No.196:……何だって⁉


 山手線、中央線と乗り継いで、西荻窪のアパートへ到着。

 さすがに疲れた。

 冷蔵庫を開けてジュースを取り出そうとしたときに、スマホが振動した。

 画面には『綾音』と表示されていた。


「もしもし? 綾音、久しぶりだな」


「瑛太、ごめんね。今大丈夫?」


「ああ。たった今、出張から帰ってきたとこだ」


「実はね……誠治が……」


「……何だって⁉」


 俺は財布とスマホをバッグに入れ、そのまま部屋を飛び出した。



『誠治が……ウチの部屋で血を吐いて倒れちゃって……』



 綾音の泣きそうな弱々しい声が、俺の脳裏から離れなかった。 


       ◆◆◆  


 明日菜ちゃんには「ごめん、急用ができた」とだけ連絡して、俺は再び中央線の上り電車に飛び乗った。


 中野中央記念病院は綾音のマンションのすぐ近くだった。

 教えてもらった病室へ行くと、ベッドで点滴を受けながら誠治が横たわっていた。

 ベッドの横には、綾音と誠治のお母さんがいた。


「お久しぶりね、瑛太君」


「こんにちは、おばさん。ご無沙汰しています」


 誠治のお母さんは「ちょっと飲み物でも買ってきますね」と言って、病室を出ていった。


「誠治」


「おお、瑛太」


「大丈夫か?」


「ああ、なんとか生きてるよ」


 そう力なく笑う誠治の顔を俺は覗き込む。

 前回会ったときよりもさらに頬はこけ、目の周りは落ち込んでいた。

 無人島漂流者の特殊メイクのような風貌だ。

 顔色だって土色をしている。

 これがあの誠治なのか?

 俺はそう疑ったぐらいだ。


 綾音の話によると、こうだ。

 昨日金曜日の24時過ぎ、会社帰りの誠治は綾音のマンションへやってきた。

 日に日に衰弱していく誠治を見て、綾音はずっと心配していた。

 誠治はテーブルに座って、綾音が作ってくれる軽食を待っていた。

 ところがいきなり口を抑えて、洗面所へ駆け込んだ。

 綾音が後を追うと、洗面台が赤黒い吐瀉物で汚れていた。

 

『誠治!』


 綾音が叫ぶと同時に、誠治はそのまま腹を抑えその場にうずくまった。

 綾音は誠治が死んでしまうかもと思い、救急車を呼んだ。

 程なくして到着した救急隊員は、衰弱している誠治を病院へ搬送した。


 血液検査のあと朝まで点滴を受けながら、誠治は病院のベッドで横になっていた。

 そして朝一で胃の内視鏡検査を受けた。


 病名は胃潰瘍と十二指腸潰瘍。

 とくに胃の方は胃壁が広範囲にわたってただれ、かなり酷い状態だったらしい。

「なんでこんなになるまで、放っておいたの?」と、医師にひどく怒られたとのことだった。


 誠治は即刻入院。

 綾音が誠治のお母さんに連絡して、来てもらったそうだ。


「綾音も大変だったな」


「うん……本当にびっくりしたよ」


「綾音……すまねえな」


「ウチは大丈夫。それより誠治、無理しちゃダメだからね」


「……ああ、そうだな」


「誠治、仕事大変なのか?」


「ああ、まあな。ストレスの塊だ。頑張っているが結果が出ねぇ。結果が出ねぇと上から詰められる。それに同じ部署でひとり先輩社員が辞めちまってな。補充は4月まで来ないらしい。それもあって、今めちゃめちゃ大変なんだ」


「そうなんだな」


「でもそれって、誠治が悪いわけじゃないでしょ? その辞めた人だってボロボロになって辞めてったって、誠治も言ってたじゃない」


「ああ。鬱病の診断書、出してきたらしいからな」


 誠治は力なくそう言った。


 俺は憤りを感じていた。

 誠治がこんなふうになったのは、間違いなく仕事のストレスが原因だ。


 誠治は夢と希望を持って、大手ビール飲料メーカーに就職した。

 やりたい仕事だって、あったはずだ。

 それが……なんでこんなことになるんだ?

 自己責任の一言で、片付けられる問題なのか?


 誠治はこのまま経過観察も兼ねて、4-5日入院することになった。

「会社は来週一週間は休んだほうがいい」と、医師に言われたらしい。


「じゃあ来週はゆっくりできるんだな。病院で寝てるのも退屈だろう。エッチな本でも差し入れするか?」

 俺は努めて軽口を叩いた。


「バカか? そんなんだったら、綾音にナース服着てもらうわ」


「なっ……そんなの着るわけないでしょ?」


 誠治も綾音も、軽口で返してきた。

 

 俺は……本当は心配だった。

 早くあの元気な姿の誠治に戻って欲しい。

 誠治のために何もできない自分が、俺は歯がゆくて仕方がなかった。

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