No.190:明日菜ちゃん入社


 そして今日は4月1日。

 会社の5階のフロアでは新入社員の挨拶が行われていた。

 社員全員、明らかにざわついている。


「南野明日菜です。一生懸命頑張ります。よろしくお願いします」


 深々と頭を下げる明日菜ちゃんに、盛大な拍手が送られる。

 そのあとチラチラと俺の様子を伺うような視線が多数。

 まあ仕方ないだろう。

 俺が明日菜ちゃんの彼氏であることは、おそらく社員全員に知れ渡っている。


 明日菜ちゃんは会社の制服を着ていた。

 うちの会社の女子社員には指定の制服はあるが、着るか着ないかは自由だ。

 白のブラウスにグレーのチェックのベスト。

 胸元には紺色のリボン。

 膝丈の紺のスカートに黒いパンプス。

 OL仕様の明日菜ちゃんは、それはそれは輝いていた。

 そして……左手の薬指には、俺が一昨年のクリスマスにプレゼントした指輪も輝いていた。


 見慣れない姿に、俺は少し見とれてしまっていた。

 まるで……ちょっとしたコスプレのようだった。

 今度ロフトの上でそれを着てもらうように……いや、怒られるからやめておこう。

 

 朝礼が終わってから、明日菜ちゃんが俺のところへトコトコやってきた。


「き、緊張しました」


「お疲れ様。制服、似合ってる」


「そうですか? ふふっ、ありがとうございます」


 周りから刺すような視線を感じたが、気にしないようにした。

 明日菜ちゃんの配属は、経理部だ。

 これからアジア各国との取引も増えるため、経理がより煩雑になる。

 それに合わせて、うちの会社は多通貨会計に対応した新しい経理システムを導入することになった。

 4月と5月が研修と移行の期間で、本格稼働は6月からだ。

 事務量の増大に対応するため、明日菜ちゃんが増員となった。


 新人はその他に2名。

 福島ふくしまめぐみさんは、うちの部の山口さんの1年後輩で短大卒。

 小柄でショートカットの風貌は、山口さんにそっくりだ。

 配属は営業部・営業2課。

 岡山と同じチームだ。


 そしてもう一人が、宮城涼真みやぎりょうま君。

 上賢大学外国語学部英語学科卒という、難関大学出身者だ。

 なんでうちの会社に来たのか、俺でも不思議に思うくらいだった。


「うちの部に配属になった、宮城君だ」


「宮……りょう……で……。よろ……ねが……ます」


 増田部長に紹介された宮城君は、とにかく声が小さかった。

 160センチぐらいの小柄な体系で、前髪は目が隠れるか隠れないか。

 俺はちょっと心配になった。


「宮城君には当面私と仲代君の手伝いをやってもらう。特に仲代君の方にはプロジェクトがいくつか重なっているので、そちらの方を中心に手伝ってもらう感じでいいからね」


「わかりました。ありがとうございます。宮城君、よろしくね」


「はぃ……よろ……おねが……ます」


 とりあえず宮城君には朝ごはんを食べてきてもらうようにしよう。

 宮城くんの机は、俺の隣になった。


 仕事も定時に切りがついたので、明日菜ちゃんと一緒に帰ることにした。

 ちなみに今朝来るときも、一緒に出社した。

 なんだか、いい感じである。


「すっごく疲れちゃいました」


 開口一番、明日菜ちゃんはそう言った。

 立川駅からの中央線の上りは、この時間は比較的空いている。

 通勤ラッシュと逆方向なので、体力的にも楽だ。

 俺と明日菜ちゃんは、空いている席に横並びで座った。


「まあそうだろうね。徐々に慣れていくと思うけど」


「だといいんですけどね。あ、瑛太さん最近お弁当って作ってますか?」 


「ああ、たまに作ってるよ。でも前日の夕食の残りとかを詰めてるだけだけどね」 


 俺は一応、今でも自炊を続けている。

 そして夕食は多めに作って、その分を翌日の弁当にしている。

 ただ忙しいときには夕食も外食になったりするので、毎日と言うわけにはいかないが。

 

「明日から、私が作ってきてもいいですか?」


「え? 俺の分をってこと? それは嬉しいけど……面倒じゃない?」


「全然ですよ。私も自分の分を作りますし、ついでに同じものを詰めるだけですから」


「え、いいの? それじゃあ……お言葉に甘えようかな」


「はい、甘えちゃって下さい!」


 明日菜ちゃんは嬉しそうに、そう言った。

 実際それは助かる。

 俺は奨学金の返済も始まっているので、財政的には結構厳しいのだ。

 お昼代をセーブできるだけでも、とてもありがたい。


「あ、でも食費ぐらいは負担させてよ」


「いいんですよ。実はお母さんにも『瑛太さんのお弁当ぐらい、作ってあげなさい』って言われてるんです」


「え、そうなんだ。じゃあ今度実家に野菜を多めに送ってもらって、それを持っていくよ」


「はい。そうしてもらった方が、お母さんも喜ぶと思います」


 明日菜ちゃんはそう言って、やわらかく笑った。

 俺の仕事の疲れを吹き飛ばしてくれる、癒やしの笑顔だった。

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