第5話 里子ジェラシー

 個室というのは、とても落ち着く。


 外からの干渉を遮断する壁は静寂を産み、腕を伸ばせば隅まで届く狭い空間は安寧をもたらしてくれる。


 きっと、誰にでも経験があるのではないだろうか。


 ――トイレで一人踏ん張りながらも、どこか居心地がいいと感じる瞬間を。

 

 

 そういう意味では、トイレというのはある種神聖な場所だ。

 気安く侵害することのできない不可侵の聖域。



 俺は今、その聖域で静寂と安寧に包まれながら一人奮闘していた。


 そのはずなのだが――



 ドン ドン ドン ドン



 突如響く鈍い音。

 一人暮らしの自宅、そのトイレであるはずのないノック……というよりは単に扉を叩いている音が聴こえた。



 ガチャッ



 聖域を守る扉を、何の躊躇もなく破る暴挙。

 


 キィィ――

 

 

 そして扉の先に立つ一人の侵略者。

 茶髪のオカッパ頭に二本の羽角を生やし、もこもこの着ぐるみを着こむ小さな怪獣。


 その正体は我が家のペットである、梟娘の『里子』だった。



「……」


「……」



 扉を開けた後、何をするわけでもなくただジーーっと丸い目で俺を観察する里子。

 流石にペットとはいえ、催している姿を見られるのは恥ずかしい。


 俺はそっと、開けられた扉を閉める。

 


 キィィ バタン 


 ガチャッ



 今度はノックも無く、間髪入れずに扉が開けられた。



「……」


「……」



 再び里子の丸い目と視線が合う。

 互いに無言のせいなのか、何とも気まずい空気が漂う。

 

 先に沈黙を破ったのは、飼い主である俺。



「……なぁ、里子。今ちょっとトイレに集中したいんだ。頼むから少しだけあっちで待っててくれない?」


「ホホー」



 もちろん言葉が通じるわけはない。

 

 だけど里子は話しかけると何かしらの反応をしてくれるので、ついつい普段から話しかけてしまう。



「そうか、わかってくれたか。よし里子、ハウス!」



 仕込んだことのない芸をなぜか突然試してしまうのも、ペットを飼った者なら経験があるのではないだろうか。

 

 俺は根拠のない自信をもって、今度は大丈夫だろうと扉を閉めた。



 キィィ バタン 


 ガチャッ

 


 ――あれ、デジャブかな?


「里子?」



 なんの悪びれもなく、再び扉を開けてくる里子。



「ホッホッホッホッホ」



 目を薄めながら小刻みに鳴いている。

 これは楽しい時や嬉しい時に見られるもので、決して俺をバカにして嘲笑っているわけではない。たぶん。


 そもそも、里子は笑ったりなどしない。

 というより鳥娘全般的に表情をつくるというコミュニケーションを取らないため、目の動きと鳴き声で感情を窺うしかないのだ。



 里子はきっと、俺と遊んでいるつもりなんだろう。

 日に日にべったりと懐いてくれるのは嬉しいのだが、少し過激な時もある。


 以前、同じようなことがあった時にトイレの扉の鍵をかけてみた。

 その結果、壊されるのではないかというほど扉を叩かれ、外まで聴こえるほどの大音量でワーワーと鳴き喚いていた。


 あれ以降、里子を一人にしないよう注意しているのだが、流石にゆっくりトイレも許されないとなると生活に支障が出る。


 俺は止む負えず里子に見守られながらトイレを済ませ、ある計画を企てた。



「仕方ない……ペットショップまで行って相談してみるかな」



 餅は餅屋。里子のことは、ペットショップで聞いてみるのが一番。

 俺はそう思い立ち、早速着替え始める。

 

 里子はというと、俺がトイレから出た後は布団の上でゴロンと寝っ転がり窓の外を眺めながら日光浴をしている。

 先ほどまでとはうってかわって、俺に興味がないような素振りだ。


 このように、里子は四六時中べったりとくっついてくるわけではなく、俺が視界に入っていれば割と一人でボーっとしてることが多い。



「おーい、もう出掛けるけど、今日はお留守番でいいのか?」



 寛いでいる里子に向かって声を掛ける。


 すると、里子はすぐさまに立ち上がり、両手をばたばたと動かしながら小走りで俺に飛びついてきた。



「……お前、本当は言葉分かってるんじゃないのか?」


「ホー」


「何とも都合の良い返事だなぁ」



 こうして、俺は里子を背中に乗っけながらペットショップへ向かった。




 ◇◆◇




 行き交う人の視線が俺と里子に向けられている。

 物珍しいのだろう。すっかり名物おじさん扱いだ。


 今となってはすっかり慣れてしまったのだが、時々話しかけられることもあるので少し困る。


 

「わー! 梟娘! この子、梟ですよね!? 可愛ぃ~!!」



 道中、若い女の子が里子を見て立ち止り、興奮した様子で話しかけてきた。


 

