No.201:人事部職務開発課
週明けの月曜日。
気づけばもう、11月の最終週。
来週からは12月に入るわけだから、どうりで外は寒いはずだ。
オレは八重洲にある本社の人事部職務開発課へ向かった。
もう辞める覚悟ができていたオレは、朝電車に乗っても発作は起きなかった。
久しぶりの人混みなので、少し人酔いをしたが大したことじゃない。
職務開発室の個室に入ると、提携している人材会社の担当者と名刺交換をした。
そしてとりあえず、今週は適正診断テストと面接を受けてほしいと言われた。
オレは承諾した。
そしてその週は適正診断テストを受けたり、退職後に新しい会社で働いた人や第二の人生を歩んでいる人たちのビデオを見せられたり、あるいはカウンセラーと名乗る人たちと面談を受けたりして時間が過ぎていった。
オレは時間の無駄のような気がしていた。
そしてその週の金曜日、初日に会った担当者と再び面談した。
その担当者は、こう切り出した。
「大変申し上げにくいのですが、今こちらの会社には新藤さんにやっていただける仕事がないようなんです。体調のこともありますし……しばらく休息されてから、この会社以外に活躍の場をお求めになったほうが、新藤さんのためにもなると思いますよ。再就職に関しましても、当社の方から最長で半年間はサポートさせて頂きますから」
そら来た……。
その担当者は全く申し上げにくくなさそうに、すらすらとした口調でオレにそう言った。
この人はどういう神経をして、この言葉を口から発しているんだろう。
言われている方の立場に立って考えたら、まともな人間なら言えるわけがない。
まだ独身で家族のいないオレだからいい。
でも家族がいて、住宅ローンや教育費がかかる年代の人だったらどうだ?
オレだったら、とてもじゃないがこんなことは言えない。
逆に言えば……この人だって、言いたくないのかもしれないな。
仕事と割り切って、やりたくない仕事をしているのかもしれない。
ひょっとしたら、この人だって家族がいるかもしれない。
愛する家族のため仕方なくオレに、こんな心にもない言葉をかけているのかもしれない。
どうやらオレは、ようやく理解できたようだった。
結局は、やりたいと思うことを仕事にしないとダメなんだ。
少なくともやりたくないことを続けていたら、どこかで破綻する。
そんな簡単で基本的なことに、今更のように気がついた。
オレはその場で、退職の意向を伝えた。
本当はもう少し粘って、少しでも良い条件を引き出したほうが良かったのかもしれない。
でもオレは一秒でも早く、オレの本当にやりたいと思うことを見つけたかった。
ここにいるだけで、この会社にいるだけで時間の無駄だ。
オレの正面の担当者の、心からほっとした表情がとても印象的だった。
翌週オレは退職願を提出し、受理された。
横浜の営業所にも出向いて、所長と課長、それとお世話になった先輩にも挨拶を済ませた。
所長と課長は「いろいろと最後守ってやれなくて、すまなかったな」と、オレに声をかけてくれた。
ひょっとしたらこの人達だって、ある意味被害者なのかもしれない。
「とりあえず全部終わったんだね。お疲れ様、誠治」
「ああ。なんだか拍子抜けしたわ」
ここは新宿地下街の
カウンターだけの狭い席で、オレと綾音は隣り合わせに座っている。
オレは横浜の営業所へ挨拶に行った帰りに、新宿で綾音と待ち合わせをした。
オレは『蒸し鶏とみょうがのお粥梅味仕立て』、綾音は『鮭とオクラの柚子胡椒風味粥』と杏仁豆腐のセットを注文した。
「しばらくは静養して、体調を戻さないとね」
「そうだな。でもこれでとうとう無職になっちまった。自分がこんな風になるとは、ちっとも思ってなかったわ」
「いいじゃない、そういう時期があっても」
「まあそうなんだけどな。でもなぁ……綾音も瑛太も頑張ってるだろ? なんでオレだけ……」
「誠治」
綾音はデザートの杏仁豆腐を食べていた手を止めて、オレの方へ向き直った。
「大丈夫よ、誠治。誠治はこのままで終わるような男じゃないでしょ? またやりたいことを見つけて、頑張ればいいじゃない。とにかく今は病気を治すこと。こういう時は多くのことを一度に考えちゃダメよ。ひとつひとつ、優先順位をつけながら考えていかないとね」
「……ああ、そうだ。そうだよな」
オレはお粥をすくって、口に入れた。
「ありがとな、綾音」
「どういたしまして。ちゃんとよく噛んで、ゆっくり食べないとダメよ」
「お粥だけどな」
「お粥でもよ」
こうしてオレは、最初の職を失うことになった。
大学を卒業してから、わずか1年9ヶ月のことだった。
ツイてない。
なんでオレだけ?
そんなことばっかり思っていた。
だからオレはこの時、全く気づいていなかった。
オレは……本当はもの凄く幸運な男だったということに、気がづいていなかった。
オレの隣には、綾音がいた。
世界で一番オレのことを信じてくれて。
世界で一番オレのことを愛してくれている、最高の彼女がいた。
家に帰れば、息子に無償の愛情を際限なく注いでくれる両親がいた。
そしてどんなときだって見返りを一切求めず、オレに手を貸してくれる素晴らしい仲間たちがいた。
ここがオレの。
いや、オレと綾音の。
怒涛の逆転人生のスタート地点になることに気づくのは、もう少し後のことだった。
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