第8話 ねぎま鍋と雑炊

「リュウジ、そろそろ肴が出てくるにゃ」


 寧音に言われて、リュウジはカウンターへ目をやる。店主が鍋に3cmに切ったねぎを入れていた。そして、魚の切り身を2切れ入れた。


「大将、その魚はなんだ?」


 リュウジはある程度分かっていたが、あえて店主に聞いてみた。答えは期待通りのものであった。


「マグロですよ。最初は腹側の脂が乗った大トロです」

「ねぎま鍋か……」


 リュウジはそう小さな声で答えた。なぜ小さな声になったかというと、心の中のリュウジが暴れまわっていたからだ。


(おいおい、店主、俺を殺すのか~、料理で俺を殺すのか~。ここでねぎま鍋かよ。うれし過ぎて死んじゃうじゃねえかよ~)

「うちも死んじゃうにゃ!」


 木彫りの球子もそう言った。

 この町の名物と言われるねぎま鍋である。

 よく客の前に鍋を出し、材料を置いて客に作らせるということをするが、この店は店主が自ら作ってくれるらしい。

 マグロのねぎま鍋なら、火を通しているし、新鮮なマグロの魅力も味わえる。

 そして何より、清酒との相性は抜群であろう。

 マグロとネギが茹で上がり、そろそろ引き上げようとするタイミングで店主は、たっぷりのわかめを投入した。磯の香がリュウジの尾行をくすぐる。


「はい、まずは最初の大トロ。ネギとワカメと一緒に食べるとたまりませんよ」


 そう言ってリュウジの前に盛り付けた小鉢を置く。湯気が立っているそれは、まさに魅惑の一品である。


(ぐああああああああっ~。激アツじゃねえよ)

「リュウジ、これは鬼アツにゃ」


 まぐろの柔らかさ、そしてぎゅっと凝縮した旨味が口いっぱいに広がる。

 大トロなので、脂の濃厚さが絶妙である。

 大トロは少しくどいので、リュウジはあまり好きではなかったが、熱を加えられたことでそのくどさもなくなり、旨味だけが残る。


(ちゃんと火が通っていることがこの料理のきも。だが、火を通し過ぎればぎゃくにぱさぱさになる……)


 こういう料理の場合、半生の方が美味しいとあまり火を通さずに食べてしまうことがある。

 それだとマグロの生臭さが際立ってしまう。だからといって、火を通し過ぎると、味が抜けてしまい紙くずを食べているかのようになってしまう。

 客にこのタイミングを計れと言うのは無理だ。プロの目で極めたタイミングで火を通されたものをすぐに口に運ぶ。これが一番である。


「次は赤身でいきましょう」

(赤身かよ、トロの次は赤身かよ!)

「赤身最高~にゃ」


 店主は赤身とネギを鍋に入れると再び温める。じわりじわりと火が通り、食べごろになったところでせりを投入した。

 せりは煮るというより、温めた感じ。それを小鉢に取る。

 赤身はまぐろの本来の味。一生泳ぎ続ける筋肉である。それをしゃきしゃきした触感のせりと一緒に食べる。


「せりのしゃきしゃき感もいいにゃ」

(さ、さ、さ、さ、3150おおおおおおっつ!)


 心の中で笑顔になるリュウジ。だが、それは表情には出さない。それでも思わずにやけてしまうことを隠すために清酒を一口飲む。


「くううううっ……」


 思わず出てしまう。店主は3巡めの準備に取りかかっている。次は最初と同じ大トロ。

 リュウジは最初の小鉢と同じではないかと思ったが、それは店主に失礼過ぎた。

 大トロではあるが、つけ合わせた野菜が違う。店主が選んだのは『うど』。

 うどの香味は大トロの脂を受け止め、それを倍加させる。そしてうどもしゃきしゃきした触感を与え、とろっとした軟らかい大トロに違ったアクセントを与える。

 一緒に口の中へ入れると複雑な感触が脳を直撃し、リュウジの心は溶かされていく。


「さて、残った汁ですが、どうしましょう?」


 店主がそうリュウジに問いかけた。リュウジは最後に升に残った清酒を舐めるように飲み干した。


(そんなの決まってるだろが~)

「当然、締めにゃ!」


 リュウジはゆっくりと深呼吸した。寧音のように叫びたくなる衝動を抑え、冷静な自分になるよう言い聞かせる。


「酒はもういい。その汁で締めの雑炊はできるか?」

「はい、そうしようと思っていました」


 リュウジがまだ酒を飲むなら後にしようと思っていたようだが、リュウジは元々、今日は深酒をしない予定であった。明日は大事な任務がある。

 店主は冷や飯を器に盛ると、それに温めた汁をかけた。汁かけご飯である。

 まぐろの旨味が入った汁にごはん。冷や飯と言うのがポイントだ。さらさらと口の中に入り、これがさっぱりとして快感なのである。


「ふう~。旨かった」

「美味しかったにゃ」

「ありがとうございます」


 そう店主と女将は軽く頭を下げた。リュウジは腕時計を見る。

 現在は夜の8時。店に入ったのは6時くらいだから、じっくりと2時間で酒2杯と料理を3品味わったことになる。

 まさに至福の2時間であった。


「大将、3日後にまた来る。その時は自慢の新鮮な魚を生で味わおう」

「また来るにゃ」

「はい。それでは3日後、またいらしてください」


 リュウジは一見客であるが、店主はまるで常連客のように対応する。

 いつの間にか、店は客でいっぱいである。この料理と酒、居心地のよい雰囲気なら、当然であろう。

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