第10話 しょう子ジェラシー

 しょう子が我が家に来てから1週間が経った。


 そう、約束の期限を迎えたのだ。


 今ではすっかり家族のように思えるしょう子だが、実はペットショップから一時的に預かっているに過ぎない。


 だが、俺の中でしょう子をどうするべきかすでに決めている。



 ――しょう子を引き取ろう



 情が移った、と言えばその通り。

 しょう子を手放したくないという俺のエゴだ。

 しかし、ただしょう子が可愛いから引き取ろうとしているわけではなく、里子のことも考えての決断でもある。

 

 梟娘と猫娘で種族が違うにも関わらず、いつも二人一緒でとても仲良しだ。

 里子はしょう子をまるで我が子のように可愛がり、しょう子も里子を母親のように慕っている気がする。


 そんな二人を引き離すなんて残酷なことを出来る人間がいるだろうか。

 少なくとも俺には出来ない。


 無論、猫娘という人気のペットだけあって値段もお高いのだろう。

 今までペットショップからもらっていた餌代も掛かってくるし、他の日用品もちゃんと揃えないといけない。

 

 だけど、そのどれもが家族を失っていい理由にはならないのだ。


 そうして俺はある種の義務感に駆られながら、ペットショップへ行く支度を始める。


 

 ――あ、そうだ



 一応、念のために二人の様子を確認しておこう。


 里子としょう子は俺が着替え始めるのを見ると暴れ出すことがある。 

 だから、着替えている最中にまた襲われないよう注意しなければいけない。



「二人は……うん、ぐっすりお昼寝してる」



 さっき昼ごはんを食べたから、眠くなったのかもしれない。

 二人は里子お手製の巣でいつも通りの格好をして寝ていた。



「いつも重なって寝ているけど、しょう子は息苦しくないのか?」



 しょう子がこの家に来て以来、ずっと里子はしょう子を隠すように覆いかぶさって寝ている。

 そのため、しょう子がどんな寝顔をしているのかまだ見たことが無い。

 

 俺はもう少し詳しく観察するためにゆっくりと近づいてみた。



「スースーと気持ちよさそう…………えっ?」



 近くで見て気付く。


 

 ――なんか、はみ出てる



 覆いかぶさる里子から、しょう子の手足が見えていた。

 


「うーん……、んん?」



 しょう子の大きさは、里子よりも一回り小さかったはず。

 だから今まで里子の小さな体でもすっぽりと隠せていた。



 ――まさか、この一週間で里子よりも成長した?



 いやいや。第一、毎日しょう子を見ているのだから大きくなっていたのなら、俺が気付かないはずないじゃないか。

 ただ手足が見えただけなら、里子の覆いかぶさる位置が中心からずれているだけかもしれない。


 

「あっ」



 気のせい――そう思っていたのだが、決定的なものを見つけてしまった。


 それは、しょう子の寝顔。

 小さく寝息を立てている可愛らしい顔。

 里子の寝顔と並んで、とても微笑ましい光景。


 本来、里子の体に隠れているはずの寝顔。

 

 俺は少し動揺して、寝ている里子を揺さぶって起こす。



「さ、里子さん里子さん! なんか、しょう子がでかい!」


「――……ピョョ?」



 里子は寝ぼけているのか、梟のくせに小鳥のようなさえずりをする。


 俺はしょう子に指を差し、再び里子へ訴える。



「ほら見て! しょう子はみ出てる!」



 里子は俺がしょう子について言及していることを理解したのか、眠たそうな薄目でしょう子を見る。



「ホォ」



 そして里子は短く鳴き、しょう子の寝顔に頬をくっつけて再び目を閉じた。



「……そっかぁ」



 里子にとって、それは些細なことだったのかもしれない。

 俺は自分でも何に納得したのか分からないまま、それ以上言及するのをやめた。





 それから三十分後。

 俺は外出の支度を済ませ、里子たちの昼寝が終わるのを待っていた。


 暇つぶしにスマホで観ていた動画に熱中していたせいか、いつの間にか起きた二人が背後で一緒に動画を観ていたことに気付かなかった。



「へぇー。この犬娘、芸達者だな……ん?」



 俺は背後から視線を感じ、振り返る。



 ジィーーーーーー


 

 そこには物音立てずに佇む同じ背丈の影が二つ。

 里子としょう子だ。



「お、おはよう」


「ホッホー」

「……」



 里子はいつも通り元気な返事。

 対してしょう子はどこか冷ややかな視線だけを送っていた。



「しょう子?」



 俺はしょう子の不審な様子に不気味さを感じ、身構える。


 すると次の瞬間――



 バシッ


「シャァーー!!」


 バシバシバシバシッ!



 しょう子が突然俺の持っていたスマホを叩き落とし、落ちたスマホをまるで猫パンチのように高速で叩き始めた。


 

「アァッーー! やめてぇぇええ!」


「フーッ! フーッ!」


「ホッホッホッホ」



 荒ぶるしょう子を持ち上げながら、スマホの助命を懇願する俺。

 脚が浮きながらも執拗にスマホを攻撃しようとするしょう子。

 俺としょう子が遊んでいるとでも思ったのか、楽しそうに鳴いて俺の背中に飛び乗ってくる里子。


 三者三様の入り乱れた状況。

 スマホの動画に映る犬娘は、我関せずとばかりに芸を披露し続けていた。




 ◇◆◇




 ペットショップへ向かう道中。

 右手に里子、左手にしょう子と手を繋ぎながら歩いている。


 今はすっかりご機嫌に尻尾をゆらゆら揺らして歩いてるしょう子だが、つい先ほどまでは眠っていた野生が目覚めたかの如く怒り狂っていた。


 原因は、観ていた動画の犬娘。


 その動画が止まるとしょう子は嘘のように大人しくなり、甘え鳴きをしながら顔や尻尾を俺と里子に擦りつけていた。


 たぶん馬が合わなかったのだ。

 人間だけでなく、ペット同士にも相性がある。

 相手は動画に映っていただけだが、それでも何か気に入らないものがあったに違いない。


 普段は賢くて優しい性格のしょう子。

 あそこまで変貌した理由が他に見当たらないので、そういうことにしておこう。



「里子ちゃーん!!」

 

 

 俺は里子としょう子の歩幅に合わせながらゆっくり歩いていると、背後から声を掛けられる。


 その声はいつぞやの若い女の子だった。



「あぁ、君は確かこの前里子に威嚇された子か」


「今日こそは里子ちゃんを撫でさせてもらいますよ――って、増えてる!」


「うん。こっちは猫娘のしょう子っていうんだ」


「ぐふ、ぐふふふ……カワイイ」



 どうやらターゲットを里子からしょう子に変えたらしい。



 ――まあ、無理もない



 里子はこの女の子を見た瞬間にここ最近見なかった威嚇のポーズ、鶴の構えを披露して牽制していた。

 それに比べてしょう子は無防備にぼーっと女の子を眺めているだけ。


 しょう子は人間に対して警戒心が低いのかもしれない。

 それにつけ込み、女の子は撫でやすそうなしょう子にジリジリと詰め寄る。



 ――しかし、それはあまりにも危険な行為だ



 彼女は里子が前回と違う反応を見せていることに気付かなかった。


 里子は俺の影に隠れるのではなく、威嚇のポーズをしている。


 これが意味するのは闘志の表れ。


 つまり、里子は女の子を攻撃する気満々なのだ。



「しょう子ちゃーん。イイ子だからちょっとだけ、ちょっとだけ触らせてねェ」


「あ、今は止めておいた方が……」


「ふ、ふふ、もう辛抱たまらーん! えへへへへ「ホォオオオオオ!」――あっ」



 俺の静止に耳を貸さず、女の子がしょう子を撫でようとした瞬間――里子の目にも留まらぬ飛び蹴りが女の子の顔面目掛けて放たれた。


 そして蹴りは見事に命中し、女の子は放物線を描いてぶっ飛ばされる。


 きっと蹴られる瞬間、死を覚悟したのだろう。

 最期に「あっ」と漏らしていたのが聴こえた。



 ――おー、めっちゃ飛んだなぁ



「……って、ボーっとしてる場合じゃねぇ!」



 俺は蹴り飛ばされた女の子の下へと駆け寄る。

 

 今際の言葉が「あっ」ではあまりにも不憫だ。

 なんとか蘇生を試みなければいけない。



「だ、大丈夫か!?」


「……ぁ、い、生きてる」



 女の子は突然の衝撃で動揺しているようだが、額の大きなコブ以外は無事だった。

 おそらく直前に顔を下げたおかげで、人間の体で最も丈夫なおでこに蹴りが当たったのだ。


 何はともあれ、大きな怪我が無くて良かった。



 

 少し休んだ後、回復した女の子に謝罪の意を込めてしょう子を撫でさせてあげることにした。

 問題の里子は俺が抱きかかえて目隠しすれば多少大人しくなるので問題なく撫でることに集中できるだろう。



「や、柔らかい。うっ、うぅ……柔らかいよぅ、しょう子ちゃぁん」


「よかったね」



 まだショック状態から抜け出せないのか、情緒不安定になっている女の子。

 しょう子は女の子に抱き着かれながら俺を見て『どうすればいいですか?』と云わんばかりに困惑している。

 

