第46話愚かな男

「エヴァリーナ、久しぶりだな……」

「ベルザリオ様……いえ、テレナード大公……お久しぶりでございます……どうしてここへ?」


 大国の王への謁見が終わった後、エヴァリーナ達は最初に通された控えの間にいた。


 すると使用人に馬車の確認をして欲しいとラルフが呼ばれ、次に王が話があるので呼んでいると言われ父親であるウイステリア侯爵が出て行き、クリスもエヴァリーナが以前婚約者として王城へ通って居た時の荷物を確認した貰いたいと言われ出て行った。


 今エヴァリーナとランヴァルドだけがこの部屋に居るのだが、皆部屋を出て行く際にランヴァルドと何やら視線をあわせていた。


 なので何か有るのでは……とエヴァリーナも感じてはいたのだが、まさか元婚約者であるベルザリオが部屋へやって来るとは思いもしなかった。


 今のベルザリオは王子でもなんでもない、名ばかりのテレナード大公であり、一家臣で有る。


 なのに強国である魔国の王がいる部屋に断りもなく入ってきて、その婚約者を呼び捨てで呼ぶ。


 あの婚約破棄事件の事をまるで反省もしていない様子に、エヴァリーナも流石に呆れてしまった。


(この方はどこまで愚かだったのでしょうか……まさかこれ程とは……)


 エヴァリーナの心の声が聞こえたのだろう、ランヴァルドの口元がクスリと動くのが見えた。


 ランヴァルドには人の心の声が聞こえる不思議な力がある、きっとベルザリオの愚かな考えも全てお見通しだったのだろう。


 ラルフやクリス、それにウイステリア侯爵までも、何も呼び出しを疑うことなく出て行った理由がエヴァリーナには分かった。


 ベルザリオがやって来ることが三人には伝わっていたのだ。


 ランヴァルドの手のひらで転がされているベルザリオを思うと、エヴァリーナまでも思わず口元が緩んでしまった。


「エヴァリーナ、私に会えて嬉しいのか?」


 エヴァリーナの笑みが自分に向けられたものだと思ったのか、ベルザリオはニタリと満足そうな笑みを浮かべた。


 この部屋にベルザリオが一人で乗り込んできたことで、これ迄ベルザリオの傍にいた側近達があの事件で離れて行った事が分かってしまった。


 彼らもベルザリオに見切りを付けたのだろう。


 そして今回の事も、きっと周りにいいようにおだてられ持ち上げられての行動だろう。


 ベルザリオ一人でこれ程の行動が出来る訳がない。


 その者達は成功すればベルザリオを傀儡の王に、そして失敗すればそれまでと手を切るつもりなのだろう。


 泳がせてどう動くか……


 大国の王の考えが見えた気がした。


 そしてその監視されているであろうベルザリオは、相変わらず自分の立場や周りが見えていない様だった。


 まあそうでもなければ婚約者と一緒に部屋にいるエヴァリーナの所へなど来るはずもないのだが……


 ランヴァルドはエヴァリーナに近づいて来るベルザリオの前に立った。


 ベルザリオにはランヴァルドが少年の姿に見えているため、魔国の王の前だというのにランヴァルドを見て見下したように鼻で笑った。


(こんな女か男かも分からない様な子供に何ができる……)


 心の声が丸聞こえで有ることなどベルザリオは気付く様子もなかった。


「エヴァリーナ、私の下へ来い。無理にそんな子供と結婚をする我慢などしなくていい、私がエヴァリーナを以前と同じように愛し、守り抜く。安心して私に胸に飛び込んでくるが良い」

「子供? テレナード大公、一体何を仰っておいででしょうか? それに私は望んで魔国の王の下へ嫁ぐのです。貴方の下へ戻ることなどあり得ません」


(幼い少年王の手前、エヴァリーナは私に本心を伝えられないのだろう……子供は傷つけたくない物だからな……)


