No.180:寄せ鍋
10月に入ると、東京も少しずつ過ごしやすい日々が増えてきた。
そうなると……鍋好きの大学生たちは黙っていられない。
「誠治、人数分のお箸用意して」
「あいよ」
「綾音さん、なにか手伝うことは?」
「そうだねぇ……じゃあ明日菜ちゃん、炊飯器から皆の分ご飯よそってくれる?」
「はいっ」
「あ、瑛太。冷蔵庫から飲み物だして」
「了解だ」
綾音と誠治、俺と明日菜ちゃんの4人が、綾音のアパートに集まった。
初めての試みだが、綾音と誠治がカップル同士で鍋でも食べようと企画してくれた。
俺と誠治と綾音はビールで、明日菜ちゃんはウーロン茶で乾杯した。
綾音の寄せ鍋を囲みながら、ビールを頂く。
至福のひとときである。
「ああ、やっぱ綾音の寄せ鍋はうめーな」
「誠治、いっつも言ってるよね」
「でもこれからの時期、身体も温まります」
「前回やったのって……正月のときだったよな?」
あの時は7人だった。
そして……半年後には、俺たち4年生は卒業だ。
あと何回、皆でこうして集まって鍋を囲むことができるだろうか。
「でも瑛太には驚いたな。本当に電光石火だった」
「そうそう。ウチもびっくりしたよ。まさか明日菜ちゃんのお父さんの会社に決まるなんてね。それもあんなに早くさぁ」
「はい、私もびっくりでした」
話題は俺の就活だった。
◆◆◆
あの日俺は明日菜ちゃんのお父さんと握手をした後、疑問に思っていたことを聞いた。
「あの、ちょっと思ったんですけど……面接らしい面接って全然されなかったんですけど、大丈夫だったんでしょうか?」
「ああ、その辺は全然心配していないよ。瑛太君、いや仲代君のことは家でも一回会ってるし、それに明日菜からもいろいろ聞いてるしね。それこそ、ご実家のご家族のことまで」
イケメン社長は、にっこり笑った。
「そもそもカワセ電気資材から内々定をもらっている時点で、うちとしては合格ラインだよ。それにね、異性に対して人見知りで警戒心が強い、あの明日菜が選んだ男性だ。間違いであるはずがない」
いや……そこの判断基準はどうなんだろう。
「それに増田君も、仲代君のことを褒めてたよ。礼儀正しいしコミュニケーション能力もあるし、意思も固そうだ。鍛えがいがあるって、今から手ぐすねを引いて待ってるよ」
「そ、そうなんですね」
それはそれで、ちょっと怖いかも……。
「それとね、仲代君。もしかしたら心配しているかもしれないから、先に言っておくよ。ひょっとして明日菜と付き合っていることが、先々障害になってくることを心配してるんじゃないかな? 例えば明日菜と別れちゃったりしたら、とか」
さすがは社長だ。
推察は鋭かった。
「その辺は全然心配しなくてもいいからね。僕はそういうプライベートとは切り離して、仕事で判断するから。仕事さえちゃんとやってくれれば、それでいい。そりゃあまだ若いんだから、これから色々あったって不思議じゃないよ。もちろん仕事もプライベートも順調なのが、一番いいけどね」
社長は優しい笑顔をうかべて、そう言った。
その笑顔は、少しだけ『彼女の父親』の笑顔だった。
その翌日、俺はカワセ電気資材の人事担当者に連絡を取った。
10月の正式内定の前とはいえ、この時期の内々定辞退はタイミングが遅すぎる。
それでも俺は言葉を尽くして、お詫びとお礼の言葉を述べた。
最後には「身体に気をつけて、頑張って下さい」と言ってもらえた。
俺は心から安堵した。
誠治も綾音も、既に内定式が済んでいる。
誠治は大手ビール・飲料メーカー、綾音は大手ゼネコンに決まった。
いろいろと苦労したが、俺たち3人はなんとか4月から就職できそうだ。
「冷蔵庫のビール、もう一本貰うぞ」
「どうぞ。あ、誠治、明日菜ちゃんの分もソフトドリンク取ってあげて」
「あいよ……ところで明日菜ちゃん、アルコールは飲まないの?」
「えーと……当面外で飲んじゃダメって、瑛太さんに言われてます」
「え? なんで? いいじゃん」
「い、いろいろとあるんだよ。そもそも明日菜ちゃん、極端にアルコールに弱いんだ」
綾音のツッコミに、俺は少したじろぐ。
一度俺のアパートで、映画を見ながら明日菜ちゃんに飲ませたことがある。
ビールは苦いから苦手というので、明日菜ちゃんにはピーチサワーを買ってきて二人で飲んでいた。
ところが……缶を半分ぐらい飲んだところで、顔をピンク色に染めて呂律が回らなくなってきた。
明日菜ちゃんは、極端に酒に弱かった。
「もう……瑛太さん、好きですよ」
俺の胸にしなだれかかって、顔をピンク色に染めたまま上目遣いにそう言われると……俺は一発KOだった。
映画どころではない。
今すぐにロフトの上に引きずりあげて、そのまま……という俺の欲求をよそに、そのままクークーと可愛い寝息を立てて、俺の腕の中で眠ってしまったのだ。
それ以来、外でアルコールを飲むのは禁止にした。
いろんな意味で『危険』だからだ。
「そんなに弱いの? じゃあ女子会でお泊りのときとかに飲もっか」
「はいっ、それなら大丈夫だと思います」
明日菜ちゃんは、嬉しそうにそう言った。
「綾音、襲うなよ」
「お、襲わないわよ! 多分……」
「多分なんだな」
美少女好きの綾音に、誠治も俺もツッコまざるを得ない。
「明日菜ちゃん的にはどうなの? 瑛太がお父さんの会社で働くっていうのは」
誠治が明日菜ちゃんに訊いた。
「そうですね、瑛太さんがやりたいお仕事ができればいいなぁって思います。ただ内々定が決まっていた会社がいい会社だったので……本当に良かったのかな、とも思いますね。特に瑛太さんのご両親は、本当はおっきな会社で働いて欲しかったのかもしれませんし」
「だから俺の親父もお袋も、そんなふうには思ってなかったぞ。俺の好きなことをやれって言われたって」
「でもさぁ、本当にできるといいよね。海外を回りながら、自分の感性で気に入ったものを日本で売ることができるってさぁ……なんか夢があるよね」
「そうだな。オレみたいにずっと日本で営業をやるよりは、刺激的で面白いかもだな」
「まあ……果たして俺にできるのかなっていう不安は大きいんだ。やる気だけじゃできないことも、たくさんあるだろ?」
「でも『仲代君なら大丈夫。鍛えがいがあるよ』って、お父さんも言ってましたよ」
「そっか。まあ鍛えてもらうことにするよ」
「そうそう。ウチだって誠治だって4月から社会人1年生だからさ。大変なのは皆一緒だよ」
「頑張って下さいね。私はもう一年、学生生活をエンジョイします」
明日菜ちゃんは笑顔でそう言った。
俺たちは鍋を囲みながら、残り半年の学生生活での『やりたい事リスト』について話し始めていた。
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