 しょう子には悪いが、彼女が満足するまで撫でられていてもらおう。




「ふぅー。今日はここまでにしておきます。次こそ、里子ちゃんを撫でさせてもらいますから!」



 満足した女の子は別れ際に再び里子へ挑戦する旨を残して去っていった。



「……逞しいな」


「ミィ」

「ホー」



 俺の呟いた感想にしょう子は疲れた様子で、里子は呆れたような顔で同意したように鳴いた。




 ◇◆◇




 ペットショップに着いた。

 店の中へ入ると、半ば俺の担当になってくれている店員さんが迎えてくれる。



「いらっしゃいませー。おぉ! しょう子ちゃんおっきくなったねー」


「どうも。……やっぱり結構大きくなってますよね。俺、今日気付きましたよ」


「アハハ、毎日一緒にいると案外分からないものですよ」



 しょう子は店の中だとまさに借りてきた猫のようだ。

 尻尾も内股に挟んでいて、不安そうに俺の服を掴んで影に隠れている。


 ちなみに里子はまた目隠し抱っこで拘束して、大人しくさせている。



「あの、実はしょう子をうちで引き取ろうと思うんです」


「はい! わかりましたー」



 随分と要領を得た返答。

 こうなることが分かっていたかのような反応だ。



「……めっちゃあっさりですね」


「フッフッフ、しょう子ちゃんを見ていれば分かります。不安な時に頼りたくなるほど信頼されているんですよ」


「まさか、初めからこうするつもりで……」


「え……いえいえ! そんなそんな! あはは」



 間違いない。確信犯だ。

 まあ、別に構わないけれども……。



「あの、それでしょう子のお値段はどれくらいで……?」


「あー、いや、お代は結構です。この先もしょう子ちゃんを大事にしてください」


「――はい? まじすか?」


「まじっす」



 店員はしょう子の目の前でしゃがみ込み、優しい手つきで頭を撫でる。



「どちらにせよ、この子は他のお客様に譲るわけにはいかなかったんです」


「それはどういう事です?」


「ペットを飼ったことがない初心者の方に、しょう子ちゃんのような心の病を持っている子を育てるのは難しいんです。大抵、寿命を迎える前に衰弱します」


「じゃあ、経験のある人なら大丈夫だったのでは?」


「いいえ、飼育経験のある方は元気で状態のいい子を選びます。店としても、弱っている子をお勧めするわけにはいきませんので……」


「そう、ですか」



 それは、まさに命の選別だ。


 誰が悪いって話じゃない。

 人間のエゴだと怒るつもりも無い。


 たぶん、世の中にはどうにもならないことなんてありふれている。


 もし自分が映画に出てくるようなヒーローなら、どうにかできるのかもしれない。


 でもそうはならなかった。なれなかった。

 そして強がりを言えば、そんなものになりたいとも思わない。

 

 俺は利己的な人間だ。エゴだと批判されるような俗物だ。

 時には自己嫌悪に陥ることだってある。


 だけど、それでいいじゃないか。


 仕事をやめて里子を飼うことになったのは俺のエゴ。

 里子のためにしょう子を預かり、手放したくないからといって引き取ってしまうのも俺のエゴだ。


 きっと、ヒーローはそんなエゴではいられない。

 ペットのために崇高な使命を放棄なんてできないし、打算で命を預かってしまったりもしない。



 つまり、エゴが無ければ里子としょう子に出会うこともなかったんだ。


 

「……俺、しょう子のことが好きです」


「はい。知っています」


「かわいそうだからとかじゃなくて、しょう子じゃなきゃダメなんです」


「分かっています」


「だから、しょう子を俺にください」


「――末永く、よろしくお願い致します」



 店員さんのそれは先ほどの営業的な調子ではなく、真摯な願い。


 店員さんも、しょう子のことで苦しんでいたのだろう。

 ショップの店員だからこそ、しょう子にしてやれなかったこともあったはずだ。

 それをどうにかして欲しい――そんな店員さんのエゴも、しょう子と俺が出会うことになった一因でもある。

 

 

 人間はエゴだ。

 命の選別をしておいて、捨てる命すら尊いと思ってしまう。

 矛盾していて、とても愚かで、醜い。

 

 

「しょう子、これからもよろしくな」


「ニャァ」



 だけど、そのどれもが目の前にいる家族を抱きしめない理由にはならないのだ。

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