 ベルザリオはここでも自分の都合のいいようには解釈をした。


 このままエヴァリーナの手を引き二人きりになれば、エヴァリーナもきっと自分に本心を話すはず。


 ベルザリオは少年王に見えるランヴァルドを跳ね除けエヴァリーナへ近づこうと思ったのだが、不思議と足が一歩も動かなかった。


 その上、もう一度エヴァリーナ方へと視線を送れば、そこには悪魔のような冷たい笑みを浮かべた美しい男がいつの間にか立っていた。


 その男はベルザリオを何かで包み込むと、怒りがこもっている声色で話し始めた。


「テレナード大公……魔国の王である私の婚約者に白昼堂々と手を出そうとするとは中々にいい度胸だな」

「なっ?! ま、魔国の王? そんな……」


 あの少年はいつの間にかいなくなっており、目の前でベルザリオを射殺そうとする目で睨んでいる人物が、本物の魔国の王の姿だったとベルザリオはそこで初めて気が付いた。


「私を騙していたのか?!」


 ベルザリオを包み込んでいた何かは球体に変わり、気が付けばベルザリオはそのまま宙に浮いていた。


 何をされるか分からない恐怖からベルザリオの体は震え始めていた。怖い、怖いと心の中で唱えているのが分かったのか、魔国の王は冷めた笑みをベルザリオに向けた。


 自分は何か得体の知れない物を怒らせてしまった、ベルザリオがそう気づいた時には遅かった。


「騙していた? ハハハッ、そなたは元この国の王子だろう? なのに魔国の王の姿がただの少年だと思っていたのか? どれ程愚かに育てられたのだ……」

「そ、そんな事……私は習ってなどいなかった……私は悪くない、きちんと教えなかったものが罰せられるべきなのだ……」


 震えながらもまだ強気の言葉を発するベルザリオを見て、ランヴァルドは反省の色もなく、自分が何も間違っていないと思っているベルザリオに腹が立った。


 こいつがいたせいで、エヴァリーナの妃教育が辛い物になり


 こいつのせいで、エヴァリーナは心に傷を負った。


 何百回殺したとしても足りないぐらいの怒りを、ランヴァルドは今ベルザリオに覚えていた。


 もし魔力をこのままベルザリオにぶつけてしまっても、ランヴァルドを責める事は大国は出来ないだろう。


 初めにランヴァルドに対して不敬を働いたのはベルザリオだ、咎めようもない。


 けれどふと背中に温かな物が当たり、それがエヴァリーナであることが分かった。


 エヴァリーナはランヴァルドの怒りを感じ、落ち着かせるためか背中から抱きしめて来ていた。


(こんな愚か者の為にマオ様が手を汚す必要などございませんっ!)


 と、エヴァリーナの自分を心配する強い心の声まで聞こえた。


 そう、ベルザリオが愚か者だったからこそ、これだけの令嬢に対して婚約破棄を望み、エヴァリーナは自分の下へ来た。


 もう二度と手を出さないと約束できるのならば、このまま大国は引き渡すだけで良いだろう……とエヴァリーナのお陰でランヴァルドは少し落ち着きを取り戻していた。


「エヴァ、本当にこいつを許してもいいのか? また何かを仕掛けてくるかもしれぬぞ?」

「いいえ、マオ様、この方はもう二度と私の前に現れることは無いと思います……」

「何故そう思う?」

 

 ランヴァルドの問いかけにエヴァリーナはクスリと笑い、ベルザリオを包み込んである球体の方へと視線を送った。


 ランヴァルドがそちらへと視線を送れば、ベルザリオは気を失い失禁までしていた。


 ランヴァルドの怒りを間近で感じ、怖さで気を失ってしまった様だ。


 これでまたエヴァリーナを求め魔国へと手を出してくる様だったならば、愚か者よりもっと酷い者という事になる。


 流石にそこまではベルザリオも行動は起こせないだろう。


 魔国に攻め入る……それは自死に近い行為だ。


 それにそんな事はこの国の王やエヴァリーナの父であるウイステリア侯爵もさせるはずが無い、今日のこの行動もベルザリオが反省をしているか見たかっただけであるとエヴァリーナは感じていた。


 そしてベルザリオは父親である大国の王の期待を裏切ったのだ。


 もう自由に過ごすことも叶わなくなるだろう。


「ベルザリオ様は……周りに愚かにさせられてしまった方なのです……ですがそれも今後は叶わなくなるでしょう……」



 ランヴァルドがサッと右手を振ると、この部屋の扉が開き、大国の王とウイステリア侯爵、そしてラルフとクリスも近衛兵を連れて部屋へと入って来た。


 大国の王は息子の所業を部屋の外で聞いていたからだろう、顔色が悪く酷く汗をかいていた。


 魔国の王の怒りを買ってしまった。


 それはこの大国にとって脅威でしかなかった。


「大国の王よ……この者のしでかしたこと……こちらからは罪は問わぬが、二度とエヴァリーナに近付かないようにだけはして貰いたい」

「は、はい。申し訳ございませんでした……」

「ウイステリア侯爵」

「はい」

「この愚か者の処遇がどうなるか見届けて欲しい……出来ればエヴァリーナが傷つかないような処遇で頼む……」

「畏まりました」


 ベルザリオは球体に入れられたまま近衛兵に連れて行かれた。


 時間がたてば球体は消えるとラルフが説明をしてくれていた。


 ウイステリア侯爵は王とその側近たちと話があるという事で、このまま城に残ることが決まり、エヴァリーナ達は先にウイステリア侯爵邸に戻ることとなった。


 エヴァリーナは連れて行かれるベルザリオを見ながら、側近や自分の都合がいい事を言うものばかりを信用したベルザリオの事を悲しく思った。


 それと同時に、婚約破棄を思いついてくれたことには心から感謝していた。


 あの事件が無ければエヴァリーナは魔国には行けなかった。


 ランヴァルドの傍に居る事、それがエヴァリーナの幸せだ。


 ベルザリオがエヴァリーナを離してくれなければ、今頃この城に閉じ込められていた事だろう。


(どうかレーナ様とお幸せに……)


 エヴァリーナはこの願いがベルザリオに届くことを、心の中で祈ったのだった。

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