第9話焼きもちですか

 最近の私は五歳にして過密スケジュールを送っていた。


 先ず午前中はほぼ毎日の様に貴族としての教養を身に着ける時間と、学習の時間が設けられている。


 こちらは常にジェイデン様と一緒で先生はマリア様という私にとっては贅沢でかけがえのない至福の時間だ。


 隣を見れば真剣な表情のジェイデン様の顔があり、前を見れば美しいマリア様の優しい顔がある。


 分からない事が有っても優しく丁寧にマリア様が教えて下さって本当に幸せだ。


 ジェイデン様は攻略対象の為とてもハイスペックに出来ているのか一度見聞きしたことはすぐに覚えてしまうようだ。


 悪役令嬢の私も同じように出来ていて勉強の時間がとても楽しい。こんなに幸せで良いのだろうかと不安になるぐらいだ。


 この先ゲームのストーリーが始まって、もしジェイデン様とマリア様に嫌われたら……


 私はその日が来るのがとても怖い。


 悪役令嬢に生まれてしまったので覚悟はしていると言っても、これだけ二人と仲良く過ごして幸せな毎日を送っていると、分かっている事とはいえやっぱり恐怖を感じる。


 救いなのは私に前世の記憶が有る事で、ジェイデン様に降り注ぐ悲しい思いを取り除ける事だろう。


 ジェイデン様を幸せにしたい。


 それだけが悪役令嬢になった私の願いだ。



 そして午後はと言うと、剣術の稽古、武術の稽古、刺繡、絵画、そしてダンス、それに乗馬まで今は学び始めている所だ。


 これ迄午後は剣術の稽古、武術の稽古だけだったのだけど、マリア様が来たことで刺繡や絵画も習えるようになったし、ジェイデン様がいる事で背丈が合うという事で恥ずかしながらダンスのレッスンも始まった。


 初めてジェイデン様と手を繋いでダンスをした日の事を私は一生忘れることは無いだろう。


 そして本来ならば乗馬は侯爵令嬢の私には必要が無い。


 けれどヒロインがどの攻略対象のストーリーを選んでも私に待ち受けているのは不幸な結末だ。


 なので剣術、武術に引き続きお父様に無理を言った。


 何故なら身に付けている事が多いほど、今後の選択肢が増えるからだ。



 国外追放になったならば、冒険者になっても良いし、凄く年上の貴族の元へ嫁がされたとしたら、逃げ出してもいい。


 北の果ての修道院へ送られたとしても出来ることが有れば強みとなる。


 ただし、処刑と、ジェイデン様に殺されてしまう場合は別だ。


 それだけは何とか逃れたいとは思うけれど、ヒロイン次第ではどうなるかは分からないだろう。


 なので侯爵令嬢のうちに出来ることは身に付けておこうと思ったのだ。


 まさかジェイデン様が全て一緒に学んでくれるとは思わなかった。


 そう淑女の嗜みの刺繡までも……



「リアは何を刺繡しているの?」

「動物です。ハンカチに可愛い動物を刺繡しています」

「……それは誰かにプレゼントするの?」

「ええ、これはお父様にお渡しする予定ですわ」

「……ふーん……そうなんだ……ふーん……」


 可愛い声にジェイデン様の方へと視線を送れば、何故かリスの様にぷくーっとほっぺたを膨らませていた。


 余りにも可愛すぎるその様子に目を奪われ、思わず自分の指に針を刺してしまった。


「痛いっ」


 針が刺さった箇所から血が出てくるとマリア様がすぐに綺麗な手拭いで私の指を押さえてくれて、傍付きのメイに声を掛けてくれた。


 ちょっと針が刺さったくらい何でもないのだけれど、侯爵令嬢の私に傷がつくことは大問題になる様だ。メイが大げさな処置をして今日の刺繡の練習は終わりになってしまった。


 ジェイデン様の方へと視線を送れば顔色が悪いし、少し震えているようにも見えた。


 きっと自分が声を掛けた事で私が怪我をしたと思っているのだろう。


 ジェイデン様のせいでは全くないのに本当に優しい人だ。


 だからこそゲームの中では深く傷つき自分を見失ってしまったのだろう。


 そうならないように私は彼の傷を癒し続けたいと思う。


「ジェイ、もう痛くないし、傷も大したことは無いから大丈夫ですよ」


 そう声を掛ければジェイデン様の瞳からはポロポロと涙が溢れて来た。


 可愛くって叫びだしたくなったけれど、マリア様がそんなジェイデン様の肩にそっと手を置いた。


 美しい親子二人の支え合う姿は、余りにも美しくって脳が上手く処理できない程の衝撃だった。


 出来れば瞼でシャッターが切れればそのまま写真に残したいぐらいだ。


 いいえ、絶対に動画で残したい!


 そんな事を考えながら二人に見入っていると、マリア様に背を押されたようにジェイデン様が話し始めた。


「あのねぇ、僕ね……、リアの刺繡したハンカチが欲しかったの……、なのにケガさせてごめんなさい……」

「えっ……ジェイは私の刺繡したハンカチを貰って下さるの? 下手でも嫌じゃないの?」

「うん……僕、リアの刺繡したハンカチ欲しい……だってリアの事好きなんだもん……」


 好き?


 好き?


 えっ? 今好きって言いました?!


 私の刺繡したハンカチを欲しいって?


 ねえっ! ジェイデン様がそう言いましたよね?!


 つまりジェイデン様は私が初めて刺繡したハンカチをお父様に上げるって言ったから頬を膨らませて焼きもちを焼いて居たって事?


 そして欲しいとまで言われたけれど……これって夢じゃないよね?


 妄想じゃないよね?


 どうしよう……


 凄く嬉しい!!




「リア様、大丈夫ですか? 顔色が……」


 胸を押さえ倒れ込んだ私に皆が駆け寄りマリア様が声を掛けてくれた。


 今の私は嬉しさで顔も赤く、息も荒く、その上半泣きだ。


 体調が急に悪くなったと思われても仕方がない。


 だって大好きなジェイデン様に嫌われないどころか好かれているんだよ。


 それもこんな短期間で。


 これを喜ばないはずが無いでしょう!




 皆が心配する中、私はジェイデン様に向かって言葉を掛けた。


「ジェイデン様、私はこれからジェイデン様以外にはハンカチを贈りませんわ。世界で一番大好きなのはジェイデン様だけですもの……」


 最後の力を振り絞ってそう言ったあと、私は意識を手放した。


 幸福過ぎると人って気を失うんだと初めて知った日となった。

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