第5話 麦焼酎「藤壺」
ワミカ地域の主要都市の一つであるザキ。市内には大きな川が流れ、風光明媚な歴史のある町として知られる。交通の要所でもあり、四方に伸びる大きな街道の中継点でもある。
そして南には海があり、豊富な魚介類を扱う市場がたくさん立ち並んでいた。そんなザキの町の中心から少し離れた場所をリュウジは歩いている。
(意外といい街だな。山もあり、海もある。こういうところの酒はつまみが期待できる)
クエスト調査官のリュウジの趣味は飲み歩き。その土地の美味しい酒と肴で至福のひとときを過ごすのがたまらなく好きなのだ。
クエスト調査官は死と隣り合わせの職業。調査に出向く前と終わった後に、この至福を味あわなければやっていられない。
これは長年クエスト調査官をしているリュウジのルーティンであった。ゲン担ぎという側面もあるが、困難な任務に対しての精神的な癒しの面が大きいのである。
初めての町でうまい居酒屋を見つけるのは至難の業だ。そういう場合は、土地の人間に聞くか、土地の人間が多く集まる店を捜すのが定番である。
しかし、リュウジの場合は長年の経験と臭いで自分の好みの店を見つけるのがうまかった。そういう店は人が多く集まる繁華街の中心にはない。
繁華街には、この町を訪れる旅人や仕事で訪れる人間が多くおり、そういう客は便利な繁華街の店に行く。
そういう店がけっしてまずいわけではないが、騒がしい店はリュウジの好みではない。
静かに美味しい酒を味わい、店主の自慢の料理を楽しむ。そういう至福を味わいたいのだ。
(ここが良さそうだな……)
裏通りを歩いていたリュウジは、一軒の店の前で足を止めた。古びた暖簾が出た小さな店だ。建物は古いが店の前はよく掃除されており、清潔感がある。
扉は居酒屋によくある横開きのスライドドアで、スモークガラスからは温かみのある光が漏れてくる。
店の名前は『魚一(うおいち)』と書かれている。紫色の布に白く染め抜かれた店名の文字がリュウジは気に入った。
「くんくんくん……リュウジ、ここはいい匂いがにゃ。今日はここで飲むのがいいよ……」
不意にどこからか声がする。それは道行く人誰も聞こえない。リュウジだけに聞こえる声だ。
声の主はリュウジだけが知っている。
リュウジは首に下げた木彫りのペンダントに触った。
「ああ、ここにするよ。俺のアンテナもここだと言っている。寧音(ねね)、が勧めるなら確実だろう……」
リュウジはペンダントをつまみ、自分の顔のところへ持って来るとそんなことを言った。
近くに人がいたなら、変な独り言を言っているように聞こえたかもしれない。
「いらっしゃい」
リュウジが扉を開けると、カウンターに立つ男から声をかけられた。
おそらく、店主だろう。こういう小さい店は店主が自ら包丁を握っていることが多い。店主はリュウジとさほど年齢は変わらない感じの男。
短く角刈りにした頭にタオルを巻き、白い調理服に身を包んでいる。カウンターは5席。テーブル席が2つある。
すでにカウンターには3人の客。テーブルは埋まっている。まだ時間は早いから、結構な人気店だと推測できる。
「カウンターへどうぞ」
リュウジが一人と見て、そう給仕をする女性がそう促した。着物と呼ばれる昔ながらのこの世界の伝統服に身を包んでいる。年齢は店主とあまり変わらない感じだ。
店主と夫婦だろうなとリュウジは考えた。お互いに見合う視線や仕草からリュウジはそう判断した。人間の観察能力である。
「飲み物は何にしましょうか?」
そう女性はリュウジに聞いてきた。リュウジは首にかけたペンダントを首から外し、カウンターテーブルに置いた。その木彫りの猫のようなものが、リュウジに語り掛ける。
「ここは料理が期待できそうだよ……リュウジ周りを見て……」
そう木彫り猫がリュウジに語り掛ける。リュウジは狭い店内に視線を送り、ゆっくりと頷いた。
先客たちのテーブルには美味しそうな料理がずらりと並んでおり、客たちはそれと共に酒を飲んでいる。
「ここの酒の肴に合うのはやっぱりあれだにゃ……」
「そうだな、寧音……お前の言う通りだ……」
リュウジは小声でそう木彫りの猫に語り掛けると、こう女給仕に告げた。
「……最初は麦焼酎にしよう」
最初の一杯はよく冷えたビールと言うのがよくあるパターンだ。しかし、この店に入った時に目にした先客は誰もビールを飲んでいなかった。こういう場合は、この店の売りが違う酒であることを予想するものだ。
「麦焼酎ですね……はい、いろいろと取り揃えています」
そう女給仕は答えた。麦焼酎は麦を原料にした蒸留酒である。
原料となるものは多く、麦、米、ソバなどの穀類。さらにサツマイモやジャガイモなどが用いられる。ウィスキー、ブランデー、ウオッカと同じ蒸留酒である。
違いとなると、発芽した穀類や果物を原料にしたのがウィスキーやブランデー。白樺の炭で濾過したのがウオッカ。砂糖や糖蜜を使うとラムとなる。
焼酎の飲み方は様々で、水割りにお湯割り、氷を入れただけで飲むロック。ジュースや炭酸水で割る飲み方もある。
「お勧めは何があるのだ?」
「そうですね……」
女給仕はそう言いながら、手にしたメニュー表をリュウジの前に置いた。そこにはずらりと酒の名前が書いてある。焼酎も何種類もあり、麦焼酎は7種類から選べるようだ。そんな中から、女給仕は迷わず指さしてリュウジに見せた。
「この藤壺をお勧めしますわ。今日は新鮮な魚が何種類か入ったので、癖がなくてよりさっぱり感がよく合うと思います」
「おススメを聞いただけで、もう体に染みわたってしまいそうだにゃ」
そう木彫りの寧音がリュウジに語り掛ける。リュウジも同感であった。
「よし、それでいこう」
「飲み方はいかがしましょうか?」
「水割りで」
リュウジはそう女給仕に伝える。どうやら、この店は当たりのようだ。
お勧めの酒を客の好みに合わせて紹介できる知識と、数種類の酒を置いている店のポテンシャルがないとこうはいかない。
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