ったのは、ほんとうに偶然なのかしら?)


 疑いはつのるけれど、キャロルの脱走に気づいて探しにきたにしては妙だ。

 一晩かけてねりあげた計画書は、兄にしか見せていない。セバスティアンが水玉パジャマのまま早馬を走らせて、王城にいるレオンに報せたというのも考えにくい。


 王城から離れたこの通りでキャロルを見つけたということは、騎士団の見回りはだいぶ前から行われていたはず。兄の報せを聞いてから馬を走らせていたら、とうていキャロルは捕まえられなかっただろう。


 やはり、これは偶然の出会いだ。


(しあわせ結婚計画書については、まだ知られていないようですわね。先ほどの言葉も、たまたま出たものだったのでしょう)


 ほっとしつつハムチーズを平らげたキャロルは、フルーツミックスに手を付けた。すると、レオンの視線が、クレープをつかむ右手に落ちた。


「俺があげた指輪、ちゃんと付けてくれているんだね」

「もちろんですわ。レオン様からいただいたものですもの」


 キャロルの右手の薬指には、乳白色の宝石があしらわれた指輪がはまっている。

 十二夜が始まる前々日にレオンから贈られたものだ。王室の宝物庫に長く保管されていたのをレオンが見つけて、国王に願って下賜(かし)されたのだとか。


 その日は特別な記念日というわけではなかったが、こころよく受け取った。幼い頃からレオンは、綺麗なものを見つけるとキャロルに贈ってくれるのである。


「贈ってくださりありがとうございます。とても美しくてお気に入りですわ」


 宝石は、太陽の光に当てると虹色にかがやく。

 透明度の高いダイヤやサファイヤ、ルビーのきらめきも素敵だが、キャロルはこの宝石のやさしい色合いが好きだった。


「これを付けていると、レオン様のおそばにいるようで安心しますの。ですが、レオン様が別の方と結婚されるなら、いただいたものはお返ししないといけませんわね」


 レオンから贈られたものは、食べ物や消え物以外は、シザーリオ公爵家に保管してある。きちんと整えて返還するのが、次期王太子妃への誠意だろう。


「手入れをしてから王城へと運びますわ。ひっそりと行いますので、レオン様はお気になさらず、お好きな方と心穏やかにお過ごしくださいませ!」

「……………………」


 レオンは、満面の笑みをつくって返事に変えた。


「もうお腹はいっぱいかな?」

「はい。食べきれませんでしたわ」


 ボードの上には、キューカンバーとストリベリーホイップが残っている。しかしキャロルはもう満腹だ。

 レオンは、屋台主に持ち帰り用の紙袋をもらうと、残りを詰めてキャロルの手に持たせてくれた。


「どうぞ、お姫様。おうちに持って帰ろうね」

「はい。わたくしはこれにて失礼いたします。レオン様は、見回りのつづきを頑張ってくださいませ!」

「待った」


 レオンは、キャロルの体をひょいと横抱きにした。

 レース布がすべり落ちて、キャロルの顔が晴天にさらされる。


「??? レオン様、わたくしはこれから町を歩く予定なのですが……」

「満腹になったあと、すぐに歩き回るとお腹が痛くなってしまうよ。運動は食後二時間ぐらい経ってからがいいらしい。休めるところまで連れて行ってあげるね」

「はい……」


 できることなら、今すぐ走り出して往来にまぎれたかったが、甘いレオンの声には逆らえなかった。白馬に乗せられたキャロルは、後ろにまたがったレオンに片手で支えられながら道を行く。


 予定では、二輪目の薔薇を渡されるのは、今晩の十二時以降。それまでに何とかして、レオンに見つからない場所にいくのが、キャロルのミッションだ。

 

(ここは大人しく公爵家に帰り、身を隠すための計画を練り直しましょう)


 振動で落ちかけた紙袋をかかえ直したキャロルは、馬が公爵家の門を通り過ぎたので首を傾げた。


「??? レオン様、我が家はあちらですが」

「このまま王城に行こう。一休みするのに最適なソファを見つけたから、君に試してほしいんだ。ついでに、今日のお茶もいっしょにしたいな」

「かしこまりました」


 白馬は王城にたどり着いた。

 キャロルは、レオンに導かれるまま、王太子妃の部屋に通される。中には、桃色の布を張ったふかふかのソファが置かれていた。


「まあ、お可愛らしい」

「座って待っていてくれるかな。俺はお茶の用意を言いつけてくるから」

「お待ちしておりますわ」


 キャロルが座ったのを見て、レオンが部屋を出ていく。扉が閉まると、ガチャッと重めの金属音がした。

 キャロルがノブを回したが、扉はビクともしない。


「レオン様、扉が壊れてしまったようですわ! そちらから開けられるか、試していただけませんか?」


 呼びかけると、扉の向こうで笑い声があがった。


「ははははは! かかったな、キャロル!」

「その声は――セバスお兄様!?」

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