No.212:羽田空港にて
「まったく……毎日忙しいわね」
「本当だな。でも……前の会社のことを思うと、オレは毎日楽しくてしょうがないわ」
「ふふっ、そうね。誠治、顔つきが変わったもん」
「そうか? 綾音は……どうだ? 前の会社を辞めて……これでよかったのか?」
「よかったに決まってんじゃん。ウチも毎日楽しいわよ」
これは嘘じゃない。
ウチは心からそう思っている。
羽田空港の搭乗ゲート。
ウチと誠治は隣に並んで座って、福岡行きフライトの搭乗開始を待っている。
これから新しくオープンした博多店のヘルプと調理指導に向かう。
順調にオープンしたと思われていた博多店が、アルバイトの人繰りがつかなかったり調理手順に問題が出たとのことで、昨日本部にヘルプの連絡があった。
そして今朝、急遽ウチと誠治が二人で博多へ向かうことになった。
昨日は横浜店で、技術指導をしたばかりだ。
二年前の秋、誠治はウチのマンションで血を吐いて倒れた。
そのまま入院して……結局は前の会社を辞めてしまった。
10キロ以上体重が落ちてしまった誠治の表情には、悲壮感が漂っていた。
ウチは今でも、その誠治の姿をハッキリと覚えている。
でも誠治は、そこから這い上がってきた。
誠治はこんなところで落ちていく人間じゃない。
ウチが思っていた通りだった。
誠治には、人を楽しませる才能がある。
だから誠治のアイディアは、人に受け入れられる。
ウチには確信があった。
そして周りの皆が、惜しげもなく誠治に力を貸してくれた。
ウチも、ウチのお父さんも、そして仲間の皆も。
誠治には人を引きつける、不思議な力がある。
多分それが、一番大きな才能じゃないかなと思う。
三鷹の1号店は、予想を大幅に超える大盛況だ。
今でも休日には、行列が絶えない。
新しく採用した店長夫婦も、しっかり働いてくれている。
そして飲み物関係は、全て誠治の実家の酒屋から購入している。
誠治のお父さんは、「まったく……早めに引退したかったが、当面できそうにねえな」と笑いながらボヤいてたけど。
新たに開店した全国の6店舗も客足は上々だ。
多少のトラブルはあるが、それもすぐに収まるだろう。
そしてこれからはフランチャイズ展開だ。
お父さんの話では、既に全国から50以上の問い合わせが来ているらしい。
まだフランチャイズの詳細を発表していないのにも拘わらずだ。
どうやらお父さんは、栃木県にある製麺工場を買収する方向で話を進めているらしい。
アジアン・ヌードルハウスが、これから全国に広がっていく。
ウチも誠治も、興奮気味の毎日だ。
「綾音……えっと、だな……」
「?」
誠治が急に口ごもる。
「えっと……今度また雑誌のインタビューがあるんだよ」
「そうなの? 最近、ちょくちょくあるわね」
誠治はまだ26歳で、全国展開中の外食チェーンの若き社長。
しかも……このルックスから、話題性も高いみたいだ。
最近は業界紙とかで、インタビュー記事が取り上げられたりしている。
「ああ。それでな、事前の質問票が送られてきたんだ」
「うん……それで? なにか変な質問とか、あったの?」
「変じゃねえ。ただな……『あの美人副社長とは、どういうご関係ですか?』っていう質問があって」
「あーー」
まあそういう質問も、あるかもね。
さて、どう答えればいいのかな……。
「それでな。その……恋人っていうのも、ちょっと収まりが悪いんじゃないかと思ってな」
「そ、そうかな? ウチは別にいいけど……じゃあ他になんて言うの?」
「そのだな……例えば、だぞ。その……婚約者とかに、してもいいか?」
「えっ⁉」
ウチは驚いて、隣の誠治の顔を見上げた。
「……ダメか?」
誠治は正面を向きながら、顔を少し赤らめている。
真剣で、緊張した様子が伝わってきた。
もう……ダメなわけ、ないじゃない。
「い、いいわよ」
「え⁉ い、いいのか?」
誠治は驚いた様子で、ウチの顔を見た。
「仕方ないから……婚約者になってあげる」
誠治がフフッと笑う声が聞こえた。
「ああ……仕方ないから、婚約者になってくれ」
誠治はウチの手を握ってきた。
ウチは誠治の肩に、自分の頭を預けた。
ウチの居場所は、誠治のとなり。
これからもずっと。
いつだって。
誠治と二人で歩いていく人生は……きっと波乱万丈で楽しいはず。
ウチはそう確信していた。
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