第9話 しょう子と特訓

 朝ごはんを食べ終わり、暇になった私とママは二人で秘密の特訓をしていた。



『しょう子、やってみろ』



 しょう子、というのは私の名前らしい。

 ママの大好きな相棒さんが付けてくれた。



『――うん! えいっ!』



 私はママの指示に従い、その場を目いっぱい高く飛び上がる。



『む、違うぞ。こうだ』



 ママはそう言いながらその場を高く飛び上がり、空中で一回転しながら蹴りを繰り出す。その跳躍は私のよりも遥かに高く、かっこよかった。



『す、すごい! もう一度……えいっ!』


『違う。こう!』


『う~~……そんなに高く飛べないよぉ』


『甘えるな。飛べばできる!』



 私はママのことが大好きだ。


 寝るときは覆いかぶさって温めてくれるし、ご飯も食べさせてくれる。

 日向ぼっこしながらウトウトしているママの顔は可愛いし、一緒に寝床の中を探索するのも楽しい。


 ただ、教えるのは上手じゃないと思う。

 ママの身体能力が高いせいなのか、出来ない理由が分からないのだろう。


 だけど、私が何か出来た時は凄く喜んでくれる。

 だから私はママを喜ばせるために頑張れるのだ。



『が、頑張る!』


『うむ!』



 そうしてしばらく二人で猛特訓を続けていると、いつの間にか相棒さんが私たちの後ろに立っていた。



「二人でピョンピョンと楽しそうだな」


『はっ! 来たな相棒!!』

 


 相棒さんの声にママが気付き、興奮気味に両手をパタパタと震わせて喜ぶ。



「しょう子のおかげでトイレの扉を開けられずに済んで良かったと思ったら、今度はこんなことをしてたのか」


『なんだ? 相棒も特訓したいのか?』


「元気なのは良いけど、あまり五月蠅くしちゃだめだぞ。ここ一階だけど振動は隣にも響くからな」



 相棒さんがママに何かを話かけ、首を傾げながらその内容を推測するママ。



『よし、相棒には獲物役をやってもらおう!』


『ママ?』


『よく見ていろ、しょう子!』



 無防備にこちらを眺めている相棒さんに向かって、ママがゆっくりと近づく。


 そして――



「うん? どうした里子。抱っこか?」


『喰らえ相棒ぉ!!』


「うおっ、危ない!」

 


 ママは突然飛び掛かる。

 しかし、相棒さんは難なく空中でママを捕らえた。



『このっ! このっ!』


「はいはい、分かった分かった。暴れなくてもギュッとしてあげるからな」



 相棒さんは捕らえたママをそのまま抱き寄せ、頭を撫でる。



『あっ、キモチいい……――って、違う!』


「あっ! 首噛んだ!」



 頭を撫でられて一瞬ウットリとしていたママだが、すぐに気を取り直して相棒さんの首に齧り付く。



『このっ! もっと私に構え! 撫でろ! 置いていくな!』


「……あれ、あんまり痛くない。何だ、甘えてるだけか」



 ママは相棒さんに齧り付きながら日頃の不満をぶつけている。

 

 その後もしばらく相棒さんの顔に頬ずりをしたり、頭をグリグリ押し付けたりして散々暴れ倒した挙句、満足したところで自ら飛び降りた。



『ふぅ。どうだ、しょう子』


『えっ?』


『首を狙う。これが、狩りの基本だ』



 ――一体、どの辺が狩りだったのだろう



 私にはママが精一杯相棒さんに甘えていた様にしか見えなかった。

 ママも楽しかったのかホクホク顔で『ムフー』と聞こえてきそうな程ご満悦だ。



『しょう子、やってみろ!』


『う、うん!』



 私はママの指示通り、相棒さんにゆっくりと近づく。



「次はしょう子か? よし、おいでー」


『相棒さん、かくごぉ!!』


「えぇ!? しょう子も飛ぶのか!」



 私は相棒さんに向かって飛び掛かった。

 しかし、特訓で出来なかったことが今急に出来るなんて都合のいいことはない。


 私は相棒さんの首元に辿り着く前に勢いが衰え、床に落下していく。

 それでも悪足掻きで腕だけを虚しく届かない相棒さんへと伸ばした。



 ――やっぱり、ダメなのかな……



 結局私は何をしてもダメな奴だ。

 

 ギュッと目を閉じ、私は不出来な自分の結果から目を背けようとした。


 そして惨めに床にぶつかり、痛みと悔しさで打ちひしがれるに違いない。




 そう諦めていたのだが、私を襲ったのは床へぶつかる痛みではなく、ふわっした暖かい感触。



 ――え?


