No.179:本気なんですか?
「本気なんですか? 瑛太さん」
「うん。ちょっと熱にうなされてる部分はあるかもだけど……今日増田部長の話を聞いて、俺はますますフューチャーインポート社で働きたいと思うようになったよ」
心配そうに俺を見上げている明日菜ちゃんに、俺ははっきりとそう言った。
増田部長との面談を終えて、立川から電車で戻ってくる途中。
明日菜ちゃんから「夕方お邪魔してもいいですか?」とLimeが入ってきた。
きっとお父さんから、俺のことを聞いたんだろう。
「お父さんの会社は、従業員70人ぐらいの中小企業ですよ。その……瑛太さんが内々定をもらっている会社と比較すらできないぐらいじゃないですか?」
「そうかもしれないね。でも社長と増田部長のお話を聞いて……俺がやりたいと思ってることができそうな会社だと思ったんだ。そんなことって、なかなかないんじゃないかな」
「確かにそうかもしれませんけど……実はですね、お父さんの会社がアジアで新しい事業を展開するって話は私も少し聞いていたんです。それで若くて優秀な人材を採用したいってことも言っていたので……何度か瑛太さんにお話しようかとは思っていたんですね」
「そうだったんだ」
「はい。でも瑛太さんがカワセ電気資材から内々定をもらったって聞いて……ああ、それでよかったのかなって思ってました」
「俺もそう思ってたよ。あの雑誌のインタビューを読むまではね」
「本当に……展開が急ですね」
「俺もそう思ってる」
俺は苦笑するしかない。
「明日菜ちゃんはさ……その」
俺は聞いておきたかった質問をする。
「やっぱり俺が大手で安定した会社に就職してほしいとか……思ってたりする?」
「まさか。そんなこと、ちっとも思ってないですよ」
明日菜ちゃんは、ふわりとした笑顔を浮かべて即答した。
「もちろんブラック企業で今にも倒産しそうな会社はアレですけど……そんなことより、瑛太さんのやりたいお仕事をしてほしいなって思います。お父さんを見ていてもそうなんですけど……社長業って結構大変そうですけど、それでもとても楽しそうに仕事をしてるんですよ。新しく取り扱う商品を嬉しそうに私達に話してくれたりして、そういうのを見て『ああ、なんかいいなぁ』って思いますね」
自分の会社の仕事に、誇りと楽しみを持って取り組んでいる。
そんな南野社長の姿が想像できた。
「それに……瑛太さん自身が言ってたことですよ。『やりたいことがそれだけクリアだったら、そっちの道に進んだほうが本人は後悔しないんじゃないかな』って」
「え? 俺、そんなこと言ったっけ?」
「覚えてないんですか? 小春が大学へ行きたくないって言い出した時のことですよ」
「ああ! 思い出した……うん、そんなこと言ったかも」
「はい。結局小春は両親を説得して、来年の春から専門学校へ行くことになったんですよ」
あれから小春ちゃんは、反対する両親に自分が書き溜めたスケッチブックを見せたそうだ。
その絵のクオリティー、特に小春ちゃんが小学校の時に見たという欧州家具の見事なスケッチを見て、さすがの両親も反対する言葉が見つからなかったらしい。
小春ちゃんは自分の意思で、自分の進路を勝ち取ったのだった。
「だから瑛太さん」
明日菜ちゃんの表情が、真剣になった。
「瑛太さんも、ご自分のやりたい道に進んで下さいね。私は瑛太さんがどんな選択をしても、それを尊重しますから」
「明日菜ちゃん……」
俺は嬉しかった。
俺の彼女は、俺が言ってほしいタイミングで、俺の言ってほしい言葉をかけてくれた。
本当に最高の、世界一の彼女だ。
「ありがとう。あとは週末に、家族とも話してみるよ」
「そうですね。ひょっとしたら……ご両親はがっかりされるかもしれませんね」
「どうだろうね。その辺も含めて、いろいろと話してみないとね」
「はいっ」
明日菜ちゃんの笑顔は、いつだって俺を勇気づけてくれる。
俺は幸せだなと思った。
◆◆◆
週末一泊の予定で、長野の実家へ帰省する。
片道4時間半のバスは体にこたえるが、節約のためには仕方がない。
軽く食事をしたあと、両親と兄の4人で早速家族会議だ。
俺の話を一通り聞いたあと……
「うーん……確かにカワセ電気資材は優良大手企業だけどなぁ。でもそれだけやりたいことがはっきりしてるんだったら、その会社でいいんじゃないか? やらずに後悔するよりは、ずっといいだろ?」
そう口を開いたのは、意外なことに親父だった。
