3 「好き」が見えた朝
キャロルが「好き」と言った回数が見えるようになったのは、とつぜんだった。どのくらいとつぜんだったかというと、結婚前日の朝である。
「お嬢様、朝ですよ。そろそろ起きてください」
カーテンを引く音と、顔に当たる陽光のまぶしさに目蓋を開ける。侍女長のタリアと他数名が、キャロルが眠るベッドの周りでせっせと朝の準備を始めていた。
「おはよう、タリア。良いお天気ね……」
のっそり起き上がったキャロルは、目覚めの紅茶を差し出すタリアを見て、きょとんとした。
「あなた、それ、どうしたの?」
髪をまとめてフリルキャップを被ったタリアの頭上には、105,432という数字が浮かんでいた。他の侍女たちも、数に開きはあるが何かしらくっ付けている。
キャロルは、自分がまだ夢のなかにいるのかと思って、頬をつねってみた。
「まあ、痛いわ……!」
「お嬢様、頬をひっぱるのをお止めくださいませ。今日は結婚前日なんですよ。レオン様にもお会いするのに、頬を腫らして行っては心配されてしまいますよ」
「ええ。でも、」
その数字は何? 新種の髪飾り? 侍女の間で流行っているの?
色々と聞きたいことがあったが、廊下から呼ばれてタリアは出ていってしまった。キャロルは顔を洗ってから、こっそり廊下をのぞいて見る。
タリアは、シザーリオ公爵家の執事であるマルヴォーリオと話し込んでいた。マルヴォーリオは、タリアの夫だ。
二人は、夫婦そろって公爵家に尽くしてくれているのである。
不思議な数字は、マルヴォーリオの頭の上にもあった。
326,214。タリアよりかなり多い。
(男性にも、数字の髪飾りが流行っているのかしら?)
耳を澄ますと、タリアの体調を気遣う会話が聞こえてくる。
「無理をせずに休みなさい。セバスティアン様に申し入れるので、今日だけでも」
「平気よ。結婚式典までにお嬢様の美しさに、さらに磨きをかけなくてはならないの。休んでいる暇はないわ」
「心配なんだ。最近は特に忙しいから。君に倒れられたら、お嬢様の結婚式どころではなくなってしまう。私の気持ちを分かってくれ。君を愛している」
「心配してくれてありがとう。わたしも好きよ」
愛を伝え合った二人の数字が、+1された。
「!?」
どういう原理なのだろう。末尾の字がくるりと回転して、数が変わった。
だが、タリアもマルヴォーリオも、チラリとも数字を見ない。気づいていないのか、それとも見えないのか。
(見えないのかもしれませんわ。わたくしにしか)
頬を染め合った万年おしどり夫婦は、扉の隙間から、ジーッと見つめるキャロルに気づいて、ビクリと肩をはねさせた。
「お嬢様、すみません。お支度の間に抜けだして」
「叱るなら私にしてください、お嬢様。タリアを呼びだしたのは、このマルヴォーリオなのですから」
「この程度で叱ったりしませんわ。それより二人に聞きたいことがありますの。タリア、マルヴォーリオ、わたくしのこと……好き?」
小首を傾げるキャロルが、小さな子どものように見えた二人は、はにかんだ。
「好きに決まっております。お嬢様は、シザーリオ公爵家自慢のご令嬢ですもの。しかも、もうすぐ王太子妃になられるなんて! 公爵家にお仕えする皆の誇りです」
「ええ。この家に仕えている者は、お嬢様のお優しさにいつも感謝しております。使用人の末端まで、キャロル様のことが好きですよ。もちろん私も好きです」
「好き」と口にした二人の数字は、また+1された。
(なるほど。これは人に「好き」と伝えた数のようですわね)
自分の頭をうえを見ても数字は見えないが、周りの人々の頭のうえには必ず浮かんでいる。兄セバスティアンの上にもあるのだろう。
だが、キャロルが気になったのは婚約者であるレオンの数字だった。
大好きな王太子は、どれだけ人に「好き」を伝えたことがあるのだろう。
キャロルはあまり言われたことがないが、勇敢で心優しく人望もある素晴らしい男性なので、マルヴォーリオと同じくらい多いかもしれない。
(ああ、お会いするのが楽しみですわ!)
キャロルの胸は高鳴った。
朝食もそこそこに身支度を調えて教会にいったらば、レオンの数値は『∞』。
そんなに言われていないキャロルは、確信した。
レオンには、自分以外に、好きな誰かがいるのだ、と――。
さっそく婚約破棄し、王都を出発して馬車で移動している途中で、山賊に囲まれて立ち往生していたら、馬で追いかけて来たレオンに捕まってしまった。
彼は、まるでキャロルと離れがたい風に言う。
「君には、俺が幸せになるところを、その目で見てほしいんだ」
その言葉を聞いて、キャロルの目が潤んだ。
ずっとレオンのために生きてきたのだから、レオンが幸せになるところをこの目で見たいと、心のどこかで思っていた。
白馬に乗せられて、後ろから抱きかかえられて王都に戻ったキャロルは、待っていた兄にこっぴどく怒られた。
山賊に囲まれたと言うとさらに叱られたので、自分の至らなさを詫びる。
「申し訳ありませんでした、セバスお兄様。次に王都をたつときは、きちんと護衛も連れて行きますわね!」
「問題点はそこじゃないっ! すまない、レオン。妹がだいぶ常識外れで……」
「かまわないよ。そこがキャロルの良いところだからね」
セバスを諫めるレオンの声を聞きながら、キャロルは柱時計を確認した。
もう夕方だ。
「レオン様。明日には、結婚式典の第一夜が始まってしまいますわ。お相手にご連絡して、早めにお休みになりませんと」
「そうだね。どうしようかな……」
レオンは、顎に手を当てて一考したあと、ピンと来た顔でキャロルを見下ろした。
「考えたら緊張してきてしまった。キャロル、少しの間、話相手になってもらえないかな。まだお茶の時間を取っていないだろう?」
「ええ。わたくしでよろしければ、ご一緒いたします」
「では、行こうか」
レオンに連れられてキャロルは王城へと向かった。
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