「あっぶねー。ダメだぞ、しょう子。まだ小さいんだから無茶しちゃ」



 恐る恐る目を開けてみると、相棒さんがしゃがみ込んで私を抱きしめていた。

 

 

『う、うぅ……うわぁぁぁぁん!』


「おー、よしよし。しょう子も甘えん坊だなぁ」



 相棒さんの首に腕を回しながらしがみ付き、感極まって叫ぶ。



 私は今まで、相棒さんとはどこか一線を感じていた。


 人間は私に酷いことをしてはこない。

 だけど興味もないのだと知っている。


 もちろん、ママと相棒さんの掛け合いを見ていればそんな冷え切った関係でないことは明白だ。


 だが、それはママが特別なだけなのではないだろうか。

 私は……相棒さんにとって私はママと同じくらい大事な存在なのだろうか。


 

 ――そんなわけ、ない



 同じなわけないじゃないか。

 だってママは可愛いし、優しい。

 対して私は何の取柄もない。



 ――その、はずなのに……



 相棒さんは抱き着く私をママと同じように撫でてくれる。抱きしめてくれる。


 思い返せば、この寝床に来て一度たりとも相棒さんが私を無視したことは無かった。ママと同じように話しかけてくれるし、私を見る目は優しいものだった。


 私は勘違いしていたんだ。

 

 前にいたところの人間と相棒さんは違うんだ。


 相棒さんは、私にも優しくしてくれるんだ。



 ――嬉しい



 私は素直になって、日頃の感謝を伝えることにした。



『グスッ……いつもご飯おいしいです』


「ハハハ、ペロぺロ舐められるとくすぐったいよ、しょう子。……あれ、意外と舌ザラザラしてるね、君」


『話しかけてもらえて楽しいです!』


「あ、あはは……ちょ、ちょっと痛い気がしてきた」


『これからも一緒にいさせてくださいぃぃぃ!』


「あ、これ気のせいじゃねぇわ。痛ぇぇええ!」



 私が夢中になってペロペロと首を舐めながら甘えていたら、相棒さんが急に叫びだし、私の両脇を掴んで持ち上げた。


 もっと舐めたかったのに、持ち上げられてはそれが出来ない。



 ――どうしたんだろう?



 何でそんなことをしたのか、私は首を傾げて考える。



『うむうむ』



 ママはそれを見て、満足気に頷いていた。




 ◇◆◇




 お日様が赤く染まり、空が暗くなり始めた頃。


 私はママと二人でゴロゴロしながら相棒さんを観察していた。

 その相棒さんはというと、何やら忙しそうに着物を着換えている。



『……はっ! この様子、カイモノか!』


『ママ、カイモノって何?』


『そうか、しょう子はまだ知らないんだったな』



 ママは深刻そうな眼差しで語り始めた。



『カイモノは、とても危険だ』


『えぇ!?』


『相棒がいなくなってしまうんだ!』


『えぇぇぇぇぇぇ⁉』



 せっかく相棒さんとも仲良くなれたのに、いなくなってしまうなんて。

 なんて恐ろしい……カイモノめ!。



「里子がめっちゃ睨んでくる。しょう子も尻尾がピーンと立ってるし……、どうしたんだよ」



 着替えが終わった相棒さんはチラッと私たちを見て何かを言った。



『ママ、相棒さん何か言ってる!』


『うむ……きっと、別れを告げている』


『や、嫌! そんなのヤだよ!!』

 

『落ち着くんだ、しょう子。特訓を思い出せ!』


『ッ!』


『相棒が後ろを向いた瞬間、飛び掛かるんだ!』


『わかった!』


「何か会話してるのかな……まぁ楽しそうだし、いいか。じゃあ買い物行ってくるから、二人でお留守番頼むぞ」



 相棒さんは再び何かを私たちに語りかける。

 

 その内容は分からない。


 しかし、確かなことは相棒さんが私たちの前から消えようとしていることだ。

 信じたくはないけれど、今まさに背中を見せて外へ出ようとする姿が何よりの証拠。


 私とママは互いに目で合図をし、飛び出した。



『『おりゃぁあああ!!』』



 特訓の時のように、首を目掛けて襲い掛かる。

 

 そしてママと私は見事に相棒さんを捕らえ、押し倒すことに成功した。



「イタタタ……」


『相棒のバカ!』

『相棒さんのアホ!』


「結局二人になってもお留守番できないんかい……」


『『つれてけー!!』』


「……はぁ」



 こうして危険なカイモノを防ぐことに成功し、相棒さんはママと私の手を握って一緒に外へ散歩してくれることとなった。



 ――ママと相棒さん、この二人とずっと一緒なら幸せだ



 私はそう思いながら、自由に動くようになった身体で夕暮れの空の下歩き出した。

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