5 ドレスのお披露目会
甘いお菓子で満たされて、幸せな眠りについていたキャロルは、ウエスト辺りに圧迫感を覚えて目を覚ました。
「はっ」
うつぶせに横たわるキャロルの周りでは、お仕着せの女性達が忙しそうにしていた。
その中でも、一番腕っぷしが強そうな壮年の女性が、キャロルに巻きつけられたコルセットから伸びる紐をひっぱっている。
「あ……あなたたち、一体なにをしていらっしゃるの?」
「お着替えのお手伝いでございます、王太子妃殿下」
「わたくし、婚約破棄したので王太子妃にはなりませ――ぐええっ!!」
背中の紐をギリギリと締め上げられて、カエルみたいな泣き声が漏れた。先ほど、たらふく食べたお菓子が、口から出てきてしまいそうだ。
苦しくて涙目になりながらキャロルは訴える。
「待ってください! これ以上は! 物理的に無理!! ですわ!!!」
「ご安心ください。こちとら、令嬢の腰を締め上げて五十年の大ベテランですから。どんなぽっちゃりお腹でも、スリムなドレスが入るようなプロポーションに変えてみせます! はい、大きく息を吐いてー。ひっひっふーーー!」
「それは、出産のときの呼吸法ではーーーー???」
ぐえぐえ言いながら紐を締め上げられたキャロルは、数人の手で立ち上がらせられて、透け感の美しい水色のドレスを着付けられた。
幾重にも折り重なったスカートは花びらをまとっているかのよう。
あしらわれたレースは白く、ポイントに付けられた宝石は控えめで、身につけたキャロルを清楚に彩っている。
花のオイルをもみこんで編んだ髪には、宝石を飾ったティアラがさし込まれる。
手袋をはめられ、首には豪華なネックレスを付けられ、同時に肌には真珠の粉を叩き込まれて、唇にはほんのり赤いルージュを塗られる。
多数の手によって、キャロルはあっという間に『お菓子をたらふく食べて寝入った少女』から、『王太子の結婚相手』へと変貌していた。
特にすごいのはお腹だ。一輪刺しの花瓶のように細くなっている。
「さすが大ベテラン――って、そうではなくて! どうして寝ている隙を狙って、身支度させられなければならないのでしょう。わたくし、もう王太子妃候補ではございませんのに」
「それは……」
侍女達が不安そうに視線を交わした。言いにくい事柄でもあるのだろうか。
不思議に思っていると、隣室へつながる戸が開かれた。
「支度は終わったようだね」
「レオン様」
王太子が現われたので、侍女達は頭を下げながら波のように退いた。レオンは、美しく装ったキャロルを見て、たまらず口元に手を当てた。
「なんて綺麗なんだ……」
レオンの詰め襟の礼服には多数の徽章が光っている。
キャロルは、これまでも同じ服装をたびたび見かけていたが、たいていの場合は動きやすいように装飾が省かれていた。
今日のように、金の飾り緒や肩章、サッシュをかけたフルドレスは貴重だ。甘い顔立ちと高身長をそなえたレオンは、ことさらフォーマルが似合うので眼福である。
「レオン様も素敵ですわ。わたくしは、うたた寝から起きたら、なぜか着替えさせられていたのですが」
「着替えさせたのは俺だよ。式典用のドレスを一年かけて仕立てたのに、一度も着る機会が無くクローゼットにしまわれたら、職人たちががっかりするからね。彼らへの慰労をかねて、お披露目会をしようと思い付いたんだ」
「お考えあってのことでしたのね」
使う必要がなくなったドレスのお披露目会とは、民の気持ちを考えるレオンらしい発想だ。
さすがはエイルティーク王国自慢の王太子!とキャロルがほれぼれしていると、ひょいっと横抱きにされた。
「??? レオン様、わたくし一人で歩けますわ」
「無理しなくていいよ、お姫様。まだお腹がいっぱいで大変だろう?」
「お腹というよりは、胸がいっぱいですわ。コルセットを締め上げられて、内臓が上に寄っている気がいたします。気を抜くと口から飛び出してしまいそうですわ」
「それは大変だ。お披露目会場まで俺が運ぶから、気分が悪くならないように目を閉じておいで」
「はい」
レオンが言うならばと、キャロルは素直に目を閉じた。振動に酔って、胃のなかのものをご披露してしまう事態は、何よりも避けたかったのだ。
運んでくれるレオンの腕は頼もしく、ほとんど振動らしい振動はなくて、またうつらうつらとしてしまう。
やがて、キイと蝶番が空く音がして、座ったレオンの膝にのせられると、ガタガタと激しい揺れに襲われた。
何が起きているのだろう。
「??? レオン様、急に揺れはじめたようなのですが……目を開けてもよろしいですか?」
キャロルが小首を傾げると、耳元でクスリと笑い声が漏れた。
「だーめ。お披露目会場のまえを急ピッチで工事中で、振動はそのためだよ。もうすぐ完成するようだからこのまま待とう。今、目を開けると気持ち悪くなってしまう。吐いてしまったら大変だから、もう少し閉じていようね」
「はい」
工事担当さん、真夜中までお疲れ様です。そう思いながら、キャロルは、きゅっと目元に力を入れた。
目蓋を開けてしまいたい衝動と戦うキャロルを、レオンは微笑ましく見つめる。
「君は、無条件に俺のことを信じてくれるよね。それなのに、急に婚約破棄しようと思ったのはなぜ?」
「レオン様のお幸せのためですわ。わたくし、レオン様には一番大好きな方と結婚していただきたいのです」
「……君の他に、そういう人がいると思ったの?」
「思ったのではなく、分かりましたの」
人は嘘をつくものだが、「好き」の回数は嘘をつけない。レオンが情熱を持って誰かを愛していなければ、カンストするはずがなかった。
「どうしてそんな発想に……。いや、愛されているからこうなった、と言うべきなのかな……」
レオンは困った風に眉を下げた。キャロルの耳は、重い溜め息の音を拾い上げる。
「どうかなさいまして?」
「なんでもないよ。工事が終わったみたいだ。また少し歩くね」
キャロルは再び抱きかかえられた。目は閉じたままだったが、びゅうと肌をなでた夜風が止んだので、どこかの建物に入ったようだ。
いよいよ、お披露目会場にたどり着いたらしい。
(城内にしては、遠い道のりだったような……?)
「――さあ、着いたよ」
柔らかな絨毯のうえに立たされたキャロルは、そうっと目蓋を開けて驚いた。
「これは、どういうことですのーーー?」
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