No.183:学生生活の終焉
卒論と試験勉強で1月は過ぎていったが、その中でも俺はさらに続けていたものがある。
それは9月から始めたオンライン英会話の勉強だ。
9月に南野社長から実質内定をもらった俺は、入社まで何を勉強するべきか訊いてみた。
「やっぱり英語かな。当然できないよりはできたほうがいいからね。特に会話の方。ボキャブラリーもそうだけど、ビジネスで使う英語とかも少しずつでいいから覚えておくと楽かもしれないよ」
俺は社長からそう言われて、さっそくオンライン英会話のコースを申し込んだ。
比較的手頃な料金で、1対1で講師とみっちりと会話ができる。
1コマ約30分だが、ほとんど毎日続けている。
料金は月1万円くらいなので、半年間であればなんとか貯金とバイト代でまかなえそうだ。
俺はビジネス英会話のコースを選んだ。
画面の向こうの講師陣は、ほぼ全員フィリピン人。
だが英語はフィリピンの公用語でもあるので、全く問題ない。
発音が多少独特だが、俺はアジアで英語を使っていく予定なのでおそらく丁度いいだろう。
コツコツ続けてきたせいだろうか、最近ヒヤリング力が随分向上したと思う。
講師が話している内容は、ほぼ理解できるようになった。
ただスピーキングの方が、今ひとつだ。
なかなか思っていることを頭の中ですぐに英文にできないし、言い始めに『えっと』とか『なんだっけ?』とか日本語が出てきてしまう。
そのたびに講師の人から、『ナンダッケ?』とか言われてからかわれている。
ようやく卒論と最後の試験が終了した頃、バリ島の香織さんからLimeで連絡が来た。
実は増田部長と面談した時にバリ島の現地コーディネーターの話をしたところ、増田部長がとても興味を示した。
是非連絡先を教えてほしいと言われたので、香織さんの許可をもらって連絡先を伝えた。
香織さんからも増田部長からコンタクトがあったと、俺は連絡をもらっていたのだが……
「どうやら正式なお仕事の依頼がもらえそうなのよ。インドネシアのもので日本マーケットでウケそうな物を調査してほしいって。それから木製家具をOEM生産してくれるような提携工場の候補もできれば探してほしいって」
「本当ですか? それ、おそらく将来的に俺も絡んでくると思います。香織さんとお仕事できるかもしれないんですね。嬉しいですよ。まだ入社前ですけど」
「本当、めぐり合わせって不思議よね」
香織さんも声が弾んでいた。
「それとね。他の国でも同じようにアジア製品を探しているんでしょ? 増田部長は現地の輸出業者とコネがあるって言ってたんだけど……重要なのは日本のマーケットのことを知っているかどうかなのよね。それでわたしの知ってるコーディネーターが何人か他のアジアの国にいるから、紹介できそうだったらまたリストアップしようと思ってるわ」
「うわー多分それ、めちゃめちゃ助かります」
「そうだといいけどね。日本人もいるけど、ローカルだけど日本に留学経験があったりとか、現地の大学で日本語を勉強したりとか、とにかく日本に関して詳しい人達ばかりだからね。きっと役に立つと思うわ」
俺はまだ入社前だと言うのに、香織さんの話を聞いてワクワクしていた。
俺の出会った人が、仕事に結びついていくかもしれない。
今までにない世界の広がりを感じていた。
2月の中旬、俺たち4年生の成績が通知された。
全員なんとか追試もなく、卒業が確定した。
誠治が一番喜んでいた。
それから1ヶ月後、俺たちは卒業式を迎えた。
俺は作りたての濃紺のスーツで式に参加した。
ややタイト気味のラインの上着は、俺の身体にぴったりフィットしていた。
花束を持ってきてくれた明日菜ちゃんも、「とても似合ってます」と笑顔で言ってくれた。
綾音の羽織袴も、誠治のスーツ姿もキマっていた。
俺たちは学校の正門の前で、3人並んでスマホで写真を撮ってもらった。
中央はもちろん誠治だ。
誠治はいつも俺たちのリーダーだった。
俺はスマホ画面に写っている3人の姿を見て、柄にもなく感傷的になってしまった。
楽しい学生生活だった。
最高の仲間達に囲まれて、最高の彼女ができて。
悔いも思い残すこともないが……もう学生には戻れない。
その寂寥感に、俺は押しつぶされそうだった。
俺たち3人は、既に勤務地も決まっていた。
俺は会社が立川なので引っ越すことも考えたが、明日菜ちゃんのこともあるし単純に引っ越しが面倒くさかったので、そのまま今のアパートに住み続けることにした。
綾音は本社オフィスが新宿なので、中野からは至近だ。
「通勤時間が通学時間よりずっと短くなる」と綾音は喜んでいた。
誠治は勤務地が横浜の営業所に決まった。
三鷹の自宅からだと、通勤時間が1時間半ぐらいと決して近くはない。
川崎に会社の単身寮があり、そこに入寮することもできたらしいが……
「そこの寮は借り上げマンションみたいなところで、食事がついてないんだわ。自炊とか洗濯とか面倒だし、しばらくは自宅から通うことにするよ」
結局3人とも、今住んでいるところから引っ越すことはなかった。
卒業式の翌週、俺たちはいつもの7人で日帰り旅行へ出かけた。
行き先は、千葉県にある大規模テーマパークだ。
美桜にも声をかけたが、「最後は大学の皆で行っておいでよ」と言われ固辞されてしまった。
確かに参加しにくかったかもしれないな……。
本当は海外とは言わず泊まりで旅行へ行きたかったが、俺が予算的に厳しかった。
オンライン英会話の費用や指輪代が、今になってボディブローのように効いていた。
申し訳なかったが、皆が俺に合わせてくれた格好になった。
俺は初テーマパークだった。
明日菜ちゃんも高校の時以来だったらしい。
誠治と綾音は2回目だと言っていた。
俺たちは開園前にゲートに並び、閉園ギリギリまで楽しんだ。
アトラクションで叫び、食べ物でふざけ合い、パレードに感動して、花火で歓声をあげた。
写真も何十枚と撮りまくった。
全員童心に帰り、心から楽しんだ。
帰りの京葉線の中では皆まだテンションが高かったが、東京駅から中央線に乗り換える頃には全員疲労困憊だった。
そして俺たち卒業生の3人は、4月から社会人生活を迎えることになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます