音のない夜、銀の紅葉と氷の炎
「あぁ、良い香り」
ふわりと広がるお香の煙。
ゆるやかに伸びあがる一筋の煙。
その中に、ユウコはいつも天女の幻を見る。
天女が身に着けていた羽衣のようになびく煙と、空気の中で無邪気に遊ぶ芳香に、目を細めて喜んだ。
頑固な自分は、どうにも「新しいもの」を受け入れられない偏屈な感覚を持っている。
ドライハーブはいいけど、アロマオイルはだめ。
精製された薬の匂いに、しばらく我慢できても、最後には必ずざりざりと頭の中をひっかかれてしまう。
だから、アロマキャンドルは遠めに見て、絶対触らない。口の中に入れたら広がっていきそうな、甘いアロマもダメなのだ。
でも、蝋燭は好き。
子供の頃に大はしゃぎして「キャンドルナイト」を敢行して親をあきれさせたこともある。
しかし、その頃はまだ「炎」そのものに魅力を感じていたから、その輝きがもたらす周囲の風景には無頓着。
この年になって、やっとそれを感じ始めている。
トルコ風のランタンのようなキャンドルホルダーと、氷を模したガラスの中で輝き、不思議な炎のように見えるホルダーを買った。
今日は異国の雰囲気ではなく、もっと自然の雰囲気を楽しみたいので、それをテーブルの上に置き、すべての電気を消してしまう。
そのまま窓を開けば、夜風の中に金色が混ざるような錯覚が起こるほど濃厚な金木犀の香りが部屋の中に遊びに来た。
でも、少しだけ薄い。金木犀の精が去ったとき、きっともっと深く優しい闇が部屋の中に「やぁやぁ」とあいさつと共に顔を出すだろう。
金木犀が去ってしまうちょっと前に、ユウコはお香をくゆらせる。
それは、伽羅香。
もちろんスティックタイプだが、これがもちろん高い。
かつて幾人の偉人たちを魅了したという、甘く切なく、それでいて凛とした香り。
香道を志していたら、「辛い」「苦い」などの表現の仕様があるだろうけど、一般人の自分に、さすがにそこまでは求められまい。
ユウコはスティックお香を差す、銀の錫で出来た紅葉をきれいに磨く。
宝石のようなキラキラとした反射ではなく、もっとぐっと落ち着いた金属の優しい輝きが手元で光る。
器は深青の深鉢で、その中央に銀の紅葉を置くと、そこに幻の水面が現れた。
波紋なく、風もなく、ただ、遥か山奥に誰にも知られずにある泉のようだ。深度が伺い知れない泉に浮く、銀の紅葉が、香りを放つ。
その中で、蝋燭に火を灯す。
氷の中に秘められた炎。そこから溢れ揺らぐ無数の輝き。火の影。
ぼーっと見つめて、ユウコは音のない夜を過ごした。
夕凪ユウコの休息日 千羽はる @capella92
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