ヒヅキの日常

午前七時半、ヒヅキはまだ寝ている。

学校があるので八時には家を出なければならない。

ガチャリと扉を開けて、ヒヅキの部屋に制服姿の幼馴染、浅霧あさぎり りんが入ってきた。

稟はヒヅキの布団をばさりとはぎ取ると「ひーちゃん、起きろ!」ととても大きな声で言った。

ヒヅキは眠そうに目をこすりながら「……うるせぇ」と言いつつも、しぶしぶといった様子でゆっくりと起き上がった。

稟はヒヅキがちゃんと起きたことを確認すると「先に行ってるからな」と言って一階のリビングに向かった。

ヒヅキは、部屋の扉に掛けてある制服に着替えてから、幼馴染の待つリビングへと向かった。


リビングにある机の上には美味しそうな朝食が一人分置いてあった。これらはヒヅキの兄、れいが作ったものである。

「いただきます」と言って、ヒヅキは朝食を食べ始めていた

少しすると、キッチンでお茶を入れていた稟が二人分のコップを持ってヒヅキの正面に座り、彼女にお茶を渡した。

「ありがと。……いつも思うけどさ、なんでぬるいお茶なの」

「だって、ひーちゃんは朝に冷たいものを飲むとおなか壊すじゃん。そろそろ熱いお茶じゃ嫌かなって思ってぬるくしてるんだよ」

「ふーん。そういえば、今日って月曜日だけど、お兄ちゃんバイトだっけ?」

普段、怜は水、金、土曜日の朝にバイトをしている。

「覚えてないの?怜は頼まれて今日のシフトに入ってるんだよ。昨日ひーちゃんにも伝えたって言ってたよ」

「……あー、確かに聞いた気がする」

ヒヅキは昨日の夜に怜に言われたことを何とか思い出したようだ。

「いつも人の話聞いてないよな……。せめて怜の話は聞こうよ」

「どうせ稟が聞いてるからいいだろ。あと、僕はちゃんと人の話は聞いてる」

「いや、聞いてたとしてもだいたい忘れてるよな。とくに、怜の予定」

「ああ、それは、お兄ちゃんの予定は全部、稟がしっかりと把握してるから覚えてなくても大丈夫」

「まあ、確かにそうだけど。朝、怜も俺がいなかったらどうすんの」

ヒヅキは確信をもってきっぱりと「いや、絶対に稟は家にいる」と言い切った

「お兄ちゃんが出かけなきゃいけないときは、確実に稟が家に来るでしょ?ていうか、今までも、お兄ちゃんが学校の行事とかで帰り遅くなるときって、必ず稟が来るか、稟の家に行ってたでしょ」

「確かに」

「だから、稟がいるからお兄ちゃんの予定とかは僕が覚えておかなくても、大丈夫」

ヒヅキはもう話は終わったといわんばかりに、残りのご飯を黙々と食べ始めた。

昔から怜は、自分がいないときは稟にヒヅキの面倒を見るように頼んでいる。そして、稟はその怜の頼みを進んで引き受けている。怜の頼みだからというのもあるが、稟は幼稚園の頃から自由奔放なヒヅキのことが放っておけないからだ。


時計がもうすぐ八時を示しそうなのを確認して、二人は鞄を持って家を出た。

二人は徒歩で高校に通っている。

稟は「忘れ物してない?」とヒヅキに尋ねた。

ヒヅキは鞄の中をさっと確認して「たぶん、大丈夫」と答えた。

これは毎朝恒例のやり取りである。意味があるかどうかは不明だが毎朝欠かさずに行っている。

「ねえ、なんでお兄ちゃんと稟は朝早く起きれるの?僕には無理」

「俺に聞かれても困るよ、だって、俺も朝は苦手だもん。怜は朝に強いよな、昔から。俺もなんでか知りたいくらいだよ」

「朝苦手の癖になんで朝早く起きられてるんだよ」

「えー、聞きたい?」

稟の声がいつもよりも少し甘さを含んでいるのに気付いたヒヅキは、嫌な予感がしたので「聞きたくない」と即座に断った。

しかし、稟はヒヅキの言葉は聞こえていないふりをして笑顔で口を開いた。

「それはね、愛の力、だよ」

「うわ」

「あ、もちろん怜への愛だけどね」

「知ってるわ」

「朝早く起きれば怜に会えるから最近は早起きなんてくじゃないよ」

「はいはい」

「ひーちゃん冷たい」

「そりゃ、君らバカップルの話なんて聞き飽きてるからな。稟、聞いて、僕はね、君と、お兄ちゃん、二人から同じような話聞かされてるんだよ」

ヒヅキはうんざりした様子で言った。

いつもヒヅキは稟と怜のノロケ話をすべて聞き流している。怜が嬉しそうに話しているのを見るのはいいのだが、自分の兄の恋愛模様、しかも自分の幼馴染とのノロケ話、なんてものは全く聞きたくないのである。

稟はまたしてもヒヅキの言葉は聞こえていないふりをして話を変えた。

「それにしても、ヒヅキは朝苦手って言ってるわりには、起こして布団はがしたらすぐに動き出すよな」

「そんなの稟の声がうるさいからに決まってんじゃん。稟、僕のことを起こすときの自分の声の大きさわかってる?」

「そんなに?」

「うん、そんなに。早く動き出さないとまたバカでかい声出すじゃん。布団はがされてるから逃げ場無いし。そうだ、冬に布団はがれるとまじで寒い」

「だって、特に冬は布団はがないと絶対に起きてこないでしょ」

「まあ確かに。でも、声量は何とかならないか?」

「無理」

「即答かよ」


他愛のない話をすること約15分、学校が見えてきた。

「うわ、時間かぶった」

「おー、今日もやってるね」

嫌そうに顔をしかめたヒヅキと面白がっている稟の視線の先には女子生徒たちの集合体がいた。その塊の中心には一人の男子がいた。

「毎日毎日よくやるよな、王子は」

「確かにね。俺だったら耐えられないよ」

囲まれている男子、ヒナギに憐みの目を向けた。

「確かにな。そういえば、稟はよく告白されるけど、面倒だからどうにかしようとしてたよな。あれ、どうなったんだ?」

ヒナギほどではないが稟もとてもモテる。どことなく女と遊びなれているような雰囲気を纏っているイケメン、チャラそうだけど意外と優しい、などと学校では言われている。

「それはね、今日やろうと思ってるんだけど……」

そう言って稟は周囲を見回して誰かを探し始めた。

「あれ?まだ来てないかな。今日は早く来いって言っ……」

「おまたせっ」

稟の背後から一人の男子高校生が話しかけてきた。

恭平きょうへいじゃん、今日は早いないつもは遅刻ギリギリにくるのに」

「だって、稟が今日は早く来いって言ってきたんだもん。よくわからないけど、頼まれたから来た!」

「やっと来たか。ちょっと俺、行ってくるからひーちゃんと一緒にいて」

「わかった!」

返事はしたものの恭平はなんでだろう、と思って稟に聞こうとしたが、すでに目の前に稟はいなかった。探してみると、何故か稟は王子に群がっている女子たちに近づいていって話しかけた。ヒヅキも不思議そうに見ている。

稟は女子たちと少し話すとヒヅキたちのところに戻ってきた。

女子たちはざわついているように見える。

ヒヅキは「なにしてたの?」と稟に聞いた。

「ほら、さっき言ってた、告白されないようにするためのやつ」

「あの人たちに何言ったの?」

「俺には恋人いるからもう告白してこないでね、ってみんなに伝えといてって言っといた」

ヒヅキの周りにはは学年問わず多くの女子がいるので、噂を広めるには彼らに伝えることが最も効果的だあると稟は考えたのだ。

「うわー、結構な数の女子にダメージ与えそうなことしたな」

「恭平、何か文句ある?」

「いや、全然。……しいて言うなら、モテ男ずるい」

「恭平は諦めろ」

「なんで!あのね、俺は顔は悪くないし、裏表もなくて性格もいいし、この上なくいい男だと思うんだよ。なのに、なんでモテないかな」

「そんなことはどうでもいい。それより、稟の恋人が僕なんじゃないかって思うやつが出てきそうなんだけど。すでに少しいるし」

憂鬱そうにヒヅキは言った。

ヒヅキは、ヒヅキと稟が付き合っていると勘違いしている女子に嫉妬と憎悪の目を向けられることがある。女子が苦手なヒヅキにとってはこの上なくストレスだ。

「さっき、あいつらに聞かれたから恋人はひーちゃんじゃないとは言っておいたよ。それでも、信じない面倒な奴らがいるとは思うけど、たぶん大丈夫だとは思う。けど、体育の時とか一人になっちゃうときは気を付けといてね」

「わかった」

「あっ、稟、ひーちゃん、そろそろ行かないと遅刻しちゃうかもしれないよ。はやく行こう!」

三人は教室へと向かった。

















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