2 王太子に連れ戻されました
兄の絶叫を聞きながら、キャロルは座席に座った。
胸がドキドキと高鳴っている。四歳で王太子妃候補になってから、ずっと王都のなかで生活していたので、領地までの移動ですらも冒険なのだ。
「各地のおいしい物を食べながら進むのはどうかしら。テントを張って野宿も経験してみたいわ。釣った魚や森でとったキノコを焼いて食べるの……。これまではレオン様の妃になるために勉強の毎日でしたけれど、一人で生きていけるような経験をどんどん積まなくてはなりませんわね」
決意を新たにしたそのとき、馬車がガタンと大きく揺れて止まった。
見れば、キャロルが乗った馬車と荷馬車の周りを、覆面の男たちが取り囲んでいる。荒野に出るという山賊のようだ。
「下りろ!」
「はい」
素直に従ったキャロルは、昇降口から飛び降りると、すかさずスカートをつまんでお辞儀をした。
「はじめまして、山賊さまがた。わたくしはキャロル・シザーリオと申します。シザーリオ公爵家の令嬢で、十六才になりました。趣味は田舎暮らしを空想すること、特技は人の顔と名前を覚えることです。身長や靴のサイズもお教えした方が良いでしょうか?」
にこやかに挨拶されたので、強面の山賊たちは面食らった。
「なんだこの女」
「急に自己紹介をはじめたぞ」
「貴族ってみんなこうなのか」
「わたくし、お友達を作るのが大得意ですの。せっかく知り合えたのですもの。どうぞ仲良くしてくださいませ」
「ひえっ、こっちに来るな!」
友好を深めるため一歩踏み出したキャロルに、山賊の方がビビっている。無精髭を生やした小汚い男は、ガタガタ震えながら剣先をキャロルに向けた。
「いいか、お前はこれから人質になるんだ。シザーリオ公爵家と王室に身の代金を要求するためのな!」
「馬車を止めたのはそのためでしたのね。けれど、王室に連絡しても身の代金は払われないと思いますわ……」
レオンの婚約者だった頃ならまだ可能性もあっただろうが、婚約破棄して王都を出た今、キャロルは王室とは何の関係もない令嬢だ。
だが、男は「いいや、払うね!」と耳を貸さない。
「あんた、王太子の婚約者だろう! 明日から、十二夜にも及ぶ結婚式典を行うって、国民はみんな知ってるんだからな!!」
「皆さまの情報はすこし遅れていますわね。わたくし、レオン様との婚約は破棄しましたのよ?」
「はぁっ?! なんで急に、ってうわああああ!」
山賊を蹴散らすようにして、王立騎士団の馬が駆けつけた。
「賊は捕らえよ。シザーリオ公爵令嬢はこちらで保護する」
騎士たちを率いていたのは、白馬にまたがったレオンだった。彼は、キャロルの前に飛び降りるなり、剣を向けていた男を蹴り飛ばした。
キャロルは、低く腰を落として頭を下げる。
「助けてくださってありがとうございます、レオン様。騎士を連れてお散歩ですか?」
「散歩ではないよ。君を追って来たんだ。セバスティアンが死にそうな顔で教会に来て、君が王都をたったと報告してくれたからね。怪我はないかい?」
「ありません。ですので、このまま領地へ進行いたしますわ。ごきげんよう!」
「キャロル」
馬車に戻ろうとしたキャロルの細腰を、レオンは片手で抱き寄せた。
「なにかご用ですか?」
「君は何か誤解している。俺には小さな頃から大切にしたい女性がいて、明日から始まる結婚式を楽しみにしていたんだよ?」
「ええ、存じております。レオン様は、小さな頃からわたくしを大切にしてくださいました。政略結婚相手にご立派でしたわ。けれど、これからはご自分の気持ちに素直になってくださいませ。わたくしは、レオン様に幸せになっていただきたいのです」
「キャロル……。君は、俺がきらい?」
悲しそうに問いかけられて、キャロルは振り返った。
風に巻き上がる金糸のように煌びやかな髪や、潤んだ水色の瞳をようする甘い顔立ちを目にすると、ほっくりと心が温まる。
たとえ頭のうえに『∞』が浮かんでいても、この気持ちに嘘はつけない。
「わたくしが、レオン様を嫌いになるはずがありませんわ」
キャロルはレオンが好きだ。心の底から大好きだ。
だから、ぜったいに幸せになってほしいのだ。
別の人と結婚してレオンが幸せになるならば、キャロルは喜んで身を引く。
「わたくしほど、レオン様の幸せを祈っている人間は、この世にいないと断言できます。領地に着いてからは、王太子殿下と妃殿下のお幸せを第一に願って生きていく所存です。他に、わたくしに出来ることなら何でもいたします!」
「何でもって言ったね?」
「はい」
返事を聞いたレオンは、キャロルをひょいと横抱きにして白馬にまたがらせ、自分はその後ろに騎乗した。
「??? なぜわたくしが、レオン様の馬に?」
「王都まで戻るからだよ。君には、俺が幸せになるところを、その目で見てほしいんだ。俺に愛されているのは誰なのか、その人が俺を幸せにするのに足る人物かどうか、その目でたしかめたくない?」
「そうですわね……」
領地へ下がってしまえば、レオンについては公表された情報しか知れなくなる。
「好き」の回数がカンストするほど伝えた相手と、幸せな結婚生活を営めているかどうかは分からない。
レオンが言うとおり、幸せな結婚ができたかどうか、キャロル自身の目で確かめてから出立した方が安心できる。
「レオン様の好きな方が、わたくしが王都にいることで萎縮しないなら、戻ります……」
キャロルは、むうっと唇をとんがらせて言った。
決心がついたのは、レオンが好きな相手の顔を、ちょっとだけ見ておきたいというエゴの力もあった。
「では帰ろうか、お姫様」
うすく笑ったレオンは、キャロルのお腹に腕を回して、片手で馬を走らせた。
無事に王都にたどり着いたあと、待ちかまえていたセバスから大目玉をくらったのは言うまでもない。
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