第37話マオ様と呼んで

「それでヒメナ様……何故私がランヴァルド様の事をマオ様とお呼びすることをあれ程怒っていらっしゃったのですか?」


 エヴァリーナの質問を聞くと、ヒメナは「うっ……」と珍しく言葉に詰まった。


 ランヴァルドではなく自分が魔国のしきたりを教えるとあれだけ息巻いていたのにだ。


 それにエヴァリーナの家庭教師のランジアも、エヴァリーナがランヴァルドの事をマオ様と呼ぶことを知っていた。


 けれどその事に対してこれ迄何も言うことは無かった。


 それにマーガレットとデイジーもだ。


 彼女たちだって城に勤めていた以上、魔国のしきたりや常識には当然詳しいはずだ。


 そう言えば……とエヴァリーナは三人の様子を思いだしてみた。


 ランヴァルドとエヴァリーナのやり取りを見つめながら、皆貴族女性が良く見せる張り付けた様な笑顔を浮かべて居た気がした。


 もしかして言いたくても、エヴァリーナには聞かせられないほどの不敬だったのかもしれない、そう思うとエヴァリーナは流石に冷や汗が出そうになっていた。


 ヒメナは「ゴホンッ」と一つ咳ばらいをすると、エヴァリーナの事は見ず、ビルテゥスが進む前だけを見つめ話し出した。


 ヒメナの答えは大国の常識とは余りにも違うものだった。


「あー……エヴァリーナの国ではセカンドネームとでもいうのだろうか? その……二番目の名をじゃが……」

「ええ、そうでございます。私達の国でも地方によっては二番目の名を持つものがおります……」


 ヒメナはいつになく歯切れが悪い話方で、そうじゃろう、そうじゃろうとエヴァリーナと目も合わさず返事をしていた。


 これ迄のヒメナはなんでもハッキリと物申す少女……ではなく女性だった為、エヴァリーナは尚更恐怖を感じた。


 自分がしでかしたことはどれだけの不敬だったのか、と……


 大国出身の婚約者だから皆大目に見てくれていたのではないか……そう思い始めていた。


「そ、それがじゃな、この魔国では二番目の名の意味合いがちと違ってくるのじゃ……それはだな、秘密名と言ってな……そのー……夫婦だけが呼び合う事を許されておる名なのじゃ……」

「夫婦……」


 つまりエヴァリーナはまだ婚約もしていない状態で、魔国の王と夫婦であるとアピールしていたことになる。


 それは下手をしたら不敬という言葉だけでは許されないものだった。


 エヴァリーナはランヴァルドの優しさに甘えていた自分を恥じていた。


「それは申し訳ございません!」

「な、何故エヴァリーナが謝るのじゃ」


 ヒメナの驚きようは別にエヴァリーナが不敬を働いたと思って居るものでは無い様だった。


 では何故?


 皆の前で秘密の名を呼んでしまったから、ヒメナはここ迄怒っていたのではないのだろうか?


 そんな事を考えて居ると、ヒメナはまた咳ばらいをして話し始めた。


「わらわも秘密名があるのじゃ……だがそれはじゃの……あー……その……夫婦が甘えたいときだけに呼ばれるものなのじゃ……」

「甘えたいとき?」


 つまりランヴァルドはずっとエヴァリーナに甘えたかったという事だろうか……


 そう思うと、尚更ランヴァルドの事が可愛く思え、ビルテゥスの後ろをついてくる馬車へとエヴァリーナは視線を落した。


 自分が少しでもランヴァルドの心の支えになれているのならば……


 それが嬉しく感じた。


「ええーい! もう駄目じゃ、エヴァリーナ、わらわはハッキリ言うぞ」

「は、はい……」

「つまりじゃ、秘密名は、夫婦の営みの時に使うのじゃ! 普段は呼ぶことはせん! ランヴァルドの奴は粘着質じゃからエヴァリーナを自分の物だとアピールしたかったのじゃろう。だから皆の前でマオ様などと呼ばせていたのじゃ! ええい、気色悪い奴じゃっ! きっとあのアホたれはエヴァリーナに甘えて欲しかったのじゃっ! いい年をした男のくせに、全くアヤツは本当にたちが悪い!」


 その後もヒメナはブツブツと文句を言って居たが、エヴァリーナは自身から発せられる熱でそれどころでは無かった。


 つまりエヴァリーナは婚約もしていない状態で、常にランヴァルドを伽に誘っていたという事であろうか……


 エヴァリーナは羞恥心だけでなく、何故今まで誰も教えてくれなかったのかと怒りまで湧いてきた。


 けれどこの魔国では女性がそれをエヴァリーナに説明するのは勇気がいるかもしれない。


 未婚ならば尚更だろう。


 子供がいるヒメナでさえこの状態なのだ。


 魔国の女性にとって秘密名はとても重要な物なのだろう。


 それに城の者達は大国の常識を少しは知っていた。


 クリスがマオ様呼びを微笑ましく思ってくれていたことで、皆大国では大したことではないと思ってくれていたのかもしれない。


 それでも理由を知ってしまった今、エヴァリーナはどこかへ消えてしまいたい気持ちになっていた。


「エヴァリーナ、大丈夫か?」

「……」


 エヴァリーナは顔を両手で覆い、フルフルと首を横に振った。


 全く大丈夫では無かったからだ。


 ぽつりと「死にたい……」とエヴァリーナが呟けば。ヒメナは慌ててエヴァリーナの事を抱きしめて来た。


「エヴァリーナは悪くない、悪くないのじゃ!」


 と、ヒメナは城に到着するまでずっと励まし続けてくれた。


 そして城について直ぐに自室へと引きこもってしまったエヴァリーナの代わりに、ランヴァルド、ラルフ、ステファンを正座させ、懇々と注意をしてくれたらしい。


 それは深夜まで続いたそうだ。


 その事をエヴァリーナが知ったのは次の日の昼時だった。


 ヒメナという頼もしい姉が出来、エヴァリーナはまた一つ魔国が好きになっていた。

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