第7話 猫娘のしょう子、邂逅
私には姉妹がいた。
同じ親から生まれた、血の繋がった姉妹。
しかし、私はどうやら出来損ないだったらしい。
他の同族よりも体が小さく、力も弱い。
そのため母から乳を貰おうとしても他の姉妹に押しのけられてしまい、満足に飲むことができなかった。
そんなことが続き、徐々に成長の差が顕著になると今度は姉妹ではなく母が私を押しのけてきた。それでも私は幾度となく乳を貰おうと母に近寄ったが、その度に手酷く殴られたのだ。
そのとき、私は悟った。
――私は、見捨てられたんだ
成長の遅い子を育てても、将来生き残れる可能性は低い。
だから育てる必要のない出来損ない。
それが私だった。
幼くも独りになってしまった私は、それでもお腹が空いてしまうとご飯を求めて母を呼ぶ声を挙げずにはいられない。
誰からも望まれてなかろうと、私の生きたいという本能がそうさせるのだ。
それが功を奏したのか、人間という生き物が私にご飯を与えるようになった。
そのおかげで私は餓死から免れることができた。
しかし、ご飯が満足に貰えるようになったからといってすぐに体が大きくなるわけではない。
私は変わらず、母や姉妹にとって要らなくなった出来損ないでしかなかった。
他の娘たちが集団でじゃれ合ってる中、私は独りぼっちでいるしかない。
もしその集団に近づけば、たくさん殴られてしまうからだ。
かといって、遊び盛りの私が独り退屈でいることに耐えられるわけでもない。
だからご飯をくれる人間に抱き着こうとしたり、『遊びたい』と訴えたりもしたが、人間は私がすり寄るとその分だけ距離をとっていく。
人間を観察する以外やることがなかったので気付いたのだが、これは私が出来損ないだからそうしているわけではない。
人間は、他の猫娘や他の種族にも一定の距離をとりながら接しているのだ。
つまりここにいる人間たちは、私を虐める敵ではないが心を許せる仲間でもない存在なのだと理解した。
それ以降、私の生き地獄が始まる。
すぐ近くでは母の温もりを貰い、無邪気に遊ぶ姉妹がいて――対して私は無機質な布で味気ない暖かさと義務的な栄養を補給するだけ。
体は少しずつ大きくなっているはずなのに、心が摩耗して小さくなっていく。
私は遂にまともに歩くことすらできず、地を這う事しか出来なくなった。
――あぁ、私は本当に出来損ないだ
もう、生きていても仕方ないのかもしれない。
このまま穏やかに死ねるのなら、それが私に与えられた唯一の幸せなのだろう。
そう悟った私はゆっくりと、しかし確実に近づいてくる"幸せ"を待ちながら惰性で生きていた。
ある日、私にいつもご飯を与える人間が見知らぬ人間と共にやってきた。
『なんかきた』
『ご飯ですか?』
『あそぼー!』
他の姉妹たちが無邪気に人間の来訪を喜ぶ。
この頃、私たちは成長と共に乳だけではなく他の栄養も摂取していた。
そういったご飯をくれるのは人間たちなので、他の姉妹たちは人間が自分らの仲間か何かだと勘違いしているのだ。
だから彼女たちはすぐに気付けなかったのだろう。
見知らぬ人間が抱きかかえている、謎の生き物に。
それは、私たちのような子供に比べれば大きいが母や人間に比べると大分小さい。
人間に目隠しされているにも関わらず動揺した様子は無く、ただ自然体で人間に身を預けている生き物。
人間たちが何か会話をした後、その生き物の目隠しが解かれる。
その瞬間、私はそれが自分にとって危険な存在だと直感した。
柔らかそうな着物を身に纏い丸々とした外見は愛らしかったが、その眼は私たちを仲間ではなく、捕食対象として捉えていたのだ。
『人間じゃないのきた! 大きいのきた!』
『でもママより大きくないよ?』
『怖い! あいつ怖い!』
先ほどまで呑気だった姉妹たちも流石に直感には逆らえないのか、あの生き物が危険なものだと理解してパニックになっていた。
それが普通。正常な反応。
――だというのに、私は何をしているんだろう
気付くと私は、満足に動かせない体で這いながらその生き物に向かっていく。
それが、危険なことだと分かっていても――
それが、異常な行動だと自覚していても――
私は、誰かの温もりを欲する自分を止めることができなかった。
――もう寂しいのは嫌だ。本当は、死にたいなんて思ってない
『マ、……ママ、ママ』
――久しぶりに鳴いたせいか、声が上手くでない
必死に這いつくばり、伸ばした手がその足を掴む。
――あぁ、掴んでしまった。きっと、打たれる
今まで母や姉妹たちに殴られた記憶が蘇る。
だけど、構わない。
どんなに打たれようと、例え食べられてしまっても。
ここから私を連れ出してくれれば、何だっていい。
『おい、私はお前のママじゃないぞ』
"彼女"から返ってきた反応は、暴力ではなく言葉だった。
こんなことは初めてだ。
暴力や無視ではなく、私を見て話しかけてくれた。
『ママ、ママ』
私はつい彼女の脚にしがみ付いた。
彼女への本能からくる恐怖が消えたわけではない。
ただ、それに勝る何かが私を突き動かす。
『おい、こいつを早く連れてけ』
彼女が私の姉妹にそう言った。
当然だ。
彼女にとって私はただの捕食対象。
無関心よりも遠い、有象無象の物。
だから、その言葉にショックはなかった。
その代り、少し期待してしまった。
もし、もし姉妹たちが私の身を案じて自分たちのところへ来るよう促してくれたなら、私はまだここでやっていける。
……そんな勘違いをしてしまったのだ。
『そいつ、知らない』
――毎日、一緒の場所にいたはずなのに
『関係ないもん』
――同じ親を持つ、同じ生き物なのに
『そんなの仲間じゃない』
――血の繋がった、姉妹なのに
一つ一つの言葉が、私の心に突き刺さる。
分かっていた。皆からどのように扱われていたのか、この体が覚えている。
それでも、どこかで『言葉にはしていないから』とありもしない望みを持っていたんだ。
――私は、なんて愚かなのか
仲間を信じていたなんて。
母を求めてしまうなんて。
出来損ないの私は、そんなものを望んではいけなかったんだ。
――やめろ、私。彼女の目を見るな
傷つくだけだ。
きっと、彼女も私なんか振り払うに決まってる。
きっと、私なんて鬱陶しい子供だと思っている。
そうに決まってる――それなのに、どうしてそんな目をしているの?
その大きくて丸い目は、なぜ私をそんなに優しく見てくれるのか。
また、期待してしまうじゃないか。
仲間に、母になってくれるのではないかと勘違いしてしまうではないか。
『仕方ないな。不安なら、抱きしめてやる』
ふいに、彼女の柔らかい腕に抱かれる。
モコモコとした優しい感触、自分以外の体温、そして私の頭を撫でるその暖かい手。
『マ、マ?』
『どうだ、嬉しいだろ。抱っこは嬉しいものなんだぞ。相棒が教えてくれた』
嬉しい――知らない感情だ。
殴られた時に感じる鈍く暗い感覚や裏切られた時に感じる冷たい感覚とも違う。
暖かくて、優しくて、強い。
それはまさに、彼女を表現したかのような感情。
『ママ、ママぁ!』
私は今ある力を全て振り絞り、彼女を、ママを抱きしめる。
それに応えてくれるかのように、ママは私を受け入れてくれた。
しばらくして、ママが突然私を抱きしめたまま人間たちのところに向かった。
ママは私よりも大きいが、しかし私を持ち上げるほどの身長差はないためほとんど引きずって行ったと表現した方がいいのだろう。
そしてママは人間たちの前で立ち止ると、ご飯をくれる人間の方に向かって叫ぶ。
『おまえ! しつこいぞ!』
『ママ?』
人間には私たちの言葉は通じない。
それが分からないわけでもないだろうに、なぜそんなにも真剣に訴えているのだろうか。
『お前も言ってやれ! 私のを盗るな!』
私のを、というのはもう一人の人間のことだろう。
ママはその人間のために、真剣に怒っているんだ。
なんて誠実で、可愛らしいのか。
『う、うん……とるな!』
それに、ママは私を頼ってくれた。
一緒に訴えるよう言ってくれた。
誰かと一緒に何かをするなんて、初めてだ。
その後、人間にママと私の訴えが通じたのか他の姉妹を引き連れてどこかへ去っていく。ママは私のことを『よくやったぞ!』と褒めながらわしゃわしゃと撫でてくれた。
――幸せだ。母にもらえなかった愛を、ママからもらっている
私はこの幸せを噛みしめながら必死にママに甘えていると、ママのお気に入りの人間が話しかけてきた。
「さて、そろそろ帰ろうか。里子」
サトコ、とはどうやらママの名前らしい。
他はどういう意味かは分からない。
なぜこの人間は通じないと分かっていながらママに何度も話しかけるのだろう。
ママはなぜこの人間に何度も話しかけるのだろう。
羨ましい。
私がそんなことを思っていると、ママが突然立ち上がりアイボーと呼ぶ人間に詰め寄った。
『私がちゃんと面倒みる!』
「うぉ、どうした急に暴れて」
『連れて帰るー!!』
「わ、揺らすなよ里子」
凄い。本当に会話しているみたいだ。
――そんなこと、あるんだ
人間と私たちが、そんな関係になれると知った。
きっと、ママとアイボーは強い絆で結ばれているんだ。
『ほら、お前も言うんだ』
ママが再び私に呼びかける。
私のために、ママは訴えている。
『う、うん。つれてけー!』
飛び跳ねたくなるような、軽やかな感覚。
これもまた、嬉しいって感情なのかもしれない。
天真爛漫なサトコママ。
真剣に、必死に訴えているママには悪い気もするが、私は今楽しい。
――不出来な私ですが、これからもずっと一緒にいてください
そう願いながら、私はサトコママと声を合わせて訴えた。
『『つれてけー!』』
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