No.198:代わりになる人間


 オレはそのまま家に戻った。

 親父とお袋は、ちょうど朝食の最中だった。


 オレは昨日と今朝、自分の身に起こったことを正直に話した。

 昨日は会社に行けず、偶然中野で降りたのでそのまま中野中央記念病院へ行ったこと。

 今朝も三鷹駅の改札すら通り抜けられなかったこと。

 そしてそれは、パニック発作の可能性があること。


「誠治、無理はするな。しばらく会社を休んだらどうだ?」

「そうよ。しばらく静養しなさい」

 

 親父もお袋も、心配そうに言ってくれた。

 オレはとりあえず病院へ行って、診断を受けようと思った。


 午後から再び中野中央記念病院を訪れた。

 本当に不思議なことに、普通に電車に乗れる。

 やはり発作の原因は、はっきりしていた。


 オレは昨日の先生ではなく、内科の先生の診療を受けた。

 そして昨日と今朝の出来事を、先生に話した。

 そして休職の是非について相談した。


「医師としては休職されることをお勧めします。胃潰瘍と十二指腸潰瘍も、まだまだ回復に時間が必要です。そのうえパニック発作の兆候もあるとなると、健康上とても深刻です。私の方から診断書を書きますから、1ヶ月ほど休職されてはいかがですか?」


 先生にそう言われたところで、オレも休職を決心する。

 心療内科の先生とは情報共有してくれるとのことで、診断書は「胃潰瘍・十二指腸潰瘍」で出してくれることになった。


 自宅に戻って、オレは課長に連絡した。

 そして1ヶ月の休職を申し出た。

 課長は少しため息をついて「大変だったな。そうか、わかった。ゆっくり休め。お大事にな」と労ってくれた。


 会社のネットワークから休職願をダウンロードして記入する。

 診断書と一緒に写真を撮って課長宛メールで送り、原本は郵送することにした。


 夜になって、心配してくれた綾音が会社帰りに家に来てくれた。

 オレは昨日今日と起こったことを、綾音に正直に話した。

 そして1ヶ月休職することも。


「なんで昨日正直に話してくれなかったのよ?」

 オレが会社を早退したと嘘をついたことに、綾音はちょっと怒っていた。


「いや、心配かけたくなかったんだ」


「もう……でも休職できてよかったじゃない。ゆっくりして、ちゃんと身体を治さないとだよ」


「そうだな……綾音、なんだかゴメンな。オレ、こんなポンコツになっちまって……」


「何言ってるのよ」


 綾音はオレの手を握る。


「誠治はポンコツなんかじゃない。ただちょっと運が悪かっただけよ。だから今は身体を治すことだけに集中して」


「そうなんだけどな。でもなぁ……休職なんかしたら、会社戻った時にオレの居場所がなくなっちまうんじゃないかって……」


「大丈夫よ、誠治」


 綾音がオレの目を真っ直ぐに見た。


「その時はウチが誠治の居場所を作るから。誠治がどんなになったって、ウチが支える」


「綾音……」


「それに別にそんな会社、辞めたっていいじゃない。そんな人を人と思わないような会社、働いてたってきっといいことなんかないわよ」


「いや、そんな簡単に言われてもな」


「誠治、こんなこと言ったら誠治は怒るかもしれないけど……今の会社でもし誠治が辞めても、きっと誠治の代わりになる人間なんていくらでもいると思う。でもね……」


 綾音の目に膜が張る。


「ウチには誠治の代わりになる人なんて、いないんだよ。世界中のどこを探しても、誠治の代わりになる人なんて……どこにもいないのっ」


「綾音……」


「だからお願い。身体だけは大事にして」


 綾音の目から、涙がこぼれ落ちる。

 一筋、二筋……

 オレは綾音を抱きしめた。


「ああ。わかったよ、綾音。すまない」


「本当にわかってる?」


「ああ。わかった。わかったから」


 オレは綾音の背中を優しくさすった。

 綾音、泣かないでくれ。

 オレは綾音の涙に弱いんだよ……。

 

 綾音の温もりを、オレは全身で感じていた。

 心の中で凍りついていた何かを、綾音がゆっくりと溶かしてくれているのをオレは感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る