「そうだよ。里子っていうんだ」


「名前も可愛い! 里子ちゃーん!」



 少しテンションの高い女の子は、里子を近くで観ようと俺の後ろに回り込む。

 すると、里子もそれから逃げるようにぐるっと俺の前に回り込んだ。



「……」


「え、っと……里子ちゃん?」


「ちょっと臆病な性格でね。別に悪気は無いんだ」


「そう、なんですか……。ちょっとだけ、ほんの少しだけ近くで観させて! 里子ちゃん!」



 そういいながら再び女の子は里子を追いかけるように俺の前に回り込む。

 案の定、里子は元の位置に回り込み、俺の背中にしがみついていた。


 その後も二人は俺を軸にグルグル回っていたが、結局里子はその女の子に気を許すことは無かった。



「うぅ……私、里子ちゃんに嫌われたんですかね……」


「シャーー!」


「うん。ちょっと威嚇されちゃってる」


「……今日は帰ります。私、諦めませんから!!」



 そう言いながら走り去っていく女の子。

 彼女には悪いが、里子が俺だけに懐いてくれているという優越感が心地いい。

 

 ――たぶん、俺のこういう気持ちが里子の自立心を阻害しているのかも。

 

 俺は気を引き締めなおして、ペットショップへの歩みを進めた。



 

 しばらくして、店に着く。

 里子にとっては二ヶ月ぶりの里帰りみたいなものだ。



「いらっしゃいませー。あら、お久しぶりですー」


「あ、お久しぶりです。今日はちょっと里子のことで相談がありまして……」


「相談ですか? 是非ぜひ! ではあちらの方で伺います」



 俺は里子を背中から降ろし、店員さんの案内された席に座る。

 ちなみに、里子は当然のように俺の膝の上に座った。



「あらー、里子ちゃん元気そう! よかったねー」


「ワー!」


「わー! ふふっ、本当に幸せそう。あ、それで相談というのは?」


「はい、実は……――」



 俺は店員さんに悩みを相談した。

 里子が親離れならぬ飼い主離れが出来ていないことを。

 里子を一人にするのが不安で生活に支障があることを。

 


「なるほど。確かに、今の里子ちゃんの様子をみるに一人にさせるのはストレスが大きそうですね」


「え?」



 店員さんが少し、里子から距離を取った。


 何故だろうと膝に座っている里子の様子を見てみると、普段は垂れさがってる羽角がピーーンと鬼の角のように立っており、真ん丸だった目は半月のように形を変えてジト目で店員さんを睨みつけていた。



「ど、どうした里子!?」


「たぶん、お客様と私がずっと話しているのが気に入らないんだと思います。つまり、里子ちゃんの嫉妬ですね」


「嫉妬……?」


「鳥は元々愛情深い生き物です。番ができると、それ以外の者に攻撃的になる場合があるんですよ」


「え、つがい? 俺と里子がですか?」


「里子ちゃんはまだ若鳥ですので、本人は番という意識ではないのかもしれませんがそれに近い感情をお客様に持っていると思われます」


「それじゃあ尚更、里子は一人でいれないんじゃ……」



 こうして店員さんと話している間も、里子は背中でグイグイと俺を押して引き離そうとしている。



「鳥娘の習性で、その嫉妬の対象は自分と同じ鳥類か、番相手の種族に限られるんです。ですので、犬とか猫を飼ってみてはどうでしょう。嫉妬対象にならない生き物がいれば、おそらく里子ちゃんの気は紛れるはずです」


「えぇ!? 犬とか猫なんて飼ったら、喧嘩になりませんか? 里子がいじめられるかも……」


「いきなり大人の動物を飼ったりすると喧嘩になるかもしれませんが、赤ん坊ならたぶん大丈夫だと思います。それと、里子ちゃんは小さくても大型猛禽類の遺伝子があるので、闘争本能と力は大抵の犬や猫よりも強いですよ」


「そっかぁ……でも、里子一人でも大変なのに他の動物まで飼うのは少し……」


「では猫娘なんてどうでしょう? 動物の猫よりも知能が高いので、餌や水の準備まで自分で出来るようになりますよ」

 

「うーむ……「ホォオオオオオ!」あ、こら里子、急に暴れるなよ!」



 もう我慢の限界だったのか、里子は俺の顔に飛び掛かってきた。

 おかげで視界は里子のお腹しか映っていない。



「ちょ、店員さん、助けて」


「あ、私が手を出すともっと暴れると思いますので、しばらくそのままジッとしててくださいー」


「えぇ……」


「猫娘! おすすめですよー」



 店員さんは最後にセールス文句を残して去っていき、里子と二人きりで残された。


 

「里子、ちょっと前見ないんだけど」


「ピィィィィッ! ピィィィッ!」


「痛っ、いたたた!」



 里子の怒りはまだ収まらないのか俺の頭をガジガジと噛んでくる。

 ただ、以前手を噛まれた時ほど強くはないので里子も加減を覚えたらしい。

 

 まぁ、甘噛みというわけでもないのだが。



「ごめん、ごめんて! 頭撫でてあげるから、降りて!」


「……」



 今度はなぜかすんなりと降りる里子。

 そして頭をグイッと俺に預けてくる。



「なぁ、本当は言葉分かってる?」


「ホー」


「……ま、いっか。よしよし」



 頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を閉じ、甘い声でキュルキュルと鳴きだす。



「このままってわけにもいかないよなぁ……」


 

 俺は里子の頭を撫でながら猫娘を飼うか否か、日が暮れるまでずっと悩んでいた。

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