第7話 アジの南蛮漬けと日本酒

『あじの南蛮漬け』


 めずらしい料理ではないが、仕込みの良し悪し、アジの鮮度の良し悪しでかなり出来が左右される料理だ。

 まずはアジの下処理が重要だ。まずは皮を傷つけないように包丁でうろこをこそぎ取る。そして固いえらを引き抜く。

 そして腹に5センチ程度の切れ目を入れて、内臓を取り出す。ここで中骨についている血を洗い流すことをしないと、生臭みが出てしまう。

 リュウジはそっとアジの背びれを見る。

 こういうところにプロの技が出る。

 そこには両側に沿って隠し包丁が入れられている。ここに塩をしたのであろう。

 下ごしらえの段階で、十分に塩をして置いておくことがこの料理の味を決める。

 アジ自体は小さく、ここまでの作業はしづらい。それを短時間で行い、味をこなすために時間もかけて行う下ごしらえがあってこその料理である。


「店主、いい仕事だな……」


 本当はあまりの感動に声がはしゃいでしまいそうになるのを何とか食い止めて、リュウジは淡々とそう感想を漏らした。


「ありがとうございます。分かっていただけて光栄です」


 店主はリュウジがさりげなく背びれの隠し包丁を確かめて、味わっているところを見たので、そんなことを言った。

 大抵の客はそんなこと知らずに口に運んで、美味しいと言う。

 リュウジはアジの南蛮漬けを口に運び、そして麦焼酎を飲む。


(うおおおおおおおおおっ~、これは激アツううううっ~)


 思わず、そう言葉が出てしまいそうになる。


「どうです、うちの家内が勧めた麦焼酎との相性は?」


 この店の女給仕は店主の妻だったようだ。


「抜群だ……。奥さんもいい酒を勧めてくれた」

「あいつは、初対面でもお客さんの好みや体調、今日の天気を考えて、今日一番合う酒を勧めるんですよ」

「なるほど……。そしてその酒に合う料理を作る大将の腕もなかなかだ」


 クールに答えるリュウジ。しかし、心の中はこう叫んでいる。


(というか、ばっちりなんですけど。俺の好み、一目で見破っているんですけど!)

「リュウジ、ちょっとはしゃぎすぎ。クールキャラが崩れるにゃ」


 寧音がそう忠告するが、寧音も顔がにやけているようにリュウジには見える。


「お客さん、そんなに褒めてもらっても、勘定はまけませんよ」


 店主はそう冗談を言う。リュウジはあまり話しながら酒を飲むことは好きではないが、しつこくない店主の話し方は気にならない。

 そのせいか、いつもより饒舌になってしまった。そんなリュウジのことを察したのか、やがて、店主も別の客と話し始めた。

 リュウジは麦焼酎で口の中をリセットし、そして南蛮漬けを味わう。この繰り返しが止まらない。やがてアジもネギもししとうもなくなり、麦焼酎も底をついた。


「お代わりはどうです?」


 そう女給仕が聞いてきた。先ほど、店主の女房と判明したからこの店の女将である。


「うむ……どうするか……」

(麦焼酎ももう一杯いきたい……しかし、この店なら、他のもうまい酒あるはず)

「そうだにゃ。ここなら期待できそうにゃ。あれ行っちゃおうよ」


 寧音もそう賛成する。リュウジはカウンターに置いた木彫りを親指と人差し指で2,3回ほど撫でる。


(そうだな。今日はそういう気分だ)


 この店を選んで正解だった。次に出る料理を想像し、リュウジは答えた。


「清酒をもらおうか……お勧めは?」


 清酒とは、米を原料にして作る酒である。別世界では『日本酒』と呼ぶこともある。日本と言う名称が国を表しており、国の名前が付いた酒と言うのは珍しい。

 この世界では単に清酒というが、それは多くの清酒がろ過されて無色透明であるためである。

 原料は米と米麹と水。それだけで、味わいが幾万とあり、製造所によって味も香りも違ってくる。

 米の種類、質、米麹の違い、そして水によって清酒は、その顔をどんなにでも変化させる。

 米を原料とした酒には『紹興酒』というものがあるが、同じ原料でも、まったく違うのは発酵を助けるカビの種類と熟度の違いからである。


「そうですね……。少し辛めのものがよいかと。こちらの月光か雪の盛がお勧めです。冷酒でどうですか?」

(冷酒かよ、この女将、どんなけ俺を喜ばすんだ!)


 女将の勧めに心の中でそう答えるリュウジ。


「女将さん、ナイスにゃ!」


 寧音もそう誉める。無論、この声はリュウジにしか聞こえない。

 店主が褒めていただけに、リュウジの好みもおおよそ把握しているような提案だ。 冷酒と聞いてリュウジの頭の中もその味わいの再現でいっぱいになってしまう。

 しかし、リュウジはそんな心内を晒さない。一呼吸すると声を半音下げて、ゆっくりと言葉をかみしめる様に発した。


「では、雪の盛の冷酒でお願いしよう」

「はい、ありがとうございます」


 女将は笑顔で頭を下げた。


「お客さん、ではそれに合う料理を出しましょう」


 そう言うと店主は土鍋を用意する。そこへ昆布と鰹の1番だしと2番だしを合わせた合わせだしに酒と醤油を加えた。それを強火で沸かしてアルコール分を飛ばす。


「雪の盛をお持ちしました」


 女将が瓶をもってやって来た。右手にはお盆。

 大きな升にコップが真ん中にポン置いてある。

 女将は瓶の栓を抜くとコップにトプトプと注ぐ。そして、それはやがてあふれて木の升へとこぼれていく。


「おとっと……この瞬間がたまらないのが酒飲みにゃ」

「まったくだ」


 清らかな液体が表面張力でコップの上で盛り上がり、そして限界を超えてコップの表面を流れ落ちて行くのを見て、リュウジと寧音はそう話す。


「はい、どうぞ」


 升いっぱいに清酒が注がれる。リュウジはあふれ出てこんもりと盛り上がったコップの上の酒を口を近づけて吸う。


(ううう……きりきりと引き締まった味だ……というか……うめええええええっ……これも激アツうううううううっ~)

「うん……これはいい」


 思わずリュウジは唸ってしまった。


「さっきの麦焼酎もいいけど、これもずっしりと来るにゃ」

「まったくだ」


 この清酒はリュウジの味覚を刺激する。

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