そしてその言葉は、俺が思っていることを代弁してくれているかのようだった。
お袋は少し顔を曇らせていたが……。
「ああ、俺もそう思うんだ」
「ていうのはな……父さんは今の銀行にそれこそ30年くらいに前に就職したんだけど、当時銀行っていうのは就職先としては人気が高かったんだ。それこそ公務員なんかより給料も福利厚生もよかった。就職した当時なんかは、地元では羨望の的だったぞ」
そう言いながら、親父は少し遠い目をしていた。
「ところが入行してから10年もすると、不良債権に悩まされ地方銀行はどこも青息吐息になった。今では収益機会が本当に厳しい業界で、完全な構造不況業種だよ。こんなことになるなんて、父さんが大学4年の時には誰も予想ができなかったことだ」
「そうだったんだな」
「ああ。つまり……将来のことは、誰にも分からないってことなんだよ。今は大手優良だと言われている企業だって、5年・10年先は本当にわからない。企業は生き物だからね。銀行で長く働いてると、そのことを本当に痛感するよ」
親父はお茶を一口飲んだ。
「だからどうせ将来のことがわからないんだったら、今やりたいことをやった方がいいんじゃないか? それにその会社、5年後ぐらいを目処に上場するかもしれないんだろう? 楽しみじゃないか。働いてても、夢があると思うぞ」
「そうねぇ、大きくて安定した会社で働いて欲しいとは思うけど……瑛太がやりたいことがあるんだったら、そっちの方に行くのがいいかもしれないわね」
母親も完全同意というわけではないが、俺の意思を尊重してくれるようだ。
「瑛太がやりたい仕事を選ぶというのは賛成だけどなぁ……でもこのケースの場合、かなりリスクもあるんじゃないか?」
ずっと聞き手に回っていた兄貴が、初めてそう口を開いた。
「リスクって?」
「だって明日菜ちゃんの父親が社長なんだろ? もし明日菜ちゃんと……別れたりしたら、居づらくなるんじゃないか?」
「……」
それは俺も考えた。
たしかにリスクと言えるかもしれない。
だが……
「その逆のことも考えられるぞ。もし将来仕事が嫌になって転職したいと思っても、明日菜ちゃんの手前なかなか言い出せないんじゃないか?」
「確かにそういう可能性はゼロじゃない。でも今の俺には、全くそういう状況は想像すらできない。そんな可能性の低い『もしも』を考えること自体、意味がないことじゃないか?」
「そりゃあ最初から別れることを想定して付き合うカップルはいないだろ? でもそういう未来は、起きるときには起きるんだよ」
「そうかもしれないけど……」
俺は反論する言葉を探すが……なかなか見つからない。
俺たちの間に、一瞬の沈黙が訪れる。
「結局は、その辺は瑛太の覚悟次第なんじゃないか?」
親父が口を開いた。
「……覚悟?」
「そう。この先どんなことがあっても、明日菜ちゃんと一緒に乗り越えるっていう覚悟。なんだかそれって、結婚みたいだけどな」
そう言って親父は柔らかく笑った。
その瞬間俺は……明日菜ちゃんの言葉を思い出していた。
『瑛太さんも、ご自分のやりたい道に進んで下さいね。私は瑛太さんがどんな選択をしても、それを尊重しますから』
ああ、なんだ。
そうだった。
明日菜ちゃんは……もうとっくに覚悟をしてくれているじゃないか。
なのに俺は何故迷ってるんだ?
「俺はどんなことがあっても、明日菜ちゃんと一緒にいるよ。それに社長だって信用に足る人物だ。だから俺は自分がやりたいことをやっていけるっていう自信がある。だからそこには不安は感じてないよ」
俺は一気にそう吐き出した。
両親と兄の雰囲気が、一気に柔らかくなった。
「そこまで腹を括ったんだったら、もう答えは出てんじゃん」
「そうだな。瑛太、頑張ってやってみるといい」
「そうね。やりたいことをやってみたらいいわ」
家族会議をやってよかった。
俺自身、頭の中でモヤッとしていたことがクリアになった。
そして家族全員が、俺の背中を押してくれた。
俺は感謝の気持ちを胸に、東京へ戻った。
俺は早速、南野社長に連絡を取った。
社長は俺に、個人の携帯番号とLimeを教えてくれていた。
翌日立川のオフィスで、俺は「御社で是非お世話になりたいです」と社長の前で頭を下げた。
社長は笑顔で右手を差し出し、「4月から一緒に働いてもらうよ。楽しみに待ってる」と言って俺の右手を握った。
俺の就職活動が終了した瞬間